ソロモン王の絨毯
King Solomon's Carpet (1991)
バーバラ・ヴァイン / Barbara Vine
羽田詩津子訳、角川文庫
「ルース・レンデル」から「バーバラ・ヴァイン」へと<主>が変わったとき、その物語の進行は、いくぶん穏やかに、そしてより自由に展開していく。ただしその分、いっそう巧妙に、より細心の注意を払って物語は「統御」されている。
例えば、レンデル名義の『ロウフィールド館の惨劇』や『わが目の悪魔』等が、その「作者」の手の内を堂々と明かしてからドラマを(半ば強引に)進めていくのに対し、ヴァイン名義の作品は、極端に言えば「何が起こっているのか」、その狙いが最後まで分からない(見えない、気づかせない)ものさえある。
この『ソロモン王の絨毯』は、<多数多様>な登場人物の視点をめまぐるしく変化させながら、物語を複雑に編み、登場人物たちを操り、偶然に偶然を重ね、しかし最後には、作者=ヴァインの一撃/詭計を鮮やかに、文字通り<炸裂>させる。実に周到に計略されたサスペンス小説である。
登場人物は一見自由に動きまわるように見えて、実は巧妙にその行動が管理されている。偶然に見えた出来事は、結局は必然でしかなかった。さらに最後まで読み終わった後、もう一度第一章、二章を読み返すとその衝撃はいっそう強烈なものになる。いかに作者がこれ見よがしに<鍵>を投げ出していたのか、それなのに、それに気づきさえもせず、いかにその術中に容易く嵌ってしまっていたのか、と愕然とさせられる。さすがはゴールド・ダガー賞を射とめた傑作である。
ストーリーは、地下鉄マニアのジャーヴィス(かなりエキセントリック)が、自殺した祖父が残してくれた学校(現在は廃校)に格安で人を住ませることを思いつき、そこに多様な人間が集まり、愛憎入り乱れたドラマを展開するというもの。「学校」というモラトリアムを象徴する空間に住まう人物たちは、やはりどこか大人になれない人間ばかり。彼らはその「コミューン」で互いに干渉と衝突を繰り返しながら、運命の姦計に陥ちてゆく。
しかしこの作品での主役はなんといっても「地下鉄」であろう(あるいは地下鉄という「機構」)。ロンドンの地下(Underground)に張り巡らされたクモの巣のようなネットワーク──人々を行きたい場所へと運んでくれる地下鉄=「ソロモン王の絨毯」こそが圧倒的な存在感を誇示している。
ヴァインは、ジャーヴィスが書いた地下鉄に関する本の断片を巧妙に散りばめながら、魑魅魍魎が蠢くロンドンのアンダーグラウンド/迷宮を冴えた筆致で描き切る……無論ヴァインのことだ、人々を行きたい場所へどこへでも連れていってくれるはずの地下鉄は、一方で、人々を思いもよらぬ「場所」=爆発的なカタストロフへと導き、連れ去ってしまう。その皮肉、その逆説! エピグラフで引用されたチェスタトーン『木曜日の男』の文章が見事に作品と響き合う。
いくつか気づいたことを書いておくと、謎の人物アクセルに好意を寄せるアリスがアクセルのために弾く『薔薇の騎士』の音楽。これってバーン・ジョーンズの絵画とともにかなり意味深でこの作品全体の謎/鍵にもなっている……のみならず「どんな夜も自分にとってこれほど長くない」というオペラのセリフは、この後発表される『長い夜の果てに』(No Night Is Too Long)にも繋がっているのでは、と読みながらその周到さに感じ入ってしまった。
とすれば、明示的に示されるピーターとジェイのゲイ・カップル、暗示的なダフネとセシリアのレズビアニズム(二人の「名前」からすると明示的か)に、他の登場人物に比して作者の優しさが感じられると思うのは僕だけではないだろう。
とくにパーティーで(多分HIVに感染しているであろう)ピーターに風邪が感染らないようにと気をもめるジェイの姿は感動的でもあったし、またさり気なく英国の同性愛に対する差別的な法律(同性愛は21歳以上で認められる)を揶揄している場面もある。
ただ翻訳に関してどうしても納得出来ないところがある。ページ332で「ホモ」という単語が使われているが、ヴァインの原文でも "Fag" とかそれに類した侮蔑的な言葉が使用されているのだろうか。ここは会話ではなく地の文なので余計気になる。たしかにアリスはちょっと自己中心的なところがあるが、この文の直前で「ゲイが問題ないと考えているなら、どうしてゲイだといわれて中傷になるの?」とトムを嗜めているし、彼女はわりと言葉に敏感で(レンデルもそうであろう)、「愛している」「ほしい」「好き」といった言葉を区別している。どうしてここで「ホモ」という言葉が出てくるのだろう。
そう思うとこれまで気にならなかった、例えばヴァイオリニストのアンネ=ゾフィ・ムターが「ムッター」になっていたり、作曲家のブリテンが「ブリトン」になっていたり通常の「表記」とは異なるところが急に不満(不安)に思えてくる。ブリテンで思い出したが、アリスが受験することになるオールドバラの「プリテン-ピアーズ音楽学校」というのもヴァインの同性愛に対する彼女の姿勢が感じられるところではないだろうか(ブリテン、ピアーズは英国史上稀に見る幸福な人生を送ったゲイ・カップルである)。
レンデル/ヴァインがそういった侮蔑的な言葉をあえて選んだなら、それも「理由」があると思うのだが(絶対あるだろう、なにしろ言葉を大切にするレンデルなのだから)、もしこれが、訳者のフィルター(偏見)で言葉のニュアンスが変えられていたら、これほど腹の立つことはない。レンデル/ヴァインは僕の好きな作家だから、そういったマネはされたくない。