ベートーヴェン過去ログ12
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Mitsu 投稿日:2000年6月6日<火>18時17分

申し訳ございませ〜ん。ピアニズムだのピアニスティックだの
たいそうな意味はございませ〜ん。世間一般でいわれている程度の中身で
「ピアノという楽器を効果的に使っているよ」って程度の意味でございます。
佐藤泰一先生も「ロシアピアニズムの系譜」なんて本を書いてますけど
あれも「ロシアピアニストの系譜」でいいんでしょうね。
今度メロディアカタログの新版を頂く際に一言忠告しておきましょう。
これからは不要にあやふやなカタカナ用語は使わないようにしましょう。
言語は差異の体系だなんていわれますからねぇ。

ギーズ公の楽譜どうやって送ればいいんですかぁ?
とりあえずサン・サーンスはほとんどデュラン社から出てますから
問い合わせれば入手できますよ。

サン・サーンスがショパンの曲を2台にすると意義があるんですね。
ゴドウスキーがショパンの曲を編曲すると存在価値がないんですねぇ。
ベートーヴェンの大フーガの自編連弾なんかは存在価値があるんですか?
ブラームスの五重奏の自編2台ピアノ版は?
リストの自編「メフィスト・ワルツ」は?
ブゾーニはリストのオケ版「メフィスト」を忠実にピアノに直しているけど
ブゾーニのほうがリストのピアノ「メフィスト」より存在価値があるんでしょうね。
他のブゾーニは勿論全滅?
「展覧会の絵」はオリジナルピアノ、ラヴェル、リムスキー・コルサコフ、
ホロヴィッツ、平石、高橋、ハインズリーなどなど、どれが意義のある編曲?
バッハ=ヴェーベルンの「リチェルカータ」は?
シェーンベルグ編の「フニクラ・フニクラ」は?
武満編の「さくら」は?
マルチェロ=バッハ、サン・サーンス=ビゼー、ウェーバー=チェルニー、
バッハ=ラフマニノフ、ビゼー=ヴァイス、ベッリーニ=ショパン、
シュトラウス=ローゼンタール、エルガー=エルガー、
ヴェルディ=フィニッシー、ビゼー=ソラブジ、ショパン=ヒントン、
ガーシュイン=オグドン、アーン=ハフなどなど、壊滅ですねぇ。
シロティのバッハのチェロ組曲をそのまま3オクターヴユニゾンで弾くだけの編曲なんて
素直で音楽的で存在意義のある編曲なんでしょうなぁ。

(143) 序でに
Jose 投稿日:2000年6月6日<火>06時56分/埼玉県/プ〜太郎

おはようございます。
序でにもう一つ質問させて下さいね。
「ピアニスティック」ってどう云う状態ですか?
 

(142) もう一言
Jose 投稿日:2000年6月5日<月>10時08分/埼玉県/プ〜太郎

宜しければ私の拙い質問にお答え下さい。
「ピアニズム」って何ですか?

(141) 凄いです
Jose 投稿日:2000年6月5日<月>10時07分/埼玉県/プ〜太郎

先ずフィリップについて

僕がフィリップを誉めたのは他の編曲についてです。バッハにおいて、であってMitsuさんがおっしゃる編曲は知りませんので「素直」であるかどうかはお応えする事ができません。ですが他のピアノ作品からの編曲はおっしゃる通り面白くなさそうですね。

サン-サーンスについて

「ギーズ」は原曲自体がさほど面白くないです。ですが「ピアノでやる意味がない」とおっしゃるのはどうでしょうね。当時は録音・再生技術がないのですから十分に意義のある編曲と思われますが?
宜しければ能無しサン-サーンスフェチ私に2台編曲の譜面のコピーを頂けませんか?
次にショパン物の編曲ですが、これは音を広げる意味においては意義があるでしょう。当時の習慣を併せ考えてみても面白い試みでしょう。それに1台で演奏するよりもより響きの多角性においては楽しめます。

という事で、「ギーズ」譜面の件、御一考ください。

Mitsu 投稿日:2000年6月5日<月>02時48分

ギーズ公の暗殺のピアノ2台作曲家編も全然面白くない編曲ですぅ。
ピアノでやる意味がない曲ですね。サン・サーンスってわざわざショパンの
ソナタ2番を2台ピアノに編曲してるけど、何のために書いたの?
ピアノの響きなんて何にも考えてなくて、頭の中で作ったらああなるのかな?
僕はひねくれてるから、と言うより歪んでるから一生理解できない世界なんでしょう。
フィリップの左手のためのショパンエチュードも素直過ぎる編曲。
弾いてて、聴いててほんとに楽しいの?
フィリップって「子犬のワルツ」も編曲してますよね。
20種類くらいある子犬の編曲の中でもただ3度にしただけのスカ編曲。
こういうのを素直な音楽って言うんですか?

フェインベルグ、昔のロシアのピアニストですよ。
バッハの演奏が有名ですが編曲、作曲もします。
チャイコのシンフォニーをピアノにしてますがニーマン編よりもいい出来。
フェインベルグのバッハ「平均率」の美しさはアニー・フィッシャーといいせん勝負。
モノラルだけど。

(139) ギーズ公の暗殺
HODGE 投稿日:2000年6月4日<日>14時18分/東京都

Mitsuさん、はじめまして!書き込みありがとうございます。
いろいろとお弾きになるんですね。羨ましいです。
そうですね、僕も「ピアニズム」って良く耳にしますが、キチンと考えたことはないですね。語感からするとなんかイデオロギーめいた響きがしますよね。それに他に「イズム」が付くコトバといえば、コミュニズムやファシズム、インペリズム(帝国主義!)といったものばかり浮かんで、他にもどこか高圧的で教条的なニュアンスが感じられます。
僕はレーガーは案外好きなほうなんですが、やっぱりピアノに精通している方々の「ピアニズム」を無視した為に、「倫理的」に「最悪」なんですね。

「歪める」っていうのもいいですね。確かグレングールドもバッハを「歪めている」とか書いてあったものを読んだことがあります。こちらはなんか「正統的」なものを壊してしまうような「イズム」とは反対のアナーキーな感じがしますね。
やっぱり難しい曲を弾ける人の意見はとても参考になります。
これからもいろいろと書いてくださいね。フェインベルグって初めて聞いた名前ですが、CDなど出ているのでしょうか。

Joseさん
そういえば、今月のミュッセを読んだのですが、サンサーンスの「ギーズ公の暗殺」って現存する最古の映画音楽なんですね!
映画関係に人には常識らしくて、サンサーンスって、リュミエール兄弟と同様、映画黎明期の話に必ず出てくる、「ビッグネーム」みたいです。俄然「ギーズ公の暗殺」、聴いてみたくなりました。



(138) そうですよ
Jose 投稿日:2000年6月3日<土>23時59分/埼玉県/プ〜太郎

サン・サーンスやフィリップはいいですよ。
感じられないのはひねくれていらっしゃるからじゃないですか?
それとも音楽を純粋に楽しめないからでしょう。色んな人にどんな音楽が喜んで貰えるか考えられるとすれば、歪められた音楽が好きって事にはならないでしょう。

それに Mitsuさんのおっしゃるピアニズムって一体何でしょう?よくわかりません。
 

(137) サン・サーンス、フィリップ
Mitsu 投稿日:2000年6月3日<土>19時13分

サン・サーンス、フィリップの編曲ってそんなにいいですかぁ?
フィリップの左手の「シャコンヌ」なんて最悪ですよぉ。
弾いてて、あれこそピアニズムを無視したような編曲ですよ。
あとレーガーの編曲とかね。
ゴドウスキー、ブゾーニは難しいからいうというよりも
ピアニスティックだから僕は好きです。
ベートーヴェンの29番を難しいから好きだという人がいるのかしら?
フェインベルグの編曲も難しくて原曲を歪めた編曲で大好き。

(136) 中田のマネは100年はやい
HODGE 投稿日:2000年5月29日<月>00時17分/東京都

こんにちは
そうですね、問題は作曲者のゴドフスキよりも、彼を取り巻く不逞な輩にあるのかもしれませんね。ゴドフスキに関わらず、ちょっと「お勉強」した人達の「中途半端」な言動には、いらいらさせられたり、ムカついたり、辟易させられますよね。
ドビュッシーの音楽やなんかを「分析」してすごいと思うのはいいんですけど、その表現の仕方が、まるで子供の頃に時計を分解して仕組みがわかったぐらいの「すごさ」しか伝わってこなかったり、どこかの本に書いてあることを「理解半分」で言ったり。
ゴドフスキにしてもキチンとした説明の仕方があると思います。例えば、「こういった響きを実現するために、必然的にここまで複雑で演奏困難になった」とか。ちょっとばかりピアノが弾ける人たちは逆にJoseさんが言うように「難しいからすごい」みたいなことを言いがちですよね。しかも、なまじ難しい「コトバ」を使ったりするから余計発言がちぐはぐになって、苦笑させられます。
僕も実は編曲モノは嫌いではなく、例えばストコフスキーのエンターテイメントな編曲は好きです。(誰も誉めないけど)

そうですね、サンサーンスやスクリャービンの左手の音楽は「しっとり」した感じがしてきれいですね。


(135) 全部が酷いわけじゃないんです
Jose 投稿日:2000年5月25日<木>02時07分/埼玉県/プ〜太郎

ゴドフスキの全てが酷いわけじゃないんです、勿論。

僕がむかつくのはピアノ上手と思い込んでいる人には美しい事を感じ取れる人って少ない気がするのです。その証拠にどうしようもない編曲を崇め奉ってるバカな発言をする人ばかり、全く呆れ返ってしまいます。

テクニック重視と云う下らない点を除けばオリジナルには美しい作品もあります。僕もゴドフスキは良くは知らないので偉そうな事は言えませんが、「左手のための演奏会用アルバム Concert Album for the Left Hand alone」は気に入っています。これは曲集になっていて、第1曲「Meditation」と第5曲「Elegy」しか知りませんが、とても美しい曲です。ただし上下するオブリガートに隠され易い旋律を持っているため、余程練習しないと人前では演奏が難しいのでしょうね。

どちらにしても作品自体が腕自慢の為にあるって感じで、僕が自分で練習する時には結局他の作曲家の作品を選んでしまいます。同じ左手の練習曲であればサン-サーンス作品135の方が楽しいし、スクリャビン作品9の美しさの方がより表現し易い、モシュコフスキの作品92だって弾き方を考えればとても美しくなる。
大して上手くもないくせに「ゴドフスキはスバラシイ」などとほざいている馬鹿共の自慢話には辟易してしまいますね。

(134) ゴドフスキ
HODGE 投稿日:2000年5月23日<火>23時52分/東京都

こんんちは
>Joseさん
ゴドフスキってそんなに酷い曲だったんですね。なんかますます聴いてみたくなりました。
やっぱりゴドフスキの編曲って、当時の流行かなんかなんでしょうかね。聴いていないのであまり断定できませんが、今聴くと、耐えがたいほど古臭くて、気恥ずかしいものがあるのかもしれません。例えば、今、昔流行ったDCブランドの服を着たりすると、デザインが凝っているものほど、古いような感じがしますよね。
ああいった曲は映画やインターネットなどの娯楽が少ないゴドフスキの時代には、ちょっとした娯楽として(特にプチ・インテリあたりに)持て囃されたのかもしれないですね。

そうですね、僕もゴドフスキよりもブゾーニの方が、(素人判断ですが)何かと良い仕事をしたように思えます。


(133) その通りですね
Jose 投稿日:2000年5月22日<月>23時37分/埼玉県/プ〜太郎

ゴドフスキ、とてつもなく退屈でした。
でも一度は(聴く機会があれば)聴いておかれた方が良いのかもしれませんね。ショパン=ゴドフスキの価値も純粋な練習曲以外の価値は僕には全く見当たりませんし。この酷い曲が美しく弾けたからと云って何か価値があるのでしょうか、ショパンの原曲が演奏できればそれで充分な気がします。
原曲を歪めている点で、音の響きの惨さでは引けを取らないバッハ=ブゾーニの方が余程演奏する価値があるでしょうね。

返す々すもサン-サーンスがバッハの弦ソロものの全てを編曲していない事は実に残念です。フィリップの編曲も現在では手に入らないし、況やベンフェルトの様な編者の作品においておやって感じですね。

(132) エンターテイメント
HODGE 投稿日:2000年5月17日<水>01時12分/東京都

こんにちは
ゴドフスキ、手に入ったんですね!僕は単純に、ゴドフスキの作品って全く聴いたことがないので(どうしてなんだろう?)一度は聴いてみたいなあ、とは思っています。

そうですねゴドフスキにしてもメシアンにしても、いわゆる「難しい」とされている曲を「誉める」のは簡単だと思います。何しろ「難しい」ので難しい「コトバ」を「これ見よがし」に使える「快感」が味わえるし、いろいろと本で調べた知識を「このときとばかり」披露できたりできるので、普段「地味」な人が注目されたいために「頑張って」機会が与えられのでは、と思ったりします。
「誉める」ってのは要するに「本」に書いてあることを、みんなで「確認」するだけなんですね。
反対にケナすのは理由が一つ、つまり「つまんない」だけなので、知ったかぶり連中には「効果」がないのですね。
ゴドフスキはともかくメシアンが、彼らが言う「一般聴衆」(これも音大生が「素人」というように、他人を見下した言い方なのでしょう)ウケるとは思いませんね。渋谷を歩いているガンクロ、やまんばがメシアンにどういう反応するかわかりませんし。
メシアンってやっぱり「マイナー」な曲で、一人で「ヒヒヒヒ」っと思いながら聴くのが一番「正統」な聴き方なのでは、とゴーマンかましてしまいますね。
でもメシアンを弾く音大生ってやっぱり「聖書」をキチンと読むのでしょうか?




(131) (130)への追補
Jose 投稿日:2000年5月15日<月>07時46分/埼玉県/プ〜太郎

「作品への理解」「作曲家の意図」って難しいいい方してしまいました。誤解があるといけないので追補です。
「その『音』によって何を表現したいか、演奏者自身の中で明確に決まっている」僕はこんな様に考えています。自分勝手な解釈もいいけれど、できれば裏付けの取れる背景があれば云う事なしですね。
 

(130) それは言い過ぎですよ
Jose 投稿日:2000年5月15日<月>01時33分/埼玉県/プ〜太郎

ども!
>精々「音楽辞典」や・・・
それは言い過ぎです、良い方にです。
音大生が漢字を読めるわけないじゃないですか。コミュニケーションが出来ない人種です。

バッハ=ゴドフスキ、手に入りました。
やはりピアノが好きなマニアの考えはよく分りません。どこがいいのかサッパリです。本来の音楽を全て覆い隠す余計な旋律の密集、音大生に限らずピアノのテクニック自慢はこぞって誉めていますが、ホントに良いと思っているんだろうか?音楽本来の美しさが損なわれている事に気付かないんだろうか?

以前メシアンの「まなざし」について論議していたサイトがありました。「とても素晴らしく、一般聴衆にもゼッタイにウケル・・・云々」との事でした。たしかにあの曲は面白い(でも理解はできません、あの曲で何を表現すればいいんだろう?)とは思うのですが、一般聴衆にウケるとは思わないんですよ。
「気狂い」とか「変」と思われたいなら兎も角、あの音楽で音楽に興味のない人が「スバラシイ」と思うとは考えられないのですが、いかがでしょう。

それに「素晴らしい」と評価している以上、あの一つ一つの音を理解していると云う事なのだと思い、「ホントに理解できている?作曲家は何を言いたかった?」と質問すると、結局「よく分らない」との応えが帰ってくるんだよね、バッカじゃなかろうか。
結局「理解できないけれどテクニック的に難しいピアノ曲も弾ける以上、こう云った難解な作品も理解している積もり」と云う大見得、全く詰まんない虚栄は誇示しないで欲しいと思いました。
 

(129) 子供の情景
HODGE 投稿日:2000年5月15日<月>01時11分/東京都

モーリスさん、はじめまして!
実生活の貴重な情報ありがとうございます。と同時にいろいろとご苦労されて、同情に堪えません。
やはりたった数年、お金の掛かる専門大学で通ったからって、誰でも彼でも、時と場合も考えず、その場の雰囲気も解せず「素人」発言する人達の社会生活はそんなものでしょう。何事にもケチをつけたり、つまらない事で知ったかぶりをして、得意になっている様子は、モーリスさんが言うように、本当に子供ですね。
知ったかぶりするにしても、中学の図書館にもある「音楽辞典」(多分全音)や音友ムック程度の知識じゃないですか。せいぜい良くてレコード芸術のレビュアーの「形容詞」を拝借した程度。どうせなら、アドルノやジェンケレヴィッチ(「ドビュッシー」新装版が出ましたね)、テリー・イーグルトンあたりの「語彙」があれば、もう少しまともな「音楽論」が披露出来るのになあ、と思ったりします。

JOSEさんもいろいろと書いてくださってありがとうございます。「音大的性格」・・・笑っていいものかどうかわかりませんが、やっぱり爆笑してしまいました。


(128) 3点じゃなく・・・
Jose 投稿日:2000年5月13日<土>09時30分/埼玉県/プ〜太郎

欠陥要点が3点で収まってませんでしたね、失礼しました。

(127) 音大的性格
Jose 投稿日:2000年5月13日<土>09時29分/埼玉県/プ〜太郎

モーリスさん、こんにちは、「さもありなん」って感じで楽しく読ませて頂きました。特に「陶酔表情」には肯いてしまいました。ピアノがいっくら上手くても気持ち悪いですよね。以前シドニーコンクール及びショパンコンクールに入賞した(名前は失念しました)日本人の若い子の映像をテレビで放映していました、もう5年くらい前でしょうか。シドニーコンクールの模様でしたが、リストのメフィスト@を演奏していましたが、演奏は確かに鬼気迫るものがありましたが「ヴェールを被って欲しいな」って感じてしまいました、余りにみっともない「今にもヨダレを滴らすんじゃないか?」って顔で(いつもは不細工とまではいかないけれどまぁまぁマトモな顔なのに・・・)、「こんなものを放置していいのか?」と少なからず激昂したのを覚えています。

「音大的性格」ってきっと思春期までの人格形成期間に人間らしい感情を育む事が出来なかった為に、この様な欠陥人間ができあがってしまうのでしょうね。可哀相だとは思うのですが、いざ目の前にしてしまうと「誰かコイツを抹殺してくれ」と思ってしまうのを止める事ができず、どうしても苛めてしまう僕は「音大的性格」よりも酷い性格の持ち主なのかもしれません。

考えてみれば「東大的性格」や「エリート的性格」、「官僚的性格」「パソコンオタク的性格」など、世間にはアタマの痛い付合い辛い「勘違いさん」が一杯いますね。「音大的性格」が世間に及ぼす悪影響が一番問題になる点は次の3点と思われますがどうでしょうか?

●ばか
●わがまま
●協調性がない(「乏しい」にあらず)
●センスは全くない上に派手
若しくは本人はダサいくせに他人のセンスに批判的
●・・・・・

このくらいで止めておきましょう、やっぱり要約する事ができません、この世の不思議はどこまでいっても直りゃしませんものね。世の中狂ってるし。でもスッキリしました。それではまた。

(126) 音大卒業生も!
モーリス 投稿日:2000年5月12日<金>21時29分/東京都/会社員

こんにちは。初めて書き込みします。
僕はサラリーマンなのですが、
職業柄、音大卒業生に囲まれて仕事をしています。

彼らを見て思うこと。
(ケース1)作曲科の人
名前は、Tとします。彼は最近北海道に飛ばされました。まず、彼らは人の気持ちを考えません。彼は、割と
田舎の担当だったのですが、地元の社員(女子)に、
「今日の午後は暇だから、女の子集めておいて」という非常識きわまりないお願いをした挙げ句、
酒に酔っぱらい、「今日はブスばっかりやな〜」などと暴言を吐いたり。
初めて担当になった得意先で、説教をしてきて出入り禁止になったり。
業務合宿で、酔っぱらって夜の12時に女性達の部屋に行き、
「○美は〜」とか「○子は〜」などと呼び捨てにした上、説教して泣かせ、
しまいに「エロじじい帰れ〜!」といわれて追い出されました。
そして、「あたしがやめるか、あの人を転勤させるか」と上司に直訴され転勤。
普段でも、食事に誘ったりしたとき、一口目を食べた後の感想は必ず
「うわっ、まず!」とか「なんだこれ、甘すぎる!」とか必ず文句で、
雰囲気を一辺に盛り下げるのです。
他にも、電話を切るとき、話し終わったらすぐに必要以上に「がちゃ」っと力を込めて、
切るので、相手に失礼ではないかとこちらが心配になります。
試験などでも、受験者が一生懸命演奏しているのに、わざと大きな音を立てて
ペンを置いたりします。
文章だと伝わりにくいのですが、一緒に仕事をしていると我慢できません。
とにかく自分のことしか考えていません。こどもなのね。

(ケース2)ピアノ科
とにかく仕事をしません。
彼は、ショパンコンクールに出ただけなのが、一生涯の自慢です。
常識がありません。伝票一つまともに書けず、一枚の伝票を書くのに
最低、1時間は使います。しかもミスだらけで、いつも上司に
怒られていました。
彼が、コンクールに出たときのVTRでは、陶酔しきった表情に、審査員や
客席の人達が失笑したり、笑いをこらえる場面がふんだんに見られます。
そのビデオを会社で皆で回して見て、影で馬鹿にしていたのですが、
「○○さんビデオ見ましたよ。すごく表情豊かに演奏されていましたね」
などと声をかけると、とてもうれしそうでした。まわりで他の社員は
笑いをこらえていましたが・・・。

(125) 一芸に秀でていても
Jose 投稿日:2000年5月12日<金>02時16分/埼玉県/プ〜太郎

昨夜遅く仕事から帰ってきて NHK を見ていたら、スタジオジブリの社員が悩みながら仕事をしているところのドキュメントをやってました。面白くなかったけれど最後まで見てしまいました。

番組で取り上げられていた社員は2人、二人とも高い競争率を勝ち抜いて入社しただけあって社内でさえも特別視されるほどの作画能力の持ち主だそうです。ある時に今度公開されるアニメの数秒のシーンをあの宮崎から仰せつかって、2人ともそれぞれ完成させるというストーリーでした。期間は1週間。2人とも宮崎を満足させる事ができませんでした。

見ていて感じたのは、作画能力がどんなに天才的か知らないけれど、2人とも信じられないくらいマヌケで愚かであると云う事でした。1週間ただ単にどうすればリアリティのある絵ができるか想像だけして作っていました。想像だけしていて、観察を殆どしていない。「アホかいな」って感じですね。

実際の人間の行動を観察もせずに想像だけで人間の動きを作り出せると信じきっているアタマの悪さ、音楽にせよ絵画にせよ、専門教育だけを受けてきた人間の如何に応用力のない、或いは思考力のない行動。バカはどこまで行ってもバカなんですね。
テクニックと想像だけで他の人間を納得させる事ができると思っているなんて、呆れてしまいました。自分の内部に何の貯えもないくせに「僕は才能があるから大丈夫」なんて、シアワセな人達ですね。一生やっててください、って感じです。

(疲れているために支離滅裂な文章になってしまいました)

(124) キル・ジョイ
HODGE 投稿日:2000年5月10日<水>01時14分/東京都

この際だから、いろいろと議論してもいいかと思います。
ゲイのページにかかわらず、音大生(卒)でない人たちが、音楽系のHPや掲示板を持つときって結構音楽の専門家の人に対して気を使っていると思うのですね(僕は違うけど)。だからそういったウェブマスターは「シロートですけど遊びに来て下さい」とか「個人的趣味なので」とか謙虚に書いているのが多いのですが、そこに音大生とかが、掲示板あたりに、がやがやどやどややって来て、自慢して帰っていくようなのが、わりと目に付いたりします。

まあ、自慢だけならいいのですが、アマチュアの人達が楽しんでいるところに、あの演奏は「シロート」には分からないとか、ドビュッシーの初期はシロートさんが好きだとか、(国産の)グランドピアノを触ることが出来て喜んでいる人に対して、「シロートならそれで十分でしょう」みたいなことを言って、なんか辺りを不愉快(Kill Joy)にさせる人が、多いんですよね。
問題は、それが悪意から来ているのではなくて、それが相手にどれほど「不愉快」を与えるかが分からないんですよね(鈍感)。

たまたま僕の経験からそうなったのかもしれませんが、音大生ほど「シロート」という言葉を(悪意なしに)平気で面と向って使う人達ってあまりいないようなんですね。「シロートにはヘンリージェイムズがわからないでしょう」とか文学部の人に言われたこともないし。
なんか「シロート」ってコトバのインフレーションが音大生たちの間では日常茶飯事みたいですね。
これってJoseさんがいう「屈折したエリート意識」なんでしょうかね。
まあ、ちょっとばかし、楽器が弾けたら「無邪気に得意がる」のもわからないでもないですが、人(素人)が楽器(ピアノ)を弾いているとき、難しい顔をして、思いっきり拍子を取るのはやめてほしいですね(爆)


(123) きっと
Jose 投稿日:2000年5月10日<水>00時00分/埼玉県/プ〜太郎

そうですね、僕もそれは感じていました。
勿論「音大生の全てが愚鈍である」とは僕も思ってはいません。

まず音大生は十中八九は論理的な思考が出来ない方が多いようですね。これは仕方のない事でしょう、「言葉で思考する」と云う教育を受けていないし、受けていても軽んじているために身についていない方ばかりのようです。
「僕自身が同じ事ができる」とは言えませんが・・・、概して音楽の専門教育だけを受けてきた人と話をすると退屈極まりない結果に陥っています。話術が貧弱と云うのは取りも直さず人間的魅力に劣ってしまいますね。
それでは話術が駄目ならせめて音楽を素人(と彼らが呼んでいる人間)よりもスバラシイ美しさ、激しさ、高雅さで表現してくれるのならば、それはそれで魅力になり得るのに、「普通の人より酷いんじゃない?」って演奏が多い気がします。

結局「一般素人より音楽だけは優れている筈だ」と思い込みたいだけの一心で、或いはもっと直截に云えば「一般教養は何も持っていない(愚鈍)上に、音楽さえもできない(能無し)」と云う事を認めたくないが為に、「エリートがどぉのこぉの・・・」と云うま〜ったく音楽とは関係のない話になってしまうのでしょうね。

たかが音楽の世界でエリートになったからといって、その音楽が音楽界以外の人にも受け容れられなくて、何がエリートなんでしょうね?そもそも音楽にエリートって何か意味があるんでしょうかね、理解できません。「流石、アタマが悪いだけある人の発言」と感に堪えないです。

ちょっと言い過ぎでしょうか? (爆)

(122) 能天気と言うより
HODGE 投稿日:2000年5月9日<火>00時28分/東京都

どうもです。
そうですね、ちょっと過激だったかもしれません。実はアシュケナージのことを書いていたら、ちょっとムカつくことを思い出してしまったので。
以前2丁目に行ったときに、店の人にいきなり「アシュケナージって音楽性がない」とか言われて、「どうして?」って聴いたら、ぐだぐだ言っていたわりには、結局「なんでも演奏するから」とかいう応えになったようでした。

すべての人がそうとは思いませんが、なんか音楽を専門的にやった人って「何故」って聴いても、見当違いの解答か、ちぐはぐな一貫性のない答えばかりが返ってくるように思います。(そういう経験が多かったです)
なんていうかな、なんか「天動説」のような意見を持っているようなんですね。
楽譜にしても、どの楽譜が「正統」で後は「異端」のような断定を(ガリレオ並みに調べたわけではないのに)するし、ある演奏家が優れているのは、(フランスの)エスプリが感じられるから、だとか、マーラーの音楽が「帝国主義的」だとか、マジメに言っているのか「シュール」を狙っているのか、分からない発言が多いですね。
こういったときに僕のような専門外の人間が口を挟むと、「シロート」が何を言うみたいな、顔(言い方)をされるし。

以前「絶対音感」について、英検を持っていても、英語が話せるわけじゃないから、絶対音感があったからって別に優れた音楽が出来るもんでもない、というようなことを言ったら、なんか烈火のごとく
「絶対音感は音大においてエリートとそうでない人を分けるとか」みたいなドーデモいいことをぐちぐち言われて、挙句の果てに
「いったいどういう立場で、こういうことを言っているのですか?」
って詰問(説教)されてしまいました。
やっぱり「心臓の音」もそうですが、科学的(理性的)に考えなかれば、いつまでも「天動説」のままですね。

そうそうアシュケナージって本当にソ連で「抑圧」されていたから、ぐだぐだ言うのは、なんとなく理解できますね。でも日本のような国で「抑圧」されているように思って「海外」へ行って、日本の教育がどうのこうのとくだまいているのは、ちょっとねえ、とか思ったりしますね。

アバドもチケットが安ければ行ってみたいですね。



(121) 早く寝なくちゃ
Jose 投稿日:2000年5月8日<月>03時55分/埼玉県/プ〜太郎

>音大生
どわっはっははは
Hodgeさんもケッコウ過激に発言するようになってません?

友達に聞いたのですが、今年アバドの指揮でベルリンフィルがワーグナーを持ってくるそうですね。聞かずと知れた高いチケットなのでしょうから行く気もしないのですが、きっとアバドが指揮する事はなくなるのでしょうから、ガラが面白かったら行きたいとも思っています。でもきっと高いから行かないでしょうね、ガラがあるかどうかもわからないし。

アシュケナージは1回目だけ見ました。抑圧された国に育っただけに、政治的な発言が印象的でしたが、もう少し踏み込んで自分の考えを言わせて頂ければ、「どうでもいいじゃん、そんな事」って気もしました。
(マガイなりにも)巨匠に失礼でしょうか? (^o^)/~~
2回目も見るつもりだったんですが、見逃してしまいましたね、でもきっと再放送されるんでしょう。

最近メールでやり取りした音楽をやる人に、「僕は音楽をやるには向いてない性格ですので、音楽はわかりません」と話をはぐらかしたら、「人間は生きている限り心臓のリズムでさえ音楽なのですから」と元気づけられました。
「心臓の音」って音楽だったんですか?余りの能天気な発言にビックリです。こう云う観念的な全く説得力を持たない発言て、マヌケ過ぎちゃって大嫌いです。もっと理性的な思考が出来ないんだろうか。
NHK教育テレビでやっていたゾウリムシの生態についての番組の方が余程興味深く楽しむ事ができます。

(120) アシュケナージのテレビ
HODGE 投稿日:2000年5月7日<日>23時34分/東京都

こんにちは
そういえば昨日、教育テレビの「未来への授業」(だったかな?)でアシュケナージがチェコで「青少年のための音楽」をやっていましたね。なんかもうすっかり巨匠風で、なかなか堂にいっていました。そういえば彼は「亡命」したんですね。
ショスタコービッチのエピソードはとても興味深かったです。

>Joseさん
僕もこれまでいろいろとJoseさんのお話を伺っていて、共感することが多かったです。これからもどしどし言ってください。
>能力もないくせに詰まらない事をグダグダ言っている奴って
これって「音大生」だけで十分ですよね(爆)


(119) 模倣
Jose 投稿日:2000年5月6日<土>10時00分/埼玉県/プ〜太郎

おはようございます。
昨日・今日は真面目に過ごそうと思っています。

「模倣」その他諸々について、同意見です。と云うより、Hodgeさんと僕は基本的には同じ考えの人間だと思っています。だからディベートにはなりませんね。
自分があるモノをする時、先人の考え出した事を模倣することが自分の個性を出す事が出来るようになるための一番の近道であり、また過去の認識をする事によって一人の人間というものの如何に無力であるかを思い知らされますよね。
人間なんて精々50年くらいしか活動出来ないわけですし。

ゲイリブ活動に至っては全くその通りでしょう。どんな世界であっても法の中で生きているわけですから、その法に文句があるなら自分で変える事が出きる立場になればいいし、厭ならそういった制約のない宇宙にでも行ってやればいい(どちらにしても Smart さが必要ですね)、トロくてその能力もないくせに詰まらない事をグダグダ言っている奴って大嫌いで、「バカは黙ってろよ」と言いたくなります。(だから僕は黙りますね)

そうですね、「イザベル・アジャーニ」だったんですね。フランス人名の中で「イザベル」と「カミーユ」が忘れてはいけない名前と思っていた筈なのに、どうして忘れてしまっていたんでしょうね。

(118) イザベル・アジャーニ
HODGE 投稿日:2000年5月6日<土>02時57分/東京都

早速のレス、ありがとうございます。やっぱりインターネットって便利ですね。
あいかわらずのJoseさんの歯に衣着せぬ物言い、爽快で、すごく好きです。
そうですね、僕も「乱交」目的で、同類のゲイが集まるは好きなんですが、ただゲイだからといって集まっても、それ自体はそれほど面白いものではないですよね。
Joseさんも、同じように思っているのかどうかわかりませんが、ファッションにしろ、ゲイリブにしろ、メディア的なリーダーにしろ、僕が思うに、何かどれも「アマチュア」っぽくて、また「それでいい」ような雰囲気がありませんか?
それに「オリジナリティ」がどうのこうの口に出す人って、先人(あるいは基本)のマネをするための技術と技量と忍耐力の無い人の逃口上みたいに思いますね。
僕は書道と弓道を教わったことがあるのですが、最初は完全な「模倣」でした。音楽はキチンとやっていないのですが、やっぱり先生の「模倣」を一度はキチンとするのではないのでしょうか。というか「模倣」する能力のない人が「オリジナリティ」を発揮できるとは思えません。ピカソにしても初期は完全な写実でしたよね。

まあ話がずれてしまいましたが、例えばゲイリブに関しても、ボランティア的活動も必要だと思いますが、本当に何か「法案」を通したいのであれば、組織力と資金力を供えた圧力団体的なロビー活動をすべきだし、発想を変えれば、ゲイの活動家はゲイ団体で活動するのではなくて、自民党議員に立候補するとか、法務省の役人になるとか、Joseさんが言うように、「ゲイの集う場所」ではなくて、「政権」に近づくべきだと思いますね。

おっと話がカタくなってしまいましたが、そうそう「カミーユ・クローデル」の女優はイザベル・アジャーニです。彼女は結構ヨゴレ役もやったりしますね。でもイザベルって良い名前ですね(笑)。





(117) そうですね
Jose 投稿日:2000年5月6日<土>01時23分/埼玉県/プ〜太郎/38才

ゲイが絡む映画ってビデオで充分ですね、大体が詰まんないし、回りがお仲間ってのが一番厭です。
日本てホントに同類だけで集まるのが好きな民族だと思いませんか?「オヤジ達と同じ恰好なんてダサい」と言いつつ一時代前と同じ恰好をする若者、「市民権を」と語りつつゲイの集う場所にしか行かないゲイの人達、「オリジナリティを」と言いながらマニュアルがなければ思考もしない様々なカリスマ的リーダーと呼ばれる人達、よくわかりません。

そう云えば映画や文学については殆ど固有名はわからないのですが、「カミーユ・クローデル」や「王妃マルゴ」の女優の名前は何でしたか?あぁいった女優は好きなのですが、名前を覚えていないのです、覚えようともしなかったのですが・・・。
彼氏との会話の中で出てきたのですが、二人ともどうしても思い出せなかったのです。
因みに「カミーユ」はテレビで見た物ですし、「マルゴ」に至っては見たいと思いつつ未だ観た事がありません。

「従兄ポンス」は興味深いですね。捻くれ者の僕にはピッタリの気がします。

(116) 彼氏と映画なんて
HODGE 投稿日:2000年5月6日<土>00時29分/東京都

Joseさん、こんにちは! おひさしぶりです。
彼氏と映画なんて、うらやましいですね。「ボーン・コレクター」って原作は評判が良かったらしいのですが、やっぱり映画と小説は違うみたいですね。
でもまあ、アフター(ビフォア)映画で愉しめたのではないでしょうか?
映画と言えば、以前「司祭」や「百合の伝説」と言った、ゲイ映画を当時の彼と見にいったときは、周りも「それらしい人」達ばっかりだったので、なんか落ちつかなかったですね。

最近バルザックの「従兄ポンス」を読んだのですが、そこに「ローマ大賞受賞者の末路」という章があって、バルザックの時代から、こういったアカデミズムを揶揄したり馬鹿にいているんだなあ、と思いました。まあこういった肩書きを有りがたがるのは、田舎者と外国人みたいですね──さすがバルザック。

最近ここも静かなので、皆さんのの書き込みを期待しています。


(115) 昨日
Jose 投稿日:2000年5月5日<金>00時09分/埼玉県/プ〜太郎/38才

こんばんは、お久しぶりです。
音楽とは全く関係ないのですが、昨日「ボーン・コレクター」をパートナーと見に行きました。つまんなかったです。意外な人が犯人だったのはいいけれど、その人が一体何時の間に出てきたのか、前半寝てたので全く分らず、意外すぎて恐くもありませんでした。 こう云う経験てあります?


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