落ちる
多岐川 恭
創元推理文庫
多岐川恭の短編集。1953年から1959年に発表されたものであるが、それほど古い感じはしない。むしろ抑制の効いたモダンな筆致に新鮮さを覚えた。
どの作品もミステリー・マインド溢れる堂々の本格、であるだけなく、ニューロティックな──異様でもあり、それゆえ甘美でもある独特の雰囲気に彩られている。こういったテイストの作品は大好きだ。
『落ちる』
神経症の男を語り手にした心理サスペンス。異様なテンションを孕み、一気に読ませる。主人公を襲う奇妙な感覚は現実のものなのか、それとも、死に取りつかれた男の疑心暗鬼が生み出した妄想なのか。いびつで不安定な視点から導かれる真実とは……。
心理の「死角」を狙ったこの作品は、マーガレット・ミラーの『目の壁』を思わせる。ラストの一行もミラー同様、心憎いまでに決まっている。多岐川恭の代表作で傑作の一つ。
『猫』
ディスクン・カーばりの大掛かりで大胆不敵なトリック。そのトリックも忘れ難いが、不気味な犯人像もなかなか印象的だ。
『ヒーローの死』
密室物。横溝正史のあの作品に近い。まあ、この作品集の中では標準作か。なにより他が凄すぎるのだ。
『ある脅迫』
ネガティブな人間観察が秀逸。パトリシア・ハイスミスに匹敵する辛辣さだ。舞台劇を思わせるシンプルな設定が、ラストの逆転劇を際立たせている。
『笑う男』
倒叙ものだが、殺人犯人よりも「素人探偵」の厭らしさがこれでもかと描かれている。この作品もパトリシア・ハイスミスとタメを張る邪悪さだ。手に汗握るサスペンス(家庭を守るため必死の犯人VS下品でガサツで無慈悲の素人探偵)、そして「笑う男」に込められた二重の意味と皮肉な結末には、思わずヤラレタ!と叫びたくなる。
『私は死んでいる』
甥夫婦の策略にはまり、縛られ監禁された老人。数日後には殺される運命にある。絶体絶命のピンチ! なんだけど、これが実にユーモラスな作品になっている。語り手は被害者の老人で、この爺がなかなかやってくれる。食欲も旺盛で、どちらかというと犯人たちのほうが振りまわされている感じだ。亡き妻との「会話」も絶妙で、いわく言い難い魅力を放つ。
『かわいい女』
ファム・ファタールもの、というより日本語の毒婦とでも書いたほうがぴったりくる。そういえばこの短編集、多くの作品で淫蕩な毒婦が登場し、その存在は強烈な印象を残す。こういうところもハイスミスに近いテイストが感じられる。
『みかん山』
作者のデビュー作にして、どうだ、と言わんばかりの奇想天外なトリックを仕掛ける。その潔いプレゼンテーションはクリスティアナ・ブランドを思わせる。しかしこの作品も異様な犯人像が忘れ難い。
『黒い木の葉』
この短編集で一番気に入っている作品。これほど「美しい本格」にはなかなか出会えないだろう。シューベルトの『冬の旅』をモチーフにしたロマンティックな作風で、主人公の理想主義に走る少年は、まさしく「さすらう若者」だ。あらゆる細部が綿密なプログラムで成立しているにもかかわらず、限りなく美しい瞬間が、そこにはある。
しかしピアニストの内田光子が、シューベルトの音楽には「魔が住んでいる」と評したように、この作品にも不気味な「魔」が忍び寄る。その幻想的な筆致とあいまって、後々まで余韻が残る。
『二夜の女』
多少通俗的、かな。オチも予想通り。展開はサスペンスフルでなかなか読ませるけど。