ギヨーム・ルクー   ピアノ四重奏曲ロ短調
GUILLAUME LEKEU (1870-1894)

ENSEMBLE MUSIQUE, Rachel Yakar, Isabell Veyrier
(harmonia mundi FRANCE, HMC901455)


ベルギー産「にごり」発泡酒を飲みながら♪

僕の持っているローラ・ボベスコのCDには、二人の対照的な作曲家、すなわちルクーとドビュッシーのヴァイオリンソナタが録音されている。何が対照的だというと、それは「人間的好感度」である。

1889年のバイロイト。情熱的で感受性豊かな若い音楽家ギヨーム・ルクーはワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』のクライマックスで異常に興奮し、失神し、担架で運ばれてしまう。
このハンサムなベルギー生まれの音楽家は室内楽を中心としたいくつかのとてもチャーミングな曲を残し、24歳の若さでこの世を去ってしまう。師フランクとワーグナーに影響を受けた彼の音楽は、ロマンティックで熱っぽく、切実で狂おしいまでの憧れに満ちている。どの曲も感動を呼び覚まさせずにはおけない! 
僕にとって、かけがえのないシロモノである。


歓喜とは出て行くこと
内陸の魂が大海へと、
家々を過ぎ──岬を過ぎ──
永遠の中へと深く──

エミリィ・ディキンソン”歓喜とは出て行くこと” 亀井俊介訳(岩波文庫)

一方エスプリだかなんだか知らないが、ちんちくりんの小男で、モネの描いたソフトフォーカスが掛かった印象派特有のぼやけた絵ですら、醜悪な顔が隠せないドビュッシー。彼はなんとマーラーのコンサートでわざとらしく「席を立った」そうだ。このバカ・カエル・フランス人はマーラーの音楽が分からない、じゃなくて、素晴らしさが分かりすぎたので、嫌がらせをしたのだろう。
こういうカエル野郎の行動やセンスを日本の田舎の人は「エスプリ」と呼ぶ。しかし国際的には、ドビュッシーのようなイヤなフランス人のことを「アロガント」(傲慢)と言うだろう。

さらにコイツの書いた文章『ドビュッシー音楽論集、反好事家八分音符氏』(平島正郎訳、岩波文庫)。これが論文なんだろうか? この不快で(特にグリークのところ)たどたどしい「作文」はなんだ? 「小説」のように面白いシューマンの批評や、相手を攻撃することに関してはアメリカ大統領選ネガティブキャンペーンに勝るとも劣らない徹底した論争を挑むアドルノ(読み応えあり)、ましてやヴァレリーの芸術論やジャンケレビッチの音楽論の示唆に富んだ文章と比べたら、このフレンチ・コンポーザーの音楽以外の無能さを暴露しているだけではないか。しかも傲慢で性格が悪いなんて最悪だ。

ドビュッシーのような連中の性根を「エスプリ」と呼ぶなら、そもそもエスプリってなんだ? そんなものより「大和魂」や「ジョンブル魂」のほうがずっと素晴らしいように思える。
多分アロガント=ドビュッシー・ファンは、得意の「エスプリ」と学校で習った和声で「ちょーしこいて」アンチ・ロマンを気取ってみたり、「教科書」に書いてある程度の知識をひけらかしたりして、ルクーの技法の未熟さやワーグナーのもろ影響を「どこかに書いてあった解説通りに」あげつらうだろう。

そう。ルクーの音楽は、非常に情熱的でロマンティックだ。シューマンの音楽に通じるものがある。そしてシューマンの音楽同様「専門家気取り」に中傷されやすい「すき」があることも。
僕は「素人」なので「印象批判」以上のことは出来ず、「シニカル」な視点や「教え諭す」ような「プロっぽい」言い方書き方は出来ない。ただし言文一致、と言うより、提示した「内容」に見合った文章の論理性、抽象性のレベル、展開、理解し易い日本語には出来るだけ気をつけたいと思っている(努力している)。

さて「エスプリ」と無縁な僕がルクーの作品のなかで最も好きな曲はピアノ四重奏曲である。情熱が迸る、ドラマティックな音楽だ。ただしこの曲は未完成である。しかしそれでもこの曲の持つ圧倒的な「魅力」、心を虜にする「魔力」は全く失せない。それどころかこれほど心を打つ音楽はあまりない。この曲を聴くと、喜びなのか、哀しみなのか、あるいは純粋に音楽的な感動なのか胸が熱くなる。幾分苦しくなる。これも一種のエクスタシーなのかもしれない。
わたしたちのように、山に囲まれて育ったなら、
船乗りにも分かるでしょうか、
陸地から一里沖へ出た時の
この世ならぬ恍惚が?

エミリィ・ディキンソン 同

僕の人生のラスト・ミュージック、死に際の音楽にはこのルクーの音楽と(いまのところ)決めている。そして出来れば葬式でこの曲を流し、多くの人を泣かせたい、という「野心」もある──そのためには「いい人」でいなくては(笑)。

ルクーの他の作品は、没後100年を記念してリチェルカールレーベルから全集が出ていたが、買いそびれてしまった。一生の不覚! 
とりあえず、上記のピアノ四重奏曲、リチェルカールの全集から室内樂集3、4(歌曲含む)、カンタータ『アンドロメダ』、それに有名なヴァイオリンソナタを聴くことが出来た。
ルクー全集の”3”にはピアノ三重奏曲がメインに入っている。かなり長大な音楽で、聴き応えがある。ピアノも十分活躍する。
また4集には、チェロソナタ、ピアノソナタが収録されており、こちらも素晴らしく感動的な音楽である。情熱的でただならぬ開始を持つチェロソナタ、前奏曲と2つのフーガ楽章を持つ一見厳格でありながら、非常に美しく叙情的な旋律をも持っているピアノソナタ。「フランクのマネじゃんか」なんてつまらないことを「いまさら」言わないように。
ドラマティックに盛り上がるカンタータ『アンドロメダ』。最も規模が大きな作品であるがとても聴きやすい。かっこいいよ、これ、マッシブで。ワーグナーみたくて・・・。
多分ルクーの作品で、実際に演奏される機会に恵まれているのはこのヴァイオリンソナタぐらいだろう。グリューミオーにも2種類の録音がある。
僕はこのローラ・ボベスコの演奏がわりと気にいっている。ノスタルジックな暖かさと優しさに耽れる。なんかいいんだよなあ、このおばさんの演奏。専門家と呼ばれる人(人に向かって「素人」と連発する人)にはバカにされそうだけど、人間的な魅力がそのまま演奏に出ているようで。



INDEX / TOP PAGE






ルネ・マグリット『闘技士たちの墓』