BEYOND THIS POINT ARE MONSTERS
BOOK REVIEW

Ruth Rendell ●LINK


「長い夜の果てに」 バーバラ・ヴァイン(レンデル)


ティムに送られてくる差出人不明の手紙。「海の孤島で難破した人物の実話」という、それ自体は独立したテクストでありながら、独特のフォルムを持った告発文であり、独特の効果を狙った脅迫である。いったい誰が、どんな目的で手紙を送りつけるのか?ティムは過去を振り返り、「ヰタ・セクスアリス」のごとく、彼の体験を告白する。
このティムの手記のような部分は非常に濃密である。ある意味では文学の持つ多様な機能、つまり人間相互の関係、その複雑な感情と情緒を持ち過ぎているため、ジャンル小説として弱点になっているかもしれない。それがヴァイン名義の作品の特徴でもあるが、歓迎すべき弱点である
この小説で重要なモチーフである青年ティムと古生物学者イヴォーとの男同士の恋愛。それは、例えば「精液とシャンパンの甘ったるい匂いが籠る部屋の汗にまみれたベッドの上で繰りひろげられる格闘」といった作者の想像力を働かせた表現も見られるが、エロティックなエネルギーよりも、ティムの観念的な省察に重点が置かれる。卓越しているのは、同性愛という素材の表現よりも、その使い方であり、精緻な心理描写の中に、伏線を張り、引用された小説やオペラも重要なキー(とくにシュトラウスの「ばらの騎士」をもってくるあたりは、さすがである)として配置する。これは手の込んだ心理ミステリーに他ならない。また、文中 M・R・ジェイムズ、ドロシー・セイヤーズのダンテの翻訳、弁護士の「ローヤー」と「ソリシター」の使い分けなど、ミステリ好きならニヤッとするエピソードある。
ティムとイヴォーのギリシア的恋愛は、やがてティムの裏切りと殺意で破局を迎える。だが、殺したはずのイヴォーの幻影がティムを告発し、彼は罪の意識にさいなまれる。彼はやがて神経が衰弱し、錯乱していく。だが、緊迫感は徐々に高まっていくが、レンデル名義の作品と違って狂気は爆発しない。錯綜したプロットが、ちりばめた小道具とともに見事に結実し、エレガントな文体とあいまって、予想外に美しい結末になる。レンデルの作品で、ハッピー・エンドとして取れるのは初めてではないか、というくらい異色作で、不思議な後味を残す。



BGM:マイク・オールドフィルド 「チューブラ・ベルズ」  



「悪夢の宿る巣」 ルース・レンデル


今回の犠牲者は、スタンリー・マニング。クロスワード・パズルに関しては天才的だが、義理の母の遺産を頼りにしている生活力のない小心者の中年男性である。彼が義理の母に殺意を持ったために、作者レンデルによって、サディスティックなまでに痛めつけられる。レンデルはご丁寧にも、スタンリーのクロスワード・パズル趣味に合わせて、「白いマス目」、「ヨコのカギ」、「タテのカギ」、「ラスト・ワード」の四部形式のスライド・ショーを用意し、破滅へのプレゼンテーションをスタートさせる。これが実に効果的で、さすがレンデルTMである。
スタンリーと義理の母モードはお互いを亡き者にせんと、苛烈なゼロ・サム・ゲームを繰り広げていた。相手を傷つけ一喜一憂する間柄だ。スタンリーの妻でモードの娘ヴィーラ存在も曖昧で、とりたてて夫と母親をとりなす影響力はない。そんな中、スタンリーにとって決定的なチャンスが訪れたように思えた。モードの友人で、エセルという老婆がスタンリー家にやってくるやいなや脳卒中でポックリと死んでしまったのだ。エセルが死んだとき家にいたのはスタンリーだけで、彼女が死んだことを知っているのは誰もいない。そこでスタンリーはひらめいた。この偶然死んだエセルを自分の義理の母モードとして、死亡届を出してしまおう。そしてその後、モードを殺してしまおうと。この考えを実行するに至り「白いマス目」から次のフェーズに移る。冴えない小心者の男がついに殺人を犯すのだ。
逆に冴えわたっているのはレンデルの筆だ。スタンリーがモードを殺した日。それは彼がここ20年ではじめてクロスワード・パズルをしなかった日で、これ以降、スタンリーは破滅の道を転がり落ちていく。その追い詰め方といったら(もう一度)さすがレンデルTMである。


BGM:アーノルド・シェーンベルク作曲 「管弦楽のための変奏曲」  



「ロウフィールド館の惨劇」 ルース・レンデル


「今日、ママンが死んだ」と呟き、「太陽のせい」で殺人を犯したのは「異邦人」のムルソーだが、彼の犯罪(当時はセンセーションを巻き起こしたが)も、「ユーニス・パーチマンがカヴァデイル一家を殺したのは、読み書きができなかったためである」という衝撃的な事実の前には、もはや新聞の第一面を飾ることはできない。
なぜ? なぜユーニスは一家皆殺しをしたのか? 文盲が原因なのか? と質問しても読者を納得させる解答は返ってこない。レンデルは「怪物」を診断しない。心理学のコンテキストをもとに苦渋の三段論法を展開させない。レンデルのナレーションは、有無を言わせぬ威厳を持ち、ときとして尊大なくらい断定的だ。まるでソドムの滅亡を語る預言者のように。
使用者と使用人という階級的なコンプレックスを風刺的にチラつかせながら、ユーニス VS カヴァデイル家という図式が出来あがり、後戻りの出来ない最終的なシナリオへと収束していく。この殺戮へのメカニズムは、白状するならある種の快感を味わえる。だから道徳的に潔癖な人は、まるでゴキゲンな乱痴気騒ぎを楽しんでしまったような感覚を隠蔽するような、あるいは弁護するような語彙が必要だろう。例えば「不条理」のような。


BGM:モーリス・ラヴェル作曲 「ボレロ」  


「地獄の湖」 ルース・レンデル


まず、フィンというマッドネスが紹介される。身体的特徴、「ほう、ほう」という口癖、パイナップルジュースを好んで飲むこと、そして彼の母親も精神的病癖があるということ。十分危険な人物で、こいつが何かしでかすということは明らかだ。読みどころは、このフィンという爆弾が、いつ、どういうふうに、このストーリーの主人公であるマーティン・アーバンに降りかかるかである。読者は神経をピリピリさせながら読み進んでいくしかない。
会計士マーティン・アーバンはサッカーくじで大金を当てた幸運な男のはずだった。彼はもらった金額の半分を恵まれない人たちに与えてやろうとする。だが、それはことごとく裏目に出る。この偽善的な慈善活動が、じわじわとフィン(爆弾)に近づいていく。
もう一つマーティンには後ろめたいことがあった。そもそもこのくじの番号は友人のティム・セイジが当てたものだ。マーティンはティムにくじが当たったことを話さない。彼はゴロワーズを吸うこのハンサムな青年に特別な感情を抱いているのだ。二人でレスリングをする夢--ロレンスの「恋する女たち」を踏まえたような、同性愛の暗示。さらにそこへフランチェスカという若い女性が現れる。決して正体を明かさない謎めいた女。マーティンはこの女と恋に落ち、爆弾(フィン)にさらに接近していく。


BGM:オリヴィエ・メシアン作曲 「鳥たちの目覚め」  



「乙女の悲劇」 ルース・レンデル


作者の「しかたなく書いている」というネガティブな発言にもかかわらず、レンデルのウェクスフォード警部シリーズは伝統的な探偵小説のスタイルと現代的で新鮮な切り口を持った優れた本格推理小説である。ヤりたい放題のキ印ノン・シリーズや書きたい放題の饒舌ヴァインに比べると多少地味な感じを受けるが、シリーズものはクレバーな謎解きと洗練されたユーモアが味わえる英国マーケット無敵の安定株だ。
ウェクスフォードの造形もいい。良い意味でも悪い意味でも、彼は社会問題や家庭問題においてニュートラルな立場を貫く穏便な常識人であって、肝心の事件を撹乱するほど強烈な個性をスパークしない。厳密でない演繹法と視力の良さに頼ったクラッシーな名探偵とは違うし、佐川急便マンのように、いつも走りまわり、暗い過去と、まるでクスリでもヤっているんじゃないかと思われるハイ・テンションンを売り物にした UG 系アメリカ人探偵とも違う。ウェクスフォードは知力体力をバランス良く合理的に使う、理想的中産階級キャラクターである。
で、「乙女の悲劇」だが、フランス書院風のタイトルとカバーとはウラハラに読者を劣情的興奮ではなく知的な興奮を与えてくれる。
ウェクスフォードの地元サセックス州キングスマーカスで発見された女性の他殺死体。被害者は20年前に町を出たローダ・コンフリーという50歳になる女。だか彼女について、名前以上のことを知っている人間は誰もいない。身内の人間でさえ、彼女の現住所も知らないのだ。どうやら偽名を使って二重生活を行っていたらしい。ウェクスフォードは、ローダというたいして魅力的でない中年女性(この年齢で処女だった、たしかに乙女の悲劇)が殺されたのではなく、もう一人のローダを知る人間がもう一人のローダとして殺したのではないかと推測し、彼女のロンドンの生活に関心を抱く。
ストーリーは実にシンプルで、殺された女のロンドンでの「存在証明」一点に限って推理される。彼女がロンドンではどういう人間であったのか、というより誰であったのかがわかれば、犯人も自動的にわかるというシャレた趣向だ。後半、犯人に自白させるウェクスフォードのスタンド・プレイも実にサスペンスフルで、真相の提示がいっそう鮮やかにキマる


BGM:アーノルド・シェーンベルク作曲 「心のしげみ」  




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