DISC REVIEW [MUSÉE NOIR]


Goran Bregovic
UNDERGROUND

ゴラン・ブレゴヴィッチ 『アンダーグランド』

  • KALASNJIKOV
  • AUSENCIA
  • MESENCINA/MOONLIGHT
  • YA YA(RINGE RINGE RAJA)
  • CAJESUKARIJE - COCEK
  • WEDDING - COCEK
  • WAR
  • UNDERGROUND - COCEK
  • UNDERGROUND - TANGO
  • THE BELLY BUTTON OF THE WORLD
  • SHEVA

Recording 1995 / MERCURY


こんなところにもノワールが。タワーレコードの musée vol.32 に<バルカン・スラップスティック・ノワール>と銘打ったDVDの紹介があった。
エミール・クストリッツァ監督による『アンダーグランド』。『黒猫・白猫』でも有名な監督の映画作品。実は映画は見ていないのだが、グラン・ブレゴヴィッチによる音楽は一時<ロマ(ジプシー)音楽>として話題になっていたのでサントラCDは持っていた。

改めて聴いてみると、 musée の紹介文でも書いてあるようなボスニア内戦を舞台にした破れかぶれの痛切なドラマは、この音楽からも十分伝わってくる。異様なテンションを孕み、破綻や破滅や自爆をものとせず、圧倒的な迫力で爆裂するブラス音楽。良くも悪くも「クラシック音楽」とは一線を引いた、一種のチープさと下品とさえいえるセンチメンタリズムを秘めたこの音楽は、まるでパルプ・フィクションを思わせる猥雑さとそれに伴う漲る生命力を感じさせてくれる。

ヒロイズムとは無縁の調子っ外れに「近い」喇叭の「ファンファーレ」にはじまり、一転してたたみかけるような熱いテンションの渦に巻き込まれてしまう"KALASNIJIKOV"。アコースティックな伴奏に、切々と歌い上げる哀しげなバラード……とは断じて言えない、良く聴いてみると、非常に高度な「カウンターパート」を奏で、歌い、そして囁く楽器群──"AUSENCIA"。このCDのキモであるロマの喜怒哀楽を謳った三つの"COCEK"。不思議な音律が実に印象的な"WAR"。そのセンチメンタルが心地よくホロリとさせてくれる"UNDERGROUND TANGO"など。

痛烈で痛快でしかもエモーショナルな音楽。感情の強度、生命の強度をダイレクトにそしてフィジカルに感じさせてくれる。このエネルギーはどこからくるのか?

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MAURICE RAVEL
モーリス・ラヴェル

『ボレロ』、『左手のためのピアノ協奏曲』



マーメールロウ
海原の小船
道化師の朝の歌
スペイン狂詩曲
ボレロ

ピエール・ブーレーズ指揮
ベルリンフィルハーモニー管弦楽団

Recording 1994 / DG


ピアノ協奏曲ト長調
古風なメヌエット
左手のためのピアノ協奏曲ニ長調
海原の小船
ファンファーレ(「ジャンヌの扇」)

パスカル・ロジェ、ピアノ
シャルル・デュトワ指揮
モントリオール交響楽団

Recording 1982 / DECCA



モーリス・ラヴェルの音楽で一番好きなのは、やっぱりアレかな。弦楽四重奏曲。とくに第2楽章、あのバキバキのピッチカートの嵐。演奏は、その音楽にふさわしい溌剌さとクールなテクニックで迫るハーゲン弦楽四重奏団に決まり。
他にピアノ曲だったら、その楽譜を見て卒倒しそうになったくらい難曲難物であるが、まるで「機械(時計)仕掛けのオレンジ」のようにピアノをギラギラと鳴らし気分をメチャクチャ昂揚させてくれる『夜のガスパール』、あるいは、スピーディ&一気呵成な連打音が生理的にとても小気味良い『クープランの墓』の「トッカータ」。オケ曲はゴージャスでマジカルな『ラ・ヴァルス』か『展覧会の絵』あたり。
どちらにしても端整で理知的、怜悧なエンターテイメント性を感じさせてくれる音楽が好きなのかもしれない。

有名な『ボレロ』は・・・・・・もちろん好きで、そのアイデアには感心するけど、そう何度も聴いていない。多分この曲、他のラヴェルの曲と違って、意外に神経に障るというか、集中させられるというか、要するに聴き所のヘソが現代音楽を聴く場合と似通っていて、なかなかに疲れるのだ。

まあブラースムでもマーラーでも集中して聴くと疲れるけど、『ボレロ』の場合はまたちょっと違う感じがする。そんなちょっとした違和感を裏付けるような記事を発見した。

「Brain disease shaped Bolero」
http://www.nature.com/nsu/020121/020121-1.html


たまたま Wired News から飛んでいった科学雑誌 Nature 誌のサイト。 「脳障害がボレロを作り上げた」というなんともショッキングな見出しとお馴染みラヴェルの写真。この記事によると、『ボレロ』を含むラヴェルの後期作品は「音色(の変化)」が支配的な楽曲であるが、それは、作曲者の脳が、複雑なメロディ構造を司る左脳にダメージを受けたため、その代わり、色彩感覚を司る右脳が中心となって作曲されたためだという。

ラヴェルは1927年ごろから言語障害を始めとする脳の痴呆現象に苦しめられ、1937年に亡くなった。多くの脳神経専門家はアルツハイマー病の可能性を示唆したが、Francois Boller 博士は、ラヴェルの病状発症時の年齢やそのときの日常生活にはさほど困難がなかったこと等の記録から、アルツハイマー病の診断に疑問を呈している。

Francois Boller 博士はこの記事で、ラヴェルが二つの脳障害、つまり失語症とCorticobasal degeneration (CBD)と呼ばれる神経性の高次機能障害に罹っていたと推測、そのためラヴェルは作曲不能に陥り、とくに左脳が司る言語的部分、音楽においては、ピッチやメロディ、ハーモニー、リズム感覚といった要素に影響が出たのでは、と解釈している。

そしてこの時期に作曲されたのが、『ボレロ』であり『左手のためのピアノ協奏曲ニ長調』である。
たしかにそう言われると、『ボレロ』も『左手のための協奏曲』も、他のラヴェルの音楽と比べ、異質の構造と独特の音色を持っている。……ように思えてくる。

端整な(ソナタ)形式(『スカルボ』にしてもだ)と端整なテクニックの絶妙の組み合わせ──それがラヴェルの持ち味だったような気がするが、この2曲はちょっと違う。2曲とも(ラヴェルにしては)「端整」とは言い難い大袈裟で唐突なクライマックスを用意している。

『左手』は、もちろん第一次世界大戦で右手を失ったオーストリアのピアニスト、パウル・ヴィントゲンシュタイン(あの哲学者の兄)の委嘱作であるが、脳と左右の手の関係を考えれば、なんとも話が出来すぎている。

しかしラヴェルの音楽も、この2曲に関しては、ベルリオーズやシューマンのように「端整さ」や「洗練さ」とは違った「尺度」で聴いてみようと思わせる、そんな不埒な発見に満足している。なんていったって<エスプリ>という言葉が嫌いな僕だから。

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