ユダの窓
THE JUDAS WINDOW (1938)
カーター・ディクスン / Carter Dickson
砧一郎訳、ハヤカワ・ミステリ文庫
アガサ・クリスティの長編はほとんど読んだ。エラリー・クイーンも国名シリーズを中心にわりと読んだ。でも、ディクスン・カーは……ぜんぜんだ。その理由は、この本の解説で山口雅也氏が書いているように、「カー離れ」を起こしてしまったからだ。
推理小説の「快感」を覚えた中学、高校の頃、順当にクリスティ、クイーンと来て、次ぎはカーに進んでいった。
(実はこのサイクル、すでに小学生の時にジュブナイル版で経験していた。出版社は忘れたが、ジュブナイル版推理小説シリーズがあって、クリスティ『ABC殺人事件』、クイーン『Yの悲劇』、そしてカーの『ろう人形館の恐怖』と読んでいった。他にドイル『バスカヴィル家の犬』、クロフツ『英仏海峡の殺人』、シムノン『ある男の首』なんかも読んだ)
ジュブナイル版でない、つまり早川文庫や創元推理文庫あたりで最初に読んだカーは『火刑法廷』だった。これは最高に面白かった。めくるめく謎とオカルティックな雰囲気、技巧的なトリック、そしてラストの切れ味。カーってすごい! とその勢いで手に取ったのが『皇帝のかぎ煙草入れ』。
これは、かのクリスティも「このトリックには脱帽する」と絶賛したことでも有名で、まったく不可能な状況を扱った実にカーらしい作品であった。しかし……どうもこの「真相」が……もちろんアンフェアではないのだが、あれほど魅力的な不可能状況を設定して置きながら、真相がアレ……か。
そういえば、クイーンを読まなくなったのは『ニッポン樫鳥の謎』の後かもしれない。これもあの華々しい不可能状況を設定して置きながら真相が至ってシンプルすぎて肩透かしを食らったものだった。やはり華麗な謎には、それ以上の華麗な結末を期待してしまう、つまりほとんどトリックオンリーな読み方を(当時は特に)していたと思う。
もちろん今だったら、もっと別な読みをしているだろう。それは、今回読んだ『ユダの窓』のストーリーテリングの妙に思わず唸ってしまったからだ。丁度、まだあまり音楽を聴きなれていない頃、リヒャルト・シュトラウスの『ツァラトストラはかく語りき』を聴いたときに感じた、あれほど華やかなオープニングなのに、エンディングがあれほど静かに終わるのが納得出来ない! といった状況と似ているかもしれない。今では、シュトラウスの音楽の持つ巧なオーケストラレーションと構成に惚れ惚れしている。カーの『皇帝のかぎ煙草入れ』も今なら十分楽しめると確信している。
『ユダの窓』はカーの代表作で特に「密室物」の傑作とされている。ストーリーは、ジェイムズ・アンズウェルという青年が婚約者の父親エイヴォリー・ヒュームをを訪ねる。アンズウェルは部屋に通され、ヒューム氏から渡されたウイスキーを飲む。すると、飲み物に何か入っていたのか、アンズウェルは気を失ってしまう。やがて眼が覚めてアンズウェルの見たものは、完全な密室状態の部屋で矢が突き刺さったヒューム氏の死体であった。アンズウェルは逮捕され裁判にかけられる。
全く、完全な、不可能な状況である。アンズウェルが犯人でなければ、いったい誰がどうやって犯行を行ったのだろう。
この難題に挑むのがヘンリー・メリヴェール卿。彼がまた実に魅力的なキャラクターなのである。
構成はほとんど法廷論争に終始し、これが無類のサスペンスを生む。裁判はスポーツを同じで、熱い戦いの場だ。本当にフェア・プレイの精神が発揮される。まさに手に汗握る展開。トリック(密室)だけでなく、こういった法廷シーンに見られるプレゼンテーションの上手さもカーの魅力なんだなあ、と改めて感心した。
魅力と言えば、H・M卿以外にも、壮絶な舌戦の最中、ホッと息を付かせる人間的な温かみを感じさせる人物が何人か登場する。裁判官のポドキン判事もその一人である。判事は、被告人の婚約者が以前別の男と懇意であり、しかもその男から、彼女のヌード写真のことで訴追側弁護人に人格攻撃をされたときに
「この法廷が、ひとの性分とか道徳上の問題を裁く場所ではないことを忘れてはいけない」と言い放った。現在よりも道徳的にずっと窮屈な時代にヌード写真を撮られていた女性に対する態度としては、本当に紳士的で、フェアな「ジャッジ」の態度である。それに対しH・M卿は敬意を示し
「バルミー・ポドキンが、この法廷は、ひとの性分とか道徳上の問題を裁く場所ではない、と、そんなことをいうたとき、わしは、もう少しで立ち上がって、葉巻を箱ごと進呈するとこじゃったよ。わしは、三十年ものあいだ、赤服の裁判官連中が、クドクドと理屈をこねまわしたりせずに、ありのまま人生を素直に認めてくれるのを待っておった」
──P.243
と言う。こういった人間同士の血の通った暖かい遣り取りにも少なからず感激した。
この作品は、何よりトリック(密室)が技巧的で、そこが一番の見所であることに異論はない。しかしそれだけでなく、裁判を通しての「人間喜劇」も実に味わい深く、良い小説を読んだ時に感じる「感動」も確実に得ることが出来た。これもカー作品の魅力の一つとしてぜひ記述しておきたい。