DISC REVIEW

バッハ / ピアノ協奏曲第一番 BWV1052
JOHANN SEBASTIAN BACH(1685-1750) / Concerto No.1 in D minor, BWV 1052
フレデリック・ショパン (1810-1849) / ピアノ協奏曲第二番 Op.21
モーツァルト (1756-1791) / ピアノ協奏曲第六番 K238

ウラディーミル・アシュケナージ / VLADIMIR ASHKENAZY(piano)
デヴィット・ジンマン、ハンス・シュミット・イッセルシュタット指揮
ロンドン交響楽団

DECCA


錦絵って誉め言葉だよね?

新潮文庫から出ていた吉田秀和の『世界のピアニスト』は、クラシックに興味を持ち始めた頃によく読んだ。今その本は手元にないので詳細については確認が出来ないが、アシュケナージについて書かれた部分はわりとよく覚えている。

確か筆者の吉田氏が、海外のレコード店で若きアシュケナージの弾くベートーヴェンの「ハンマークラヴィーア」を薦められたが、あの長大で深刻な音楽を聴く気分ではなかったので、変わりに同じアシュケナージの弾くバッハとショパンのレコードを買うことにした、ということが書かれてあった。
レコードを聴いた吉田秀和は、アシュケナージの演奏それ自体には関心したが、バッハについては、まるで”錦絵”のような豪華な代物になってしまっていると「異」を唱えていたようだ。
しかし一方で、そのような豪華なバッハになってしまうのはアシュケナージの演奏解釈に問題があるのではなく、アシュケナージの出すピアノの音それ自体が美しくそして輝かしく響くからだと書いてあったように思う。

僕も同感だ。このアシュケナージの弾くバッハの協奏曲はとても美しい。とても心地よい。自然で、身体にほどよくフィットする。多分こういったフレッシュで感覚的な演奏は吉田秀和の趣味ではなかったのだろう。
しかし現在では「趣味」とは別にある種の強制力拘束力を持ったバッハの「聴き方の遵原則」みたいなものがある。

現在のバッハの聴き方は、まずピッチの低さに驚きながらもしたり顔で頷き、シャンシャンと鳴る軋轢のような音に禁欲と考古学的正しさを感じ、当時の音楽を聴いているという SF 的体験、あるいは神秘的体験に興奮と悦びと自己満足を感じる必要がある。そしてまるで融通の利かない原理主義者のように神学論的態度を表明して、「オーセンティック」を追求する狂信者になる必要がある。

 「ピアノでバッハを弾いちゃいけないんですか?」  「否」
 「ビブラートは?」                「否」
 「グレン・グールドは?」             「否!否!」

ここまで言えればあなたも立派な古楽愛好家!

まあ戯言はこれぐらいにするが、しかし、一部の古楽器シンパの連中の発言には本当に腹が立つことが多い。

僕はピアノの音が好きだし、アシュケナージのピアノの音はとても美しいと思う。そしてバッハをどれほど美しく演奏しても何の問題もないと思う。
実際このアシュケナージのバッハは本当に素晴らしい。1、3楽章での技巧の冴えはもちろんだが、2楽章での弱音の美しさ、リリシズム──卑小化された演奏法では土台無理だろう。
カップリングのショパンの二番も同様に、何よりもピアノの音が美しく響き渡り、自然で、気持ちの良い演奏を聴かせてくれる。ショパンの二番協奏曲に関しては、この演奏が僕のベストである。同時期に一番の協奏曲も録音して欲しかったと思う。
モーツァルトにしても、ニ楽章のアンダンテの美しさは比類がない。

録音は1965年だが、かなりよいコンディションを保っていて聴き難さはない。まるで至近距離で聴いているような分離の良い立体的な音響だ。これが"THE CALSSIC SOUND" と銘打ったまさに DECCA サウンドだろう。
人によって好みがあるかもしれないが、僕は DECCA の録音は大好きだ。


吉田秀和は否定的な意味で”錦絵のような”という言葉を使ったのだと思うが、これって決して不愉快なコトバではないだろう。こういったジェントルな物言いは見習いたいと思う。
しかしモダン楽器の演奏を「厚化粧」だとか「暑苦しい」だとか言われるとついテンションが上がり、激しく反駁したくなる。


ピエール・ブーレーズ /
ル・マルトー・サン・メートル

PIERRE BOULEZ(1925-) / Le Marteau Sans Maitre
ピアノソナタ第一番

LINDA HIRST(mezzo soprano)、 MARC PONTHUS(piano)
Odaline de la Martinez 、 LONTANO

LORELT


”ブーレーズのいないブーレーズ”

このCD、まず表題が面白い。"BOULES SANS BOULEZ" 。ブーレーズのいないブーレーズ。もちろん Le Marteau Sans Maitre に掛けているのだろう。しかしそれだけでなく、昨今の指揮者ブーレーズの活躍──最良の作曲家ブーレーズ作品の解釈者──に「ちょっとまて」と言っているのかもしれない。かなり野心的なタイトルだ。

確かに2種類の自作自演のある作品を取り上げるのはちょっと度胸がいるかもしれなし。しかしそれだけ自信がある証拠でもあるだろう。このキューバ生まれ!の Odaline de la Martinezという女性を中心として創立されたイギリスの現代音楽専門グループ LONTANO もなかなか気を吐いてくれる。
レーベルも若く、1992年に設立された。現代音楽、女性作曲家というセールス的にはあまり高くを望めないラインに拘りを持つ(しかし今でもこれのレーベルが存続しているのかどうかは知らない)。


Le Marteau Sans Maitre はブーレーズの代表作で1955年に初演された。いわゆるバリバリの理論武装を施した「現代音楽」であるが、そんな「能書き」も忘れるくらいの眩い美しさに溢れている。
フルート、ビオラ、ビブラフォン、ギター(何でも日本の琴をイメージさせるらしい)などの織り成す魔術的な音響には、まさに目が眩む。途中メゾ・ソプラノによるルネ・シャールの詩も加わり、ますます非現実な世界に聞き手を導く。


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