パズル崩壊
法月綸太郎 /
集英社文庫
ピカソが新聞記者のインタヴューに答えて語った言葉の中に、次の有名な一節がある。
ある絵を説明しようと試みる者は、たいていの場合誤りを犯す。もう大分前のことだが、ある時ガートルード・スタインが嬉しそうな様子で私のところにやって来て、私の絵が何を描いたものか、やっとわかった、三人の音楽家を描いたのね、と言った。ところがその絵というのは、実は静物だったのだ……。
高階秀爾『20世紀美術』(ちくま学芸文庫)
法月綸太郎の短編集。噂に違わぬ傑作で、ヴァラエティに富んだ「本格ミステリ」作品集であると同時に、それについて、様々な問題を投げかけるミステリ批評としても読むことができる。いかにして<本格>を破壊するか、いかにしてパズルを崩壊させることが可能かと。
……というふうに、「読者」が何か思いついた視点を見つけ、自由に感想を書いていくには多少の困難が付きまとう。それは「作者=評論家」法月綸太郎が、一つ一つの作品について詳細なあとがきを添えているからだ。いみじくも、この作品集にある『カット・アウト』で言及されたジャクソン・ポロックについて確認しようと開いた高階秀爾の著作の第1ページに、上記に引用した文章があってはなおのこと。
というわけで、この作品の感想を書くにあたっては、僕がいつも美術館でやっている、まず絵を見て、次に解説を読んで、そしてもう一度絵を「確認」する作業に近いものになる……解説はときに「バイブル」であり、ときに「もっとも好意的な読者をもいらだたせるようなもの」(スタンダール)であることを念頭において。
『重ねて二つ』
大胆不敵なトリックを披露する密室物。かなりフェアに描かれているし、個人的にクリスティアナ・ブランドの作品が思い浮かび、何となく途中で仕掛けはわかった。と、思っていたが文中の「ギミックのためのギミックに堕して」しまう云々と「シニカル」な刑事が吐くセリフには、なにか「シニカル」なものを感じてしまう。
『懐中電灯』
犯人側から描いたいわゆる倒叙物で、刑事コロンボや古畑任三郎を彷彿させるプロット。テンポが良く、懐中電灯という小道具の使い方がとても粋だ、幕切れも。
『黒のマリア』
三重密室にオカルト風味を混ぜたもの。まあ、あとがきで作者が書いているように、多少強引かと。というより、作者が「強引なのは承知」と書いているので、そうですね、としか言えなかったり。
『トランスミッション』
間違って掛かってきた誘拐の脅迫電話を受けた推理作家が、犯人と子供を誘拐された家族との「橋渡し」(トランスミッション)になるという、抜群に面白い構成。
最初の方でバッハの『フーガの技法』に言及していたので、単に作者の音楽趣味を披露しただけでなければ、「二重対位法」「転回」「無終(カノン)」「反行拡大(カノン)」「鏡像(フーガ)」といったトリックが仕掛けられているだろうと思っていたら(何しろ主人公は推理作家だ)、やはりそうだった。さらに作者のあとがきを読むと、この作品はポール・オースターの「トランスクリプション」であるともいう。
『シャドウ・プレイ』
意味深な題名の通り、推理作家がドッペルゲンガー絡みの犯罪を、電話を介在させながら、主人公に語るというもの。最初はその題名と電話という小道具を使っていたため、マーガレット・ミラーのあれかな、と狙いをつけていたら(しかも次の作品はロス・マク関係だし)、ヘレン・マクロイのほうだった。
前作以上に手の込んだ「フーガの技法」を踏破しており、一種の「創作論」としても読める。
『ロス・マクドナルドは黄色い部屋の夢を見るか?』
「きみか、アーチャー」ブラッドリーはわたしの顔を見るなり、芝居じみたため息をついた。「また性懲りもなく、複雑に入り組んだ人間関係と、陰惨な家族の悲劇にまつわる面倒な事件を調査しているのか?」
p.210
最高のロス・マクドナルド論。トム・ノーランはこの作品の存在を知っているのだろうか。ぜひ知らせてあげたい。
もちろんロス・マクドナルド風の事件が起きる「本格ミステリ」で、ロス・マクドナルドのパロディとして十分に笑える「小説」だ。この「ロス・マク小説」を読むと、例えば「デッカードに会った時、詮索する目つきが誰かに似ていると思ったが、後から○○だと気がついた」というセリフなんかは、ロス・マクがチャンドラーよりもクリスティに近い趣向であることを強く感じさせる。
そしてロス・マクが、そのストーリー構成においても、文章を記述する方法においても稀代のマニエリストであることを匂わせながら、作者はそれを逆手に取って、唖然とするトロンプ・ルイユ(だまし絵)的な結末でもって、パズルを崩壊させる。
『カット・アウト』
これは随一の傑作。モダニズム芸術家が主人公で、彼の芸術理論と小説のプロットが見事に融合した奇跡的な作品。言及されるジャクソン・ポロックやアルチュール・ランボーが単なる飾りではなく、作品のメッセージに深く食い入り、そのパトス(情熱/受難)を露にする。
もしかすると、この作品において、登場する前衛芸術家は「本格ミステリ」という前衛小説を描いている作者のカウンター・パートであり、それならば前衛という「破壊」と「完成」が同等である芸術の行く末について、「誰かが」悩まなければならないのは、当然であるかもしれない。
そして法月綸太郎が『カット・アウト』で、ピカソらのキュビスムでなくジャクソン・ポロックについて書いたのは、何となく示唆的なものを感じてしまう。それはポロックが作品と自己を区別することなく、
自分ができるかぎり絵画の「近く」にいること、さらに言えば絵画の「なかに」はいりこむことが重要であった。
高階秀爾『20世紀美術』
ということで、そのポロックの理念が、この短編集最後の作品、推理小説家「法月綸太郎」が登場する小説『……GALLONS OF RUBBING ALCOHOL FLOW THROUGH THE STRIP』のみならず、「通常の」法月綸太郎作品にも共鳴しているように思えるからだ。