鏡の中は日曜日
殊能将之 /
講談社ノベルス
面白かった。心地よく騙された。おかげでとても良い気分だ。本格ミステリはこうじゃなくっちゃね。これで今夜はぐっすりと眠れる。
細心に統御された作品である。
フォークナー『響きと怒り』を思わせるアルツハイマー病患者のモノローグ──既にして事件はここに凝縮されている。この患者の意識の流れを、まずは過去と現在という二つの「テイク」に分解し、そして再構築していく(さらに別の次元のテイク1、テイク2、テイク3……が存在する)。
むろんこのプロセスは平坦な一本道ではない。ゆらぎやずれが複数のテイクを交錯し、相互に干渉し衝突し模倣し、作者が仕掛けた──贈与した──至高の迷宮へと読者を誘う。
もっともこれらのテイクが向かう先は両義的である。すなわち生と死。奇妙に捻れたテクスト──ときに性的であり詩的であるテクストは、戯れに<作者の死>を演出し、墓場からの手紙(手記)で死を不動のものとする。その一方でこれほど真面目にあらゆる生を肯定してみせる作品もあまりないだろう。
迷宮の主(作者)は、細心の配慮で持って、「本格推理小説」という虚の文学形式を織り上げ、しかもイデュメアの夜のごとく美しく感動的に収斂させる。
ただ、ちょっとしたことなのだが、わからないことがあった。それは
池袋と高田馬場は、山手線の駅でいうと隣り合わせに位置しており……
p.211
というところ。
これだけ精妙に構築された本格推理小説である。池袋と高田馬場の「間」にある目白の存在が無いのがすごく気になる。目白とくれば目黒、とくれば『虚無への供物』とか? あるいは「目白=白目」つまりガラス体、水晶体が題名の「鏡」と関係があるとか。そうすると「日曜日」という字面も「曜」を挟んで左右対象というのが気になる……気になって夜も眠れない。