BEYOND THIS POINT ARE MONSTERS
BOOK REVIEW


「緋色の記憶」 トマス・H・クック




この本はほどんど朝夕の通勤電車の中で読んだので、読了まで二週間以上もかかってしまいました。ただこの本のおかげで、暑く狭苦しい車中にもかかわらず、とてもよい時間を過ごせたような気がします。静かに語られる過去が、思春期特有の甘いノスタルジックな雰囲気につつまれて、心地良く感情移入できました。
女教師が主人公の前にあらわれ、蠣殻の白い道を歩いていくシーンは視覚的にも美しいだけでなく、主人公の揺れ動く感情を暗示し、これから起きる悲劇を予兆しているようです。
姦通を犯したとして告発される女教師。主人公の母親をはじめ、チャタムの住人は彼女を罵り、重罪を要求する。まさにホーソンの「緋文字」でヘスター・ブリーンを罪の壇上へ登らせた、ピューリタンの非寛容が、およそ100年後のチャタムで繰り返られている。二人の女性はともに「自由」を求めて行動しただけなのに。

もう一つ「緋色の記憶」で印象的だったのは、主人公のメイドのサラの存在です。貧しいアイルランドから移住してきた少女は、貧しいにもかかわらず、希望を持ち、読み書きを習おうとします。勉強することに喜びを感じ、教えてもらうことにとても感謝し、彼女出来る最高のこと・・・・クッキーを焼いて女教師にプレゼントする。その、けなげな気持ちが胸を打ちました。自分もこういう気持を失いたくないと、電車の中でこの本を読みながら思いました。だから最後でサラに降りかかる運命の残酷さは、たまらなくショックで悲しかったです。


BGM: レフ・ヤナーチェク作曲 弦楽四重奏曲第2番 "Intimate Letters"




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危険な童話 
土屋隆夫

光文社文庫


彼女は、僕の幻想の中に、確かに存在し、それは、思春期のぼくにとっては、性愛の対象でさえありました。ぼくは、自分の寝室で、月光を浴びながら、始めて自慰をしたことを覚えています。

「月女抄」という美しい幻想的な物語。地上の少年と月の女との恋愛。その作者である文学青年は執筆中に発狂して自ら命を絶つ。彼はフィクションと現実の区別がなくなってしまったのだ。
そしてこの限りなく美しい童話が、ある殺人事件の(そしてこの小説の章の各扉)前奏になる。


殺人事件そのものは非常にシンプルである。傷害致死で服役し、仮釈放されたばかりの男が、セルロイドの人形を手に掴んで殺されていた。犯人と思われる人物はすぐに特定されるが、凶器が見つからなく、しかも動機がわからない。

しかし無邪気な童話が全編に、巧妙に配置され、冷酷な殺人と絡みあって、実に鮮烈な印象が残る。
一人の男の苦悩が「けだものの日記」”おれは、畜生のように、四つんばいになって、これを書く”として残され、もう一人の男の苦悩、そして、女の絶望が明らかになる。


BGM: アーノルド・シェーンベルク作曲 「浄められた夜」



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「たたり」 シャーリィ・ジャクソン




シャーリィ・ジャクソンは短編「くじ」の印象があまりに激烈で、しばらくその後遺症めいたものが残ってしまいました。この「たたり」は「くじ」ほどアクが強くなく、ヒロインを襲った悲劇は、様式的に美しくさえあります。
一人の女性が「丘の屋敷」の意思と波長があってしまい、じわじわと狂わされていく。発狂していくのがまるで自分のアイデンティティを発見していくような、どこか愉しいように描写されているのは、かなり不気味です。スーパー・ナチュラルな要素はありますが、あくまでもそれは登場人物が感じたこととして現れ、荒唐無稽さはまったくありません。モダン・ホラーに登場する現実的な職業をもった、例えば弁護士やビジネス・ウーマンの日常などはなく、心霊学研究家の博士や心霊体験を持つ若い女性、それに放蕩息子が幽霊屋敷でロマンティック過ごすといった趣があります。例外は、博士の妻とその連れの学校長でナイーブな博士や心霊体験者に現実的合理主義を押し付けます。
”旅は愛するものとの出逢いで終わる” このリフレーンが自分の耳にも聞こえてきそうな気がします。


BGM: アルバン・ベルク作曲 ヴァイオリン協奏曲「ある天使の思いでに」



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「血兄弟」(招かれざる客たちのビュッフェ) クリスチアナ・ブランド




ブランドの「ジェゼベルの死」の極北のトリックを「知って」から、ミステリを読む「スキル」が上がったような気がします。トリックそのものだけではなく、そのプレゼンテーションや必要な登場人物の手配、綿密なタイム・テーブル。
「招かれざる客たちのビュッフェ」はそのどれもが素晴らしく凝っていて、彼女の有能な仕事ぶりを堪能できます。
そのなかでも「血兄弟」。犯人は双子の兄弟のどちらかである、というズバリ二者択一をめぐって、展開するストーリーはまさに作者との対戦ゲームをしているようなものです。こちらが兄が犯人だ思った次の瞬間には、向こうは弟だと思わせ、考えが変わったところで、また二転三転する。題名の「血兄弟」と言葉もきちんとダブルミーニングを使われて、このゲームにはまったくバグが見当たりませんでした。


BGM; ルトスワフスキ作曲 「パガニーニ主題による変奏曲」



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「やけたトタン屋根の猫」 テネシー・ウィリアムズ




言わずと知れたウィリアムズの傑作戯曲で、ピューリッツァー賞受賞作。エリザベス・テイラーとポール・ニューマンの出演で映画化されて、大好評になった。またNHKで放映している「ビヴァリーフィルズ青春白書」でも、登場人物の女子大学生ブレンダとローラがマギー役獲得を争う場面があったりして、アメリカ人にとっては非常にポピュラーなストーリーなんだな思っていた。そんななか小田島雄志による新訳が出たのでミステリ読むように気軽に読んでみる。
酒浸りで自暴自棄の夫ブリック。その夫の愛を取り戻そうとグロテスクなまで夫に詰め寄る妻マギー。しかし夫には秘密の愛人が。ところがその愛人は男で、もうすでに死んでいる。自殺だ。何故?その原因はマギーにある。マギーはこの男を挑発し、ベットに誘うが、男はマギーと出来なかった。思いつめた男は自殺。それ以降、ブリックは頭に「カチッ」と音がするのを、酒を飲んで待ち、妻マギーに対しては「たのむから男をつくってくれ」とマギーの愛情をはねつける。この荒涼とした夫婦関係に、癌に冒されたおじいちゃんの莫大な遺産相続と、それをとりまく家族の思惑が絡んでくる。パトリシア・ハイスミスを彷彿とさせる暗い心理ドラマでミステリとしても十分に楽しめると思う。


BGM:デューク・エリントン 「ソフィストケイテッド・レディ」



「鏡よ鏡」 スタンリー・エリン




発端はこうだ。浴室の火薬の匂い。女の死体。明らかに自分のもとの思われる銃。いったい女はだれなのか、自分が犯人なのか?異様な状況を前に、男のモノローグが始まる。
内容は、SEX,SEX,SEXフロイト理論を敷衍したような、性的な隠喩、象徴を臆面もなく投げつける。ただしその性的なエピソードが、ミラーの「鉄の門」の妄想と同じく、単なる異常心理の露出にとどまらず、謎解きのキーになっていて、それらを再構築することによって、この小説の仕掛けがわかるようになっている。
夢、幻想、架空の法廷、女たち、男たち。主人公のリビドーは何を訴えているのか。
そして裁判が閉廷すると、「鏡」があった。


BGM:当然 カール・オルフ作曲 「カルミナ・ブラーナ」



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「暗い鏡の中に」 ヘレン・マクロイ




魅力的な謎、不可能犯罪、怪奇趣味。これらをあますとこなく描き、緻密な論理で解決してみせる作者の技には舌を巻く。文章もどこかノスタルジックで、ラストの幻想的な幕切れも見事だ。こんな傑作が絶版になっているのも不可解な謎だろう。
ある女子寄宿学校の女性が、退職を迫られる。その理由は、彼女には分身がいるからだという。目撃者もいる。たしかに不可解の出来事も起こっている。しかもその女教師は、以前も同じことがあったという。そんななか第1の殺人が起こる。目撃者はその女教師が殺人を犯すのを見たという。しかし彼女は同時刻に別の場所にいたことが明らかになっている。これは彼女の分身が殺人を犯したのだろうか。そうとしか考えられない。物理的に同時刻に遠く離れた別の場所に出現することは、絶対に不可能だ。
そしてもう一つの殺人。「分身に出会ったら、その人は死に出会った」という言い伝えどおりの殺人がプレゼンされる。これは見物、読み物です。


BGM: アンリ・デュティユー作曲 チェロ協奏曲



「シンポジウム」 ミュリエル・スパーク




発狂するということは悲劇なのだろうか。それは周りの人たちにとっては、そうなのかもしれない。小市民的な道徳に迎合する作家は、当然悲劇として狂人を描く。だがイギリスにおける少数派、カトリックの作家スパークはそんなブルーな真似はしない。スパークの小説のなかで最もいきいきとしているのは、精神異常者と変人と呼ばれる少数派だ。
この「シンポジウム」でも、とびきりの精神異常者ヒーロー、マグナスが登場する。彼はスコットランドのバラッドを口ずさむインテリで、奇抜なファッションに身を包みながらも、家族からも一目を置かれるほど頭脳明晰。なるほど、「中世には狂人は神に知恵を与えられた」という記述がある。そういえばフーコーの「狂気の歴史」を紐解くまでもなく、狂気は近年新たにカテゴライズされたジャンルにすぎないのではないか。マーガレット・ミラーなら「怪物」と呼んだ、一般的には「恐ろしい」ものとされている「不実な感性」。ところがスパークの「狂人」マグナスはエネルギッシュでじつに愉しそうだ。「狂気」は特別な「能力」のようにも思える。
一方ヒロインのマーガレットは明らかに 魔女の属性を持つ。彼女の周辺で死が跳梁し、事件が頻発する。しかもその結果はすべて彼女を利するものだ。彼女は周囲に禍を招いているようだが、彼女が実際に事件にかかわっているのかどうかはわからない。なにしろスパークはところどころに他者の哲学というギミックで読者を翻弄する。かくて饗宴は始まり、奇人変人入り乱れ、事件は進行する。


BGM:エリック・サティ作曲 「パラード」



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「求婚する男」 ルース・レンデル




すべてあいつらが悪い。レオノーラとの仲を引き裂いたのは、やつらの陰謀だ。ギャングあがりの実業家ガイ・カランは、こう思い込み、どんな手を使ってでも、レオノーラとの「恋」を邪魔する障害を排除しようとする。ガイのレオノーラに対する愛は、あまりにピュアすぎて、読むほうも胸が締めつけられる思いがする。ちょうど黄色いチョッキを着たウェルテルが報われぬプラトニックな思いを吐露するように、恋愛は狂気と触れ合う。
「ぼくはレオノーラなんだ」「ぼくたちは一人の人間なんだ」
プラトンの「饗宴」でソクラテスが説いたように、もとは両性具有だった人間が、分裂した片割れを求める。ガイにとっては、レオノーラを求めることが生存そのものなのだ。そして彼がレオノーラとの恋が成就できないのを家族のせいにするレトリックは超一流だ。それこそその小説の読みどころである。
これに対しレオノーラは、毎週土曜にガイとランチを取る。これは不変の行事であった。なにがなんでも、たとえ、レオノーラに結婚相手ができても、ガイと口論しても彼との土曜ランチは行う。この不変の行事が崩れたときが、ガイにとって破局になりレオノーラにとって勝利になる。


BGM:アストル・ピアソラ作曲 「ブエノスアイレスのマリア」



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「ホット・ロック」 ドナルド・E・ウエストレイク




アメリカでは SSRI(Selective Serotonin Reuptake Inhibitors) という新世代抗鬱剤 がビジネスマン、ビジネスウーマンの間で人気らしい。PROZAC(プロザック)に代表されるこれらの抗鬱剤は、「憂鬱な気分や暗い性格が修正され、前向きな思考ができるようになり明るくなる」のだそうだ。ストレスの多い社会では、そういったクスリも必要なんだろう。日本でも最近個人輸入でこれらのクスリを手に入れる人が増えているという。
残念なことだ。彼らは PROZAC あるいは国産精神安定剤NO1のデパスよりも、効き目があり、手軽で安上がりのクスリがあるのを知らないのだ。
ウエストレイクのドートマンダー・シリーズ。習慣性と、ときどき禁断症状が起こるのは、他のクスリと同じだが、即効性に関しては、これに勝るものはない。例えば「ホット・ロック」の数ページをめくっただけで、もう顔が緩み、電車の中だろうが、喫茶店の中だろうが、つい噴出してしまうだろう。
天才泥棒ドートマンダーをはじめ、相棒のケルプ、キレた運転手マーチ(彼の母親もいい味だしてる)、模型機関車クレイジーのチェフウィック、不運なプレイボーイのグリーンウッドのキャラがじつに楽しく、彼らの冒険はサイコーに面白い。この本ではドートマンダー一味がコロシアムに展示されている高価なエメラルドを盗むという大胆でスケールの大きい仕事をヤル羽目になる。その手口の斬新さ、発想の奇抜さに思わず膝を打つ。サスペンスも十分。読み終わった後は「憂鬱な気分や暗い性格が修正され」、ヤル気が湧いてくるでしょう。
それにしても「アフガニスタン・バナナ・スタンド」という文句は可笑しい。あ、くれぐれも会議の場や葬式で思い出し笑いをしないように。


BGM:リッキー・マーチン "The Cup Of Life"



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「殺人探求」 フィリップ・カー




映画で見たら面白かっただろう、というのが正直な感想です。近未来のヨーロッパでヒロインの刑事が連続殺人事件を追う。大脳生理学の発達のおかげで、遺伝的に暴力抑止力を持たない男性=未来の犯罪者予備軍としてロンブローソ・プログラムというデータ・ベースに登録可能になった時代。犯人はそのデータ・ベースに侵入し、登録されている男性を殺していく。功利的、社会的使命感を持った犯人も実はプログラムに登録された人間で、コード・ネームはウィトゲンシュタイン。ヒロインと犯人、それにケンブリッジの哲学の教授を交え、哲学的問答を繰り広げながら、真相に辿り着いていく。
まあ、90年代の「僧正殺人事件」といっていいだろう。連続殺人事件ものなので、緊張感とサスペンスは十分にある。ただし、作者が設定をよりリアルにしようとして、コンピュータのハック・シーンをかなり詳しく説明しているが、これが、実に「こんなのアリ?」というくらいお手軽なんだな。まあ、書かれたのが90年代始めだからしょうがないが、もう少し「日経コンピューター」でも読んで参考にいたほうが良かったと思う。「ハッカー・ジャパン」という本を中学生が読んでいる日本では、ちょっと苦しいかな。それにコンピュータに限らず、たとえば銃器や乗り物に関して、あまりリアリティを強調して書きすぎると、その部分は文学として陳腐になってしまうように思える。アガサ・クリスティが「ディクタフォン」自体についてあまり書き込まなかったのは賢明なことだろう。
この「殺人探求」では挿入された、「理想の殺人」という名の小論が興味深く読めました。
そう、近未来のイギリスといっても、貴族は健在で、スーパーも早く閉まってしまうのですね。


BGM: フランツ・リスト作曲 「ハンガリー狂詩曲第2番」





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