HENZE [FANTASIA FOR STRINGS]
ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ:弦楽のためのファンタジア
Hans Werner Henze (born 1926)

Sonata for strings (1957/58)

Double Concerto for Oboe, Harp and Strings (1966)

Fantasia for Strings (1966)

HEINZ HOLLIGER, Oboe
URSULA HOLLIGER, Harge

Collegium Musicum Zurich
PAUL SACHER, Conductor

Recording 1969 / DG

最初、この異様に攻撃的で歯止めが利かないくらい激昂する音楽を聴いたのは、映画『エクソシスト』のサウンドトラックであった。
ヘンツェの曲は映画のエンドロールで流されたようだが、他にも『エクソシスト』には、ウェーベルンやペンデレツキ、クラムらといった錚々たる「ノイジー」な Avant-Garde 作品が使われている。

さすがの選曲だ、と唸ったものの、よく考えたら、ようはオドロオドロシイ悪魔払いのBGM。まさに現代音楽におけるステレオタイプのイメージを逆手に取ったようなものだ。まあ、こういった「気を吐いている/吐き過ぎている」現代作曲家たちの音楽は、「ラフマニノフ崩れ」みたいな不抜けた音楽を安易に流す不抜けたラブ・ロマンスには決して向かないことは確かだが。

しかし、ヘンツェの『弦楽のためのファンタジア』は、実は、別の映画のために作曲されたものであった。ロベルト・ムージル原作、フォルカー・シュレンドルフ監督による『テルレスの青春』。作曲者はこの「ニュー・ジャーマン・シネマ」用のスコアを演奏会用に作り変えた。

そのため『弦楽のためのファンタジア』は『テルレスの青春』の内容を十分想起させるものらしい。CDの解説によると『エクソシスト』で使われた第4曲アレグロ・モデラートは、『テルレスの青春』では「いじめ」の部分(torture scene)に相当するようだ。『テルレス』での「いじめ」は、肉体的のみならず精神的あるいはセクシャルなところまで行っているので、この熱に浮かされたような狂騒的な音楽は、エスカレートする少年たちの残酷な情動をよく顕わしているといえるだろう(しかも激しいクライマックスの後、急激にメノ・モッソでトーン・ダウンするところが妙に性的な感じがする)。
他には第6曲もすこぶる鋭角的タッチ、激情的な表現の音楽でとても気に入っている。

『弦楽のためのソナタ』と『二重協奏曲』は、『弦楽のためのファンタジア』の表現主義的な(ホラーな)音響に比べると多少晦渋かもしれない。かなりシステマティックな作りになっている。しかしそれでもかなり聴き応えのある魅力的な音響空間を創出する。
とくに『二重協奏曲』は、オーボエとハープの不思議な色彩感覚が異様な美しさ、妖しさを生み、幻想的で、ときに耽美、何かしら奇怪なオブジェが眼前に浮かんでくる……ような感じがする。
この音楽が孕む、アンニュイなメロディー、アンニュイなリズム、アンニュイなハーモニーに耽溺させられる。


[Henze: Website](German)
http://www.hanswernerhenze.de

[Royal Festival Hall : Hans Werner Henze at 75 ]
http://www.rfh.org.uk/henze/

[SEQUENZA/21 : Hans Werner Henze at 75 ]
http://www.sequenza21.com/London.html


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BARRAQUÉ [Concerto / Le Temps Retitué]
ジャン・バラケ:協奏曲、返却された時間
Jaen Barraqué (1928 - 1973)

Concerto for Clarinet, Vibraphone & 6 Groups of 3 Instruments (1968)

Le Temps Retitué (1956-57、1968)

Remi Lerner (clarinet)
Paul Mefano/Ensemble 2e2m

Recording 1987 / harmonia mundi FRANCE

呪われた天才──そんな凶々しい言葉がジャン・バラケを形容する。たしかに彼は破滅型の人生を歩んだ芸術家であった。同じメシアン・クラスで学んだピエール・ブーレーズのライヴァルと目されながらも、「呪われた」としか言いようのない不幸が、バラケを襲う。

交通事故、そして火災(作品の草稿は焼失)、さらには裁判沙汰まで。望んだ大学での地位も得られず、彼はアルコールに溺れ、自滅していった。計画中だった壮大な規模の作品も、その死によって、結局、未完に終わってしまう。享年45歳、あまりにも若すぎる死であった。
一方ブーレーズは、黄色い(黄金か)のレーベルの専属になり、今やリヒャルト・シュトラウスやブルックナーまで指揮するポスト・カラヤンに相応しいスターになった……。

このCDでは『協奏曲』と『返却(回復)された時間』という二つの作品が収められている。その音楽は、詩的なセリー主義者=バラケによる複雑精緻な音色のマジック。まさに美しい前衛と呼ぶに相応しい。
あえて「ライヴァル」ブーレーズとの比較で言えば、前者は『プリ・スロン・プリ』、後者は『水の太陽』に似た響きを感じさせる(あくまで乱暴な印象であるが)。

『協奏曲』では、いくつかのグループに分かれた楽器群が、それぞれ、まるで独自の命令系統を持った器官が行う蠕動運動のように蠢き、囁き、交感し、ときに協調し、ときに反発しながら、ミステリアスな音を放出し、絶妙な色彩変化を眩しいくらいに瞬かせる。切れ目なし約30分の大曲であるが、ただならぬ緊張感とサスペンスが時間の感覚を狂わせる。

時間。『返却(回復)された時間』は、哲学者ミシェル・フーコーとの「熱烈な関係」(浅田彰)から生まれたそうだ。バラケはフーコーに勧められたヘルマン・ブロッホの小説『ヴェルギリウスの死』を元に、『マタイ受難曲』と『パルジファル』を合わせたよりもはるかに長い巨大な音楽作品を企図したのだった。

ヘルマン・ブロッホはオーストリア生まれのユダヤ人で、第二次世界大戦ではナチスにより生死の境をさ迷った。彼の母親はテレージエンシュタット収容所で死んだ。集英社版『ヴェルギリウスの死』の解説によると、この小説は、そんな極限状態にあったときに創作されたものだとういう。「迫りくる悪に対する抵抗の願望、殉難者の運命へのひそやかな共感のうちに、かれは詩人であり神をもとめる人であるウェルギリウス=ブロッホの問題性を苛烈に追及するこの作品に全力をかたむける。」(圓子修平)

オリヴィエ・メシアンの収容所体験が『世の終わりのための四重奏曲』(Quartet for the End of Time )を生んだように、この作品もまた、人間の極限状態を音に託す。
悲痛なソプラノ、威容なコーラス、ショッキングなアクセントを添える色彩豊かな楽器。セリエルな構えの中に、内攻的で凶暴な音響が飛び出す。システムの軋みを、まるで快復困難な深傷の痛みのように、激しく響かせる。


このCDの演奏は現代音楽を専門とするアンサンブル 2e2m 。この The Ensemble 2e2m は1972年、ポール・メファノ(Paul Mefano) によりフランスで結成された。
2e2m の意味は"etudes et expressions des modes musicaux"( 英語で "studies and performances of musical modes") ということらしい。アンサンブル・アンテルコンタンポラン、アンサンブル・モデルン、ロンドン・シンフォニエッタ、シェーンベルク・アンサンブルと並んで気になる団体だ。


[浅田彰:「呪われた天才」の物語からフーコーを救出する]
http://www.criticalspace.org/special/asada/techo03.html

[Jean Barraque : Classical Composers Database]
http://utopia.knoware.nl/~jsmeets/cgi-bin/ccd.cgi?comp=barraque

[BBC A Musical Timeline - Meaning of Music -]
http://www.bbc.co.uk/music/timeline/amt_035.shtml

[Ensenble 2e2m : Website] (French)
http://www.ensemble2e2m.com/

[Ensenble 2e2m :at bisbigliando.com ]
http://www.bisbigliando.com/2e2m.htm


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RAUTAVAARA [Cantus Articus]
ラウタヴァーラ:カントゥス・アルティクス
Einojuhani Rautavaara (born 1928)

カントゥス・アルティクス(鳥とオーケストラのための協奏曲)Op.61 (1972)
「沼地」「メランコリー」「白鳥の渡り」

ピアノ協奏曲第1番 Op.45 (1969)

交響曲第3番 Op.20 (1959-1960) 


Laura Mikkola (piano)
Royal Scottish Nathionl Orchestra
Hannu Lintu (conductor)

Recording 1997 / NAXOS

オーケストラの音は冷たく澄んでいる。スピーカーを通して息の長いゆったりとしたメロディーが部屋中に響き渡る。目を閉じ、瞑想する。すると、鳥の声が聞こえてくる……。

フィンランドの作曲家ラウタヴァーラの『カントゥス・アルティクス』は一種のテープ音楽である。オーケストラが織り成す精妙にプログラムされた人工的な響きの中に、採取された自然=鳥の声が合成される。
鳥の声というとオリヴィエ・メシアンが鳥の鳴声を採譜し、それをピアノやオーケストラに移し変えたものが有名であるが、この曲は実際に録音された生々しい鳥の声が使われている。

ひんやりとした冷気が流れ出し、漂い、非現実な美しさと霊感に満ちた音の空間が構築されていく。聴者はバーチャルな「沼地」に足を踏み入れる。その、霧のような、空隙のある音の粒子に包まれながら、「メランコリー」な気分に浸り、その音(楽)に陶酔する。やがて「白鳥の渡り」を目撃することになる……。


ピアノ協奏曲第1番と交響曲第3番はネオ・ロマンティックな作風である。もっとも『カントゥス・アルティクス』にしても音楽そのものはシベリウスに通じるリリカルなところがあり、いわゆる「前衛」とは言い難い。ラウタヴァーラはどちらかというとセリー主義を嫌っているようだ。

ピアノ協奏曲はモダンとロマンが折衷している。そのため、たとえピアノがトーンクラスター的なショッキングな和音を掻き鳴らしても、全体的な響きは意外なくらい美しい。とくに静寂の最中で鳴らされるピアノの不協和音には思わずため息すら漏れてしまう。そしてフィナーレではシューマンやリストのロマン派協奏曲に通じるソロの技巧的な見せ場、音楽の盛り上がりを存分に見せてくれる。

交響曲には12音技法が採用されている。しかしそのキラー・テクニックがこれ見よがしにクローズ・アップされるわけでもなく(ほとんど気がつかない)、音楽は悠長な時間設定の中、神妙な身振りで進んでいく。ブルックナーやマーラー、シベリウスらの交響曲に連なる雄大な音の世界を感じさせる。


[Finnish Music Information Center]
http://www.fimic.fi/


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