BEYOND THIS POINT
ARE MONSTERS
BOOK REVIEW


オランダ靴の秘密
The Dutch Shoe Mystery

エラリイ・クイーン / Ellery Queen
宇野利泰訳、ハヤカワ文庫




「どうですね、諸君。アビゲール・ドーン夫人は、ローマ皇帝アドリアヌスと張り合うかたちをとったと思いませんか。あの皇帝は、自分の墓石にこんな文句を刻ませた──いわく」
 その言葉のうちに、一同は麻酔室を通りすぎた。そのあとやはりそこのドアを、別の警官が背中で押さえる位置に立った。エラリイは言葉をつづけた。「いわく──”多くの医師が、余を死なせた”と」

オランダ記念病院の手術室では、この病院の創設者で大富豪のアビゲール・ドーンの手術が行われようとしていた。彼女は階段を転げ落ちたために、急遽手術が必要になったのだ。エラリイを始め、この大富豪と関係のある人物たちが病院を訪れ、待合室で彼女を見守っている(人の行き来は限られている)。
そして手術が始まり、外科主任のジャニー医師が患者のベッドに近づくと……そこには針金で首を絞められたアビゲール・ドーンの死体があった。いつ、誰が、どうやって、この状況の中で彼女を殺したのだろうか?
やがて警察の捜査が始まり、いくつかの証言が得られたが、それらはすべてジャニー医師に不利に働いていた……。

1931年に発表されたエラリイ・クイーンの「国名シリーズ」第三作。ひさしぶりに読んだ(約10年ぶりぐらい)クイーンだが、なかなか面白かった。
『エジプト十字架の秘密』や『チャイナ・オレンジの秘密』に比べると、ケレン味がなく、なんとなく地味な感じを受けるが、それを補って余りある「知的興奮」を与えてくれる。なにより、犯人が残していったと思われる一足の「オランダ靴」をめぐって、そこからありとあらゆる論理操作が行われ、解決に導いていく思考(試行)過程がたまらなく、惚れ惚れするくらい、唖然とするくらい、完璧に<美しい>。もちろん完全なフェア・プレーに徹している(「読者への挑戦状」も挿入されている)。
これこそ本格推理小説を読む醍醐味であり、整然と組まれた章立ても、独特の美しさ=効果を醸し出している。

病院ものと言うと、他にP.D.ジェイムズの『ナイチンゲールの屍衣』やクリスチアナ・ブランドの『緑は危険』が真っ先に浮かぶが、前者が陰惨な人間関係、後者が複雑で異様に「ねじくれた構成」によって、なんとなく不気味で後味の悪い読後感(決して嫌いではない)が印象に残っている。
しかし、このクイーンの作品は、さっぱりした読後感がとても爽快だった。エラリイの特異なキャラクターも意外に好感が持てた。エラリイとジューナ少年のやり取りも、どこか微笑ましい。
まあ、難を言えば、動機がちょっと唐突に提示され、しかも単純すぎること……ぐらいだろうか。

それでもこの作品が超優れた「パズラー」であることに疑いはなく、エラリイの衒学趣味や「軽口」にまで「愛情を持って」悠長に接すべき「クラシック」であることに変わりはない。




INDEX / TOP PAGE



オカルト趣味の娼婦
TUMBLEWEED

J.ヴァン・デ・ウェテリンク / Janwillem van de Wetering
池央耿訳、創元推理文庫




「聖書というのは面白い本だよ」警視は言った。
デ・ヒールはさっとふり返った。「危険な本ですよ、あれは」
「読み方を誤ればな」
「前に一度、ドイツ兵のベルトを見たことがありますがね」デ・ヒールは言った。「誰かが、戦争の記念にっていうんで取っといたやつなんですが、そのバックルに、ゴット・ミット・ウンスって書いてあるんですよ」
「神、共にいまして、か」警視は言った。
「ナチス・ドイツの兵隊のベルトですよ。そのベルトをしている連中が、六百万人のユダヤ人を虐殺したんですよ」  ──本文P250

アムステルダムのエド・マクベインといったところだろうか。 オランダ産のミステリーということで、正直、期待と不安を胸に読み始めたが、これが意外に良かった。もちろんマクベインの87分署シリーズあたりに比べると、警察自体ものんびりしているし、展開もそれほどスリリングではない。ミステリー的にも驚くような仕掛けはない。
やはり読みどころは、アムステルダムの活写だろう。
「アムステルダムか。アムステルダムじゃ、ごろつきは人を脅しても、殺しやしない。のんびりしているよ、この町は。アムステルダムってとこは、本当に何もありゃしないんだ」 ──本文P8
しかし、そののんびりとした中に、風刺の利いたセリフが散りばめられ、なかなか面白く読める。登場人物の心温まる言動も魅力的だ。

事件は、キュラソー出身の高級娼婦が殺害され、彼女の「顧客」はいわゆる政財界の大物であること、また彼女はオカルトにとり憑かれていたこと、それらの間にどんな関係があるのか、ということを中心に展開する。

この作品は、シリーズものの第二作で、前作でも登場した警部補のフライプストラ、巡査部長のデ・ヒールのコンビが活躍する。この二人はかなり魅力的に描かれていて、好感が持てる。天然のオフ・ビートといえるだろうか(英米作品の刑事もののように狙っていないと思う)。
何しろ警察署にドラムセットがあり、二人はドラムを叩いたり、ピッコロ(!)を吹いたりする。二人のやり取りも、コメディ風だ。
また、捜査も紳士的というか、決して市民に威圧的に振舞ったりしないところもよい。

そしてこの作品で最も重要なことは、訳者の解説にもあるとおり「勧善懲悪」に徹していないと言うことだ。解説には「犯罪者にも善人はいるだろうし、罪を犯さない人間がすべて善人であるとも限らない。社会とは、そうしたさまざまな人間を乗せて歴史の流れにたゆう船である。これがウェテリンクの基本的な認識である。」とある。
まさしくその通りであると思うし、そういった視点には共感するところが多い。

この作品は1970年代後半に発表されたものであるが、読みながら、やはりオランダ社会は成熟しているなあ、と感じた。




INDEX / TOP PAGE



ユダの窓
THE JUDAS WINDOW (1938)

カーター・ディクスン / Carter Dickson
砧一郎訳、ハヤカワ・ミステリ文庫




アガサ・クリスティの長編はほとんど読んだ。エラリー・クイーンも国名シリーズを中心にわりと読んだ。でも、ディクスン・カーは……ぜんぜんだ。その理由は、この本の解説で山口雅也氏が書いているように、「カー離れ」を起こしてしまったからだ。

推理小説の「快感」を覚えた中学、高校の頃、順当にクリスティ、クイーンと来て、次ぎはカーに進んでいった。
(実はこのサイクル、すでに小学生の時にジュブナイル版で経験していた。出版社は忘れたが、ジュブナイル版推理小説シリーズがあって、クリスティ『ABC殺人事件』、クイーン『Yの悲劇』、そしてカーの『ろう人形館の恐怖』と読んでいった。他にドイル『バスカヴィル家の犬』、クロフツ『英仏海峡の殺人』、シムノン『ある男の首』なんかも読んだ)

ジュブナイル版でない、つまり早川文庫や創元推理文庫あたりで最初に読んだカーは『火刑法廷』だった。これは最高に面白かった。めくるめく謎とオカルティックな雰囲気、技巧的なトリック、そしてラストの切れ味。カーってすごい! とその勢いで手に取ったのが『皇帝のかぎ煙草入れ』。
これは、かのクリスティも「このトリックには脱帽する」と絶賛したことでも有名で、まったく不可能な状況を扱った実にカーらしい作品であった。しかし……どうもこの「真相」が……もちろんアンフェアではないのだが、あれほど魅力的な不可能状況を設定して置きながら、真相がアレ……か。

そういえば、クイーンを読まなくなったのは『ニッポン樫鳥の謎』の後かもしれない。これもあの華々しい不可能状況を設定して置きながら真相が至ってシンプルすぎて肩透かしを食らったものだった。やはり華麗な謎には、それ以上の華麗な結末を期待してしまう、つまりほとんどトリックオンリーな読み方を(当時は特に)していたと思う。

もちろん今だったら、もっと別な読みをしているだろう。それは、今回読んだ『ユダの窓』のストーリーテリングの妙に思わず唸ってしまったからだ。丁度、まだあまり音楽を聴きなれていない頃、リヒャルト・シュトラウスの『ツァラトストラはかく語りき』を聴いたときに感じた、あれほど華やかなオープニングなのに、エンディングがあれほど静かに終わるのが納得出来ない! といった状況と似ているかもしれない。今では、シュトラウスの音楽の持つ巧なオーケストラレーションと構成に惚れ惚れしている。カーの『皇帝のかぎ煙草入れ』も今なら十分楽しめると確信している。

『ユダの窓』はカーの代表作で特に「密室物」の傑作とされている。ストーリーは、ジェイムズ・アンズウェルという青年が婚約者の父親エイヴォリー・ヒュームをを訪ねる。アンズウェルは部屋に通され、ヒューム氏から渡されたウイスキーを飲む。すると、飲み物に何か入っていたのか、アンズウェルは気を失ってしまう。やがて眼が覚めてアンズウェルの見たものは、完全な密室状態の部屋で矢が突き刺さったヒューム氏の死体であった。アンズウェルは逮捕され裁判にかけられる。

全く、完全な、不可能な状況である。アンズウェルが犯人でなければ、いったい誰がどうやって犯行を行ったのだろう。
この難題に挑むのがヘンリー・メリヴェール卿。彼がまた実に魅力的なキャラクターなのである。
構成はほとんど法廷論争に終始し、これが無類のサスペンスを生む。裁判はスポーツを同じで、熱い戦いの場だ。本当にフェア・プレイの精神が発揮される。まさに手に汗握る展開。トリック(密室)だけでなく、こういった法廷シーンに見られるプレゼンテーションの上手さもカーの魅力なんだなあ、と改めて感心した。

魅力と言えば、H・M卿以外にも、壮絶な舌戦の最中、ホッと息を付かせる人間的な温かみを感じさせる人物が何人か登場する。裁判官のポドキン判事もその一人である。判事は、被告人の婚約者が以前別の男と懇意であり、しかもその男から、彼女のヌード写真のことで訴追側弁護人に人格攻撃をされたときに 「この法廷が、ひとの性分とか道徳上の問題を裁く場所ではないことを忘れてはいけない」と言い放った。現在よりも道徳的にずっと窮屈な時代にヌード写真を撮られていた女性に対する態度としては、本当に紳士的で、フェアな「ジャッジ」の態度である。それに対しH・M卿は敬意を示し
「バルミー・ポドキンが、この法廷は、ひとの性分とか道徳上の問題を裁く場所ではない、と、そんなことをいうたとき、わしは、もう少しで立ち上がって、葉巻を箱ごと進呈するとこじゃったよ。わしは、三十年ものあいだ、赤服の裁判官連中が、クドクドと理屈をこねまわしたりせずに、ありのまま人生を素直に認めてくれるのを待っておった」 

──P.243
と言う。こういった人間同士の血の通った暖かい遣り取りにも少なからず感激した。
この作品は、何よりトリック(密室)が技巧的で、そこが一番の見所であることに異論はない。しかしそれだけでなく、裁判を通しての「人間喜劇」も実に味わい深く、良い小説を読んだ時に感じる「感動」も確実に得ることが出来た。これもカー作品の魅力の一つとしてぜひ記述しておきたい。




INDEX / TOP PAGE