地中の男
"THE UNDERGROUND MAN"

ある経験をなめたあとでは生きつづけることはできない──
そんな経験というものがある。

E.M. シオラン『絶望のきわみで』






N
場所   ウエスト・ロス・アンジェルス、サンタ・テレサ。サンフランシスコ
時期   9月
依頼人  ジーン・ブロードハースト


N ストーリー

山火事がサンタ・テレサを襲っていた。ジーン・ブロードハーストの依頼は、息子のロニイを夫のスタンリーから取り戻すことだった。スタンリーはロニイを連れだし、謎のブロンドの女とともに危険な状態にあるサンタ・テレサへ向ったのだ。サンタ・テレサにはスタンリーの母親が住んでいた。
不安な青い目をした少年ロニイ。粗暴だが傷つきやすく子供のようなスタンリー。理知的で美しいジーン。アーチャーは少年の家庭が崩壊しているのを見て取った。彼はジーンとともにロニイの安否を確かめるべく、煙と炎に包まれた─まるで戦場のような─サンタ・テレサに向う。だが、アーチャーが発見したのは殺されたスタンリー──地中に埋められ横たわる死体だった。アーチャーは事件現場から姿を消したロニイとブロンド娘の行方を追い求める。
実は殺されたスタンリーもある人物の行方を追っていたのだった。彼が少年のころ女と駆け落ちして出ていった父親リオ・ブロードハースト。スタンリーは何年も前から父親を捜していたのだ。


N
”私たちは、一世代を失いつつある。彼らは、彼らをこの世にもたらしたことで、私たちを罰しているのだ”

忘れられないシーンがある。少年ロニイが登場人物の一人を目撃する。その人物は精神的にも遺伝的にも欠陥があるのだが、その人物が長髪のかつらをかぶり、付け髭をつけて、女性のヌード写真を見ているのだ。彼はアーチャーに、肉体的なハンディキャップのために女性と一回しかキスしたことがないと告白する。
このシーンの不快感は、残虐な殺害方法の解剖学的な描写の不愉快さとは別のショックを与える。そして少しの想像力によって書かれていないこと、書けなかったことを思い浮かべ、さらに愕然とするかもしれない。たとえばその人物は女性の写真を見てマスターベーションをしていたのではないかと。

ロス・マクドナルド(とマーガレット・ミラー)の素材は暗いアメリカだ。読者は思う。彼らは「あんなふうに」アメリカを見て、「あんなふうに」描くと。彼らの作品はセンチメンタルで甘いセリフで読者を酔わせ、慰め、自信を与えるものではない。描くのは、夫婦や親子といったもっとも基本的な人間関係が実は狂気の発端であり、犯罪の原因であるということだ。
彼らは、あまりにも「人間関係」を弄び過ぎたのだろうか? 攻撃しすぎたのだろうか。夫婦関係や親子関係の脆さを暴きすきたのだろうか。マグドナルドは周知のとおり、アルツハイマー病に罹り、ミラーの「夫」から、「幸福」なミラーの「子供」になってしまった。ミラーは、これ以上醜いものを直視したくないかのように失明してしまった。
例えばマクドナルドの代表作『さむけ』、例えばミラーの『狙った獣』。
典型的なハードボイルド・ミステリは美と醜、貴と賎が明確に区別され、まるで他人事のように「非情」のドラマを楽しむことができる。それは誰もが自分の「役割」(夫、妻、父、母)を見事に「演じ」られた時代、「演じ」ざるをえなかった時代の産物だ。ロス・マクドナルドとマーガレット・ミラーの作品は違う。彼らが指摘するのは社会的役割、ポジションに抑圧され、自分を失ってしまう現代人の恐怖だ。眼に見える分かり易い外部からの攻撃ではなくて、目に見えない恐怖、自分たちに内部に巣くっている違和感、異議申立て、自分を自ら蝕んでいく癌細胞のようなものである。彼らの登場人物は、定められた「役割」から逃れるように失踪し、あるいは逆に「役割」に固持するために犯罪を犯す。(彼らの時代には「ジェンダー 」という言葉が一般的だったかどうかわからないが、ミラーの『まるで天使のような』やマクドナルドの『別れの顔』などは、「父親」にならざるを(演じざるを)得なかった人物たちの悲劇だと思える)

ロス・マクドナルドの作品は、ハードボイルドにカテゴライズされ、レイモンド・チャンドラーあたりの作品と一緒に論じらるが、雰囲気はだいぶ違う。リュウ・アーチャーに比べると、フィッリプ・マーロウのような優雅で感傷的なナレーターはもはや時代遅れのドン・キホーテにさえ思える。警官にさよならをいう方法(プロトコル)がどうのこうだのと気取っている場合ではないのだ。 マクドナルド(とミラー)が採用した方法は、ミステリーの形式に最後までこだわり、その枠の中で人間の暗い秘密を打ち明け、読者を震撼させる真実を告知するやり方だ。

『地中の男』は解説でも指摘されているように戦争の比喩が多く用いられ、サンタ・テレサの山火事は登場人物の内面を焦がす炎を象徴している。まるでソドムの惨劇になぞらえたような神話的な広がりさえ感じる。幸福な家庭と違ってそれぞれに不幸な複数の家庭の若者は「道徳的DDTに自分たちの親が汚染された世代に属している若者たち」なのだ。それが作者の見たアメリカの現状だ。ホイットマンは『草の葉』の序文で「合衆国そのものが本質的に最大の詩篇だ」と書いた。ロス・マクドナルドのこの作品はアメリカの悲劇的な詩篇の一つである。



ロス・マクドナルド『地中の男』(ハヤカワミステリ文庫)


実はこれ、かなり前にノン・ゲイサイトに書いたものなんです。今読むと、文章がカタくて、意味不明なところがあったりと、かなり悪文ですね。ただこの『地中の男』を読んだときの熱狂と、ずっしりとした手応えをどう表現したものかと悪戦苦闘した形跡がなんとなく感じられて、これはこれでいいかなと、あまりイジらないでおきました。(ホイットマンは大げさかな)
ミステリプロパーなページではないので補足しておきますと、ロス・マクドナルドは、ダシール・ハメット、レイモンド・チャンドラーと並ぶハードボイルドの巨匠とされ、僕が一番好きな作家マーガレット・ミラーの夫君でもあります。もちろんマクドナルドも大好きで、特に彼の『さむけ』を読んだときの衝撃は忘れられません。ハードボイルドと言っても、ロス・マクドナルドの場合は、初期こそアクションをウリにした典型的な私立探偵小説を書いていますが、基本的には、アガサ・クリスティーやエラリー・クイーンなどと同じ謎解きを中心にした本格推理小説だと思っています。ただマクドナルドの作品はエンターテイメイントとしては、あまりに暗く重すぎる傾向があります。しかし読後の充実感は他の作家では味わえない深いものがあり、最後の最後で明かされる衝撃の真相には、緻密な文体による疲労も加わり、麻薬的な陶酔感に耽れます。



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