THE LAST ILLUSION
BOOKS OF BLOOD



ラスト・ショウ

矢野浩三郎訳 集英社文庫



死は生なればなり The Life of Death

エレインは虚ろだった。悪性の腫瘍のため子宮を失った彼女はまったくの空虚な状態にあった。そんな彼女がある中年男性(カヴァナー)と知り合い、その空虚を埋めるかのように、取り壊される教会の地下埋葬所に導かれていく。そしてそこで遭遇する大量の死-屍体の山。
不思議なことに、「死」と触れ合ったことにより、何か漲るものが、生きる喜びのようなものが、彼女の内部で生まれてきた。
わたしとわたしの子宮とは同一物じゃない、子宮を取り去ったからといって、わたしという存在までが消滅したわけじゃないのよ、

p.21-22
虚ろな状態から解き放たれたエレイン。しかし、彼女の周囲では「死」がその匕首を振り翳していた。彼女の同僚が次々と変死していった……。


処女マリアに大天使ガブリエルが神の尊を伝える「受胎告知」。マリアは神の子を宿す。
しかしこの作品は「クライヴ・バーカー」である。子宮を失い生殖を断たれた女性が宿すもの──それは死神の子だ。それだけでなく、彼女そのものが死神に変容していく。
「死」に魅せられるエレイン。さらにそこにもう一人「死」に魅せられた男カヴァナーが登場する。彼もまた生殖とは無縁の男──しかしゲイではない──で、「死」に向かって彼の男根を勃起させる。そう、彼は死体を愛する男。彼が行うのは死者との静かなセックス……死姦だ。

バーカーにしては抑制された静かなタッチの作品である。そしてその謐けさの中で生と死の逆転が囁かれる。「死」は漲る生命力を持っていると。恐るべき皮肉だ。

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血脈のトワイライト・タワー Twilight at the Towers

『丘に、町が』の「奇想」を別格とするならば、「血の本」の中で、個人的に最も心動かされた作品。読みながら目頭が熱く痛くなり、涙こそ零れなかったものの、目の前の視界がぼやけてしまった。
一言、感動した。
この作品は、アンリアルな設定を取ったリアルなゲイ・ストーリーである。

西ドイツ、ベルリン。時代はまだ冷戦の最中だ。イギリス保安部(MI5)の諜報員バラードは、亡命を希望しているKGBの将校ミロネンコと接触する。その会見からバラードは、ミロネンコの党に対する失望、忠誠喪失を確信する。
「(ソ連の)管理本部には私でも知らないセクションがある。特殊病院だ。そこへはだれも立ち入れない。人の魂をばらばらに破壊してしまう所だ」

p.132
すぐさま上司のクリップスに報告するも、ミロネンコ亡命に対する決定は先送りされる。それだけでなく、その後、同僚のサックリングから「ミロネンコ問題」における意外な顛末を知らされる。

サックリングの話によると、クリップスはミロネンコと直接話し合うべく出かけていったが、会見場所で彼らは襲われた。クリップスは昏睡状態に陥り、同席していたバラードの元同僚オーデルは死亡、ミロネンコは行方不明、ということだった。しかも彼は、バラードとミロネンコが「通じて」いるかのようなニュアンスを言外に匂わせていた。
バラードは孤独な、一匹狼のエージェントであった。

そんなある時、バラードはオーデルを発見する。行き付けの異性装趣味の男たちが集まるバーでの帰り、ある男同士のカップルが、奇怪な「殺人者」に襲われた。被害者はスタズタに体を引き裂かれた無残な状態であった。バラードはその獣のような「殺人者」を見た。が、「殺人者」は車に撥ねられ死んでしまう。その「殺人者」こそ、かつての同僚、死んだと告げられたオーデル、かつての「友人」であった……。


「獣」に変身する「種族」。映画『キャット・ピープル』と似た設定であるが、バーカーのこの作品は、エピソードの一つ一つ、セリフの一つ一つにゲイの苦悩、欲望、悦び……そういった情動を、「別の種族」に擬えながら、切実に描いている。
どうしたって感情移入してしまう。そして、胸を掻き毟られる。
「……あなたも思い出しただろう? 私たちは同類だ」
「ちがう」バラードはつぶやいた。
ミロネンコは剛毛の生えた手で、彼に触れた。
「恐れるな。あなたは独りではない。仲間は多数いる。兄弟も姉妹も」
(中略)
「自由を味わわないのか、バラード? それと、命の味を? それはすぐそこにある」
バラードは歩きつづけた。鼻から血が流れ出したが、流れるにまかせた。「苦痛を感じるのはしばらくの間だけだ」ミロネンコは言った。「じきに痛みは消える」

p.168
女装した男たちが集まる退廃的なバーは言うまでもなく、「獣」に「変身」した男たちが「公園」で繰り広げる狂宴(=クルージング)。その狂宴に銃を向け、「獣」たちを虐殺しようとする「敵対者」。サックリングを問い詰め、殺そうとする「欲望」に憑かれたバラードを見て、「二人の密会」と誤解した受付の女性の態度まで。──まさしくこれはゲイを描いたものである。

主人公バラードは本来の自分の姿を恐れる。彼の内部でヘリコプターのローター音が鳴り響き、激痛に苛まれる。闇の声を聞き、葛藤する。「声」は彼の「夢」を埋葬しろと命令する。
バラードが葬り去ろうとした「獣性」は、まさにヘンリー・ジェイムズの描いた「獣」である。そしてこの「種族」、人であり獣である「種族」の持つ二重性はサキの「ゲイブリエル-アーネスト」をイメージさせる(ジェイムズ、サキの両作品とも平凡社ライブラリーの『ゲイ短編小説集』に収録されている)
この種族には、「名前」というものはない。
ちがう、と鏡の中の男(バラード)は思った。ここにはそんな名前の男はいない。事実、どんな名前の者もここにはいないのだ。名前こそは信仰の第一歩ではないか? 自由を埋葬する柩に、まっさきに入れられる札ではないか? おれがいまなりかかっているものに、名前などはない。だから二度とふたたび、閉じ込められることも、埋葬されることもないのだ。

p.177
そしてこの作品のクライマックスは、「獣」に変身したバラードが、その「志向性」(=セクシュアリティ)を認識するところだ。
「バラード、教えてくれ──」彼(クリップス)は言った。「どんな感じだ?」
獣(バラード)には質問の意味がまったくわからなかった。
(中略)
「答えてくれ、バラード。どんな感じだ?」
クリップスの絶望の眼差しに見入っていると、彼の口にした声音の意味がわかってきた。言葉がモザイクの断片のように、その適切な場所におさまっている。「いい気持ちか」男はそう尋ねているのだ。
獣は自分の喉が笑い声をたてるのを聞いた。そして返事の言葉が自然にわいてきた。
「はい」と、彼は泣いている男に答えた。「はい、いい気持ちです」

p.180
かつての上司に、かつて人間だったころの上司に「獣」になったバラードが言うセリフ 「はい、いい気持ちです」
血と肉片が飛び散る壮絶なシーンの只中で発せられる最も純粋な言葉。これこそ詩情と言うものではないだろうか。

彼は、「獣」にあるいは「怪物」に変身してしまった自分を思いっきり肯定する。至福を知る。

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