世界の終わりの物語
Tales of Natural and Unnatural Catastrophes
パトリシア・ハイスミス / Patricia Highsmith
渋谷比佐子訳、扶桑社
1987年に出版されたハイスミス最後の短編集。意外なことにアメリカ社会を舞台にした作品が目を惹く。ヨーロッパに住むアメリカ人として、レーガン/ブッシュ(保守反動)共和党政権に何かしら感じとっていたのかもしれない。
それはそれとして、どの作品も強烈な毒(悪意)を放つ作品ばかりである。(老婆心ながら)心して読むように!
『奇妙な墓地』人体実験が行われているであろう、とある病院付近の墓地で不気味な巨大キノコが大発生する。ホラー、あるいはパニックものにストーリーが展開していくかと思いきや、ブラックな笑いで世評をあざ笑う。特に芸術家たちが、正体不明の奇妙なキノコにインスピレーションを得て「母性」という作品を作るあたりに、ハイスミス特有の強烈な悪意を感じる。
また『薔薇の騎士』というズボン役(女性が演じる男役)が登場するオペラから取った名前は、ハイスミスがレズビアンであることを考えると意味深だ。
『白鯨U あるいはミサイル・ホェール』主役は雄のクジラ。寓話めいた話で、設定はともかく、この作品集では(あくまでもこの作品中では)、案外おとなしめのストーリーだ。しかし、クジラが「あの人間ども」と怒り心頭するあたりに作者の声がダブって聞こえないでもない。
『ホウセンカ作戦 あるいは”触れるべからず”』杜撰な産業廃棄物処理の告発! というよりも、覚めた視線で、お役人仕事をおちょくっている感じのストーリー。相変わらずすさまじい毒舌だ。特に原発の職員たちが視察旅行と言う名の休暇をとって「あたしら、この先も放射能を浴びるんだもんね!」とTVに向かってはしゃいでいる姿の筆致には、もう何も言えない・・・。
『ナブチ、国連委員会を歓迎す』まさに「書いてはいけない」作品だろう。開発途上国の「内情」をコミカルにそして辛辣に描いている。
『自由万歳! ホワイトハウスでピクニック』僕はこの作品が一押し! 「経費削減とヒューマニズム」という大義名分のもとに、犯罪者と精神病院入院患者を「解放」した顛末気。軟弱な道徳観なんて、一瞬にして蹴散らされてしまう、とっても危険なストーリーだ。ハイスミスの毒が凝縮したような、本当にガツんとくる一編。
そうそう、読み終わってから気がついたんだけど、登場人物の一人で自分を「クレオパトラ」だと思いこんでいるミス・ティラーって、もしかしたらエリザベス・テイラーにひっかけているのかな。そうだとしたら、これも酷い話だ。
『<翡翠の塔>始末記』ミミズが大量発生する映画『スワーム』あたりを思い出す昆虫パニックストーリー。この作品で大発生するのはゴキブリ。ゴキブリが苦手な人には”たまらない”作品だろうが、同じハイスミスの『かたつむり観察者』(「11の物語」)よりは、ムズムズ感が少ない感じだ。それはこの作品がどちらかというと、ゴキブリに翻弄される人間たちの愚かさを喜劇的に描くことに重点を置いているからだろう。
『<子宮貸します> 対 <強い正義>』この作品も余程の勇気がない限り書けない作品。代理母の組合とそれに反対する宗教団体の争いを、あくまでもコミカルに描いた作品。やっぱりハイスミスは強かった! 『女嫌いのための少品集』と同様に、男には絶対書けない、書いてはいけないストーリーだ。
『見えない最後』この作品も「書いてはいけない」部類に入る、この短編集随一の「大問題作」。長生きすることは良いことなのだろうか? という問題を、200歳の老女を「例」にハイスミスが鋭いメスを入れる。道徳家は絶対読んではいけない。
『ローマ教皇シクトゥス六世の赤い靴』ローマ教皇を主役にしたスケールの大きい(?)異色作。他の作品と比べてかなり読後の印象が違う。「寛容なカトリック教徒」とはどういうものか、女性であり、同性愛者であるハイスミスのストレートな信条告白なのかもしれない。
『バック・ジョーンズ大統領の愛国心』明らかに、ある時期のアメリカ政府を皮肉った作品だ。この作品はまさに「世界の終わり」を描いている。なんとなく、昔見たフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドの「TWO TRIBES」というミュージック・ビデオを思い出す。