ポストモダン小説
ピンチョン以後の作家たち
positive 01
書肆風の薔薇/白馬書房


前より薄くなったペンキを吸ったあとに物した文章
LINES COMPOSED AFTER INHALING PAINT THINNER

マーク・レイナー / MARK LEYNER (1956─)

越川芳明 訳



マーシャがいった、その通り!とっても素敵なライヴよ!  もうちょっとでマディソン・スクエア・ガーデンの舞台裏通行許可証、手にいれられるところだったの。    ていうのも、あたし、精子のついたパンティと持ち主不明の陰毛ってバンドのダルシマー奏者と知り合いで、かれ、金髪ロボットの安物香水のドラマーと友達だったわけ。    でも、かれったら、いろいろな肉体的な問題をかかえてね。ていうのも、かれ、半分人間半分モグラなんだけど、ひょっとして部分的にサイボーグじゃないかしら。ペニスは先端が繊維質のナイロンだし、睾丸だってダングステン・カーバイドがながーくぶら下がってんだもの。おまけに、身体の中に羊の胎児の細胞、注入しなくちゃいけなかったり、毎日塩酸の腰湯に浸らなきゃならなかったりして……。    そうしないと、モグラの半分が人間の半身、駆逐してしまうんだって。

 ─ p.6
ラリイ・マキャフリイをして、「アヴァン・ポップなトラブルメーカー」と言わしめたマーク・レイナーの貴重な邦訳短編。positive 01のトップ・バッターがこのレイナーの作品で、最初にこの作品を読んだときは、こういう小説もあるんだ! と狂喜した。まるでブラームスあたりの音楽の後に、いきなり──エリック・サティを経由せず──ジョン・ケージを聴いたときのような、何とも言いようのない、奇抜な「パワー」に唖然とさせられた(そしてこのアヴァンギャルド/ポストモダン小説アンソロジー positive 01に掲載されている、どれも個性的な作品群よって、「小説」の固定観念をぐらぐらと揺さぶられた。もちろん消化不良気味の部分もあったが)。

SF的荒唐無稽なエピソードがユーモラスな語り口で書かれている……それだけといえばそれだけなのかもしれない。なんとなくテレビをザッピングしている「だけ」のような……つまり、小説を「読んだ」と言うよりも、テレビを「観た」ような感覚。タイトルもさりげなく不真面目で、「テーマ」を表しているよりも、ただの「イベント」を書き綴ったみたいだ(いやいや、いまどき、その「テーマ」なんかがウザイのだ──いまどき、例えばベートーヴェン流の苦悩に満ちた、いかにもな「テーマ」を書いている作曲家がいるか?) 

しかしその荒唐無稽なエピソードが面白い。刺激的なイメージが迸る。それはぼやっとした印象派でもなく、難解な抽象派でもない、あえて言えばシュルレアリスム的なイメージ。何よりそれはとてつもなくリアルなのだ……テクストによって、「形態」が、細部に渡って正確に伝達される。 ダリやマグリットのように具象画でありながら、観る者を「ありえない世界」へ誘い眩惑させるような。レイナーが独特の感性、類稀な想像力の持ち主であることがわかる。
例えば、ロボットやハンサムでセクシィな言葉を話す蝿や、無生物になって互いの夢の中へ登場する恋人たち、死刑囚専用のシェフなんかが突如として現われ、消える。リアルな残像を「網膜」に焼き付けて。
    画家がいった、これはこれまで描いたことがない超自然的な作品なんだ。じつにぞっとするような絵だろッ。    ドリアン・グレイの肖像か何かみたいに。    これを見ているとぞくぞくと恐怖感をかき立てられるんだ。    わたしは訊いた。どうしてそんなに恐ろしいんだい。    そりゃ、この絵が変幻自在、というか、不安定で変化するからだ!    それ、どういう意味?    つまりだね、この絵はモノレールがどこを走っているかによって文字通り変化する。変身するんだ。    どうもロケーションによって色素を変化させるらしい。    いってみれば一種の窓さ!    じっさいそれが窓であるのを理解するのに数秒もかからなかった。

 ─ p.18

なんだか、まるでメリーゴーランドに乗っているような気分。メリーゴーランドという「イベント」を味わっているような感じ。「わたし」という揺れ動く視点に乗っかって、周りを多彩な「ありえない」イメージが通過していき、やがて円環運動は終結する、みたいな。だから脳内に蓄積された「イベント・ログ」で何を「見たのか」確認整理しなくては。



The Salon Interview: Mark Leyner (Salon)
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