BEYOND THIS POINT ARE MONSTERS
BOOK REVIEW


悪魔に食われろ青尾蝿
Devil Take the Blue-Tail Fly
ジョン・フランクリン・バーディン/John Franklin Bardin
浅羽莢子訳 翔泳社
装画 松本圭以子
ISBN4-88135-737-9


”そう、エレンは荘厳なる音、うねり、うつろい、たなびきはしゃぐ体系となったのだ。時空間にとらわれないのは、そこから生まれ育ち、それによって構成され、その当然の結果であるがゆえ。エレンは音程、旋律、拍子、和声そして音色。中で木管楽器が吹き、金管楽器が荒ぶ一方で、弦の甘い嵐、鍵盤の知性に自ら宿っている。これこそが、たとえ自分では知らなくても憧れていたこと、これがエレンの誉れであり至福・・・・・” ─本文147ページより─


終始奇妙な音楽がガサガサと鳴り、ノイズは次第に増幅され、作中の言葉を用いるなら「苦痛の交響曲」を奏でる。
この『悪魔に食われろ青尾蝿』は実に音楽的な作品である。解決されない和音がサスペンスを生み、不安な音程が夢と現実の間で揺れる。不協和音は悲鳴になり、歪んだ旋律は死を導く・・・・・文章の中に巧妙に散りばめられた音楽用語は、言いようのない恐怖を助長し、不可思議な余韻を残すのだ。

ストーリー
ハープシコード奏者のエレンは、精神病院を退院する。しかし何かが変わってしまった。愛する夫の態度、そして音楽の感じ方までも。そんな不安に怯える彼女の前に一人の男が現れる。彼はエレンが殺したはずの男だった・・・。彼女は再び混乱をきたし、過去の陰惨な出来事に苛まれる。
暗い過去──三歳のエレンはどす黒い闇を覚えていた。そして母親の甲高い叫び声も・・・「だめよ!──その子の髪の毛一本ふれたら殺すわよ!」



まず、とても面白かった。そしてこの本、この作家に出会えて本当に嬉しかった。
ジュリアン・シモンズが絶賛、H・R・F・キーティングの『ミステリ名作100選』に選出、パトリシア・ハイスミスが賛辞を寄せたと言うのも全く納得がいく。

読んでいくうちに、これは・・・と思った。異様なシチュエーション、精神分析を踏まえた緻密で繊細な心理描写、暗示的な凝った文章。そう、僕の大好きなマーガレット・ミラーの作風(特に初期)を彷彿させるのだ。
途中でなんとなく「仕掛け」が解るかもしれないが、それでも緊迫したサスペンスはリーダビリティ満点で、ラストでは暗いカタルシスを十分に味合わせてくれる。
作品は1948年に発表されたものだが、ミラー同様全く古びてはいない。傑作である。

また芸術(音楽)家小説としても興味深く読める。エレンがバッハを、音楽を感じ取れなくなったのは何故なのか?
作者はかなり音楽に精通しているようだ。会話の中にグスタフ・マーラーやヒンデミット、ショスタコーヴィッチが登場するが、書かれた年代からすると何れも当時の現代音楽だろう。何より才能ある音楽家の苦悩、楽曲の解釈、音楽感の相違等がミステリーの「仕掛け」と絶妙に共鳴している。この「はなれわざ」を絶賛したい。



この本には二つの「解説」があるが、恩田睦のエッセイは、はっきり言って感心しない。長々と(本当に長々と)アガサ・クリスティを引用しているが、この作品の解説にどれほど効果があるものだろうか。今更トマス・ハリスの『羊たちの沈黙』を引き合いに出して「サイコ・サスペンス」を語るのも新味がない。
『羊たちの沈黙』を例に出すなら、二つの作品に共通する音楽、この『悪魔に食われろ青尾蝿』でヒロインの弾く(感じる)バッハの『ゴールドベルク変奏曲』に触れても良いだろう。もう少し作品や作者バーディンに入れこんでいる人物、あるいは圧倒的な情報を持つ人に書いて欲しかった。

もう一つの解説はとても参考になった。バーディンの生い立ちから、作風、作家としての位置、他作家との比較等、非常に充実している。『悪魔に食われろ青尾蝿』に先立つ二つの作品の概略を読むと、是非読んでみたくなる。翻訳を待望 したい。



ジョン・フランクリン・バーディンの公式ウェブサイト
www.johnfranklinbardin.com






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