シュトックハウゼン:コンタクテ/ツィクルス/ルフラン
Karlheinz Stockhausen (b. 1928)
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- Zyklus (1959)
- Refrain (1959)
- Kontakte (1960)
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Florent Jodelet, percussion
Gerard Fremy, piano & percussion
Jean-Efflam Bavouzet, celesta & percussion
Recording 1992 / ACCORD
「芸術は爆発だ!」と言ってその名を轟かせたのは岡本太郎だが、「テロは芸術だ!」と言って顰蹙を買ったのはカールハインツ・シュトックハウゼンである。しかもその反発のあまりの大きさに腰を抜かしたのか(予定されていた彼の作品のコンサートは中止された)、取って付けたようなあまりにイタい弁明(「あれはルシファーの仕業だと言いたかったのだ」とか)には、ほとほと苦笑させられた。
同じようにテロリストを擁護するような発言をしたスーザン・ソンタグやルース・レンデルの毅然とした雄々しい態度と比べるとちょっと哀しいものがある。かつての前衛の旗手シュトックハウゼンももう年なのかな、とある種の感慨すら沸き起こってくる。
たしかにシュトックハウゼンの名前には、最近では、すっかり過去のイメージがついてまわる。例えば、彼とともに当時の「前衛の三羽烏」の一人だったブーレーズは今や人気スター指揮者として商業的に成功を収めているし、もう一人のルイジ・ノーノも最後まで政治(左翼思想)にコミットし続けたその潔い態度に多くの尊敬を集め、死後の評価もますます高まっている。
それに比べシュトックは・・・・・・あんなワーグナーの『指輪』を超える誇大妄想なオペラを作曲したり、(その一部として)ストリング・カルテットをヘリコプターに押し込めたり・・・・・・と。
とはいえ、僕はシュトックハウゼンが好きだ。特に50年代60年代の音楽に関しては、ブーレーズやノーノよりもずっと気に入っている。このCDではそんなシュトックの一番輝いていた時期の代表作をなんとデジタル新録音で聴くことができる。
曲は、泣く子も黙る『コンタクテ』、打楽器奏者も震えて黙る『ツィクルス(サイクル)』、ウィトゲンシュタインも沈黙せざるを得ない『ルフラン(リフレイン)』。
各曲の詳しい(あるいは正しい、あるいはアカデミックな)説明は、
[Stockhausen Home Page ]
http://www.stockhausen.org/
「シュトックハウゼン音楽情報」
http://member.nifty.ne.jp/stockhausen_info/index.html
というウェブサイトで公開されているのでそちらをどうぞ。以下は僕の勝手な感想です。
『コンタクテ ── 電子音、ピアノと打楽器のための』は、電子音楽の「これぞ嚆矢」ともいうべき作品で、その「驚異のサウンド」は未だ古びていない。いや、正確に言うと(と言っても弁証法ではない)、いかにもな(単音の)電子サウンドであるがゆえに、Windowsの起動サウンドを聴き慣れている耳には、その「音」はまったく「楽音」には聞こえない、がゆえに、クラシック音楽的「ノイズ」として、まったく新しいサウンドとしての「新しさ」を保っている。不規則に(のように)鳴らされるピアノと打楽器、そのクラシックな楽音をガハハハとせせら笑うかのように響く電子音。とんでもなく面白い音楽だ。
これに比べると、オリヴィエ・メシアンが好んだ電子楽器オンドマルトノや最近話題のテルミンは、なんて美しく上品に響くのだろう(シュトックの「電子音」が下品だなんて口が裂けても言えない)。
『ツィクルス(サイクル)』は打楽器独奏曲。打楽器に独奏させるという(当時としては)なかなか独創的なアイデアを誇っていた音楽。まあ、ほとんど「ノイズ」なんだけど。
しかしそれにしても、この楽曲のライナーノーツ(上記のサイトの情報参照)にはずいぶんと複雑で奇々怪々な指示が書き連なれている。なんだか演奏者の方には、まるで口煩いクライアントの支離滅裂な「設計仕様書」を懸命に読み解かなければならないようで、まったく同情を禁じえない。ただしこのCDでパーカッションを演奏している Florent Jodelet は1962年生まれと若く(しかもハンサム)、高度な技法もものとせずバリバリとやってくれている。
『ルフラン(リフレイン)』。これも実に煩雑な仕様を持つ──まあ、語り得ぬもの(音楽)について、莫大な言語(説明)を注ぎ込んでしまうのもそれも人情なのかな──高度に抽象的で怜悧なまでにメカニックな音楽。
しかし、あるセリー批判者が言ったように、ここまで複雑な「仕様」を持つ音楽を、実際聴取者は、その「音象」に関し、どれほど精確に、作曲者の「意図」通りに感得できるものなのかな、と思わされるのも事実。
もっともこの曲は、ピアノに加え、チェレスタとアンティーク・シンバル、ビブラフォン、カウベルからなる煌びやかな音響がなかなか魅力的で、その立体的な音象もそれなりに(下手なりのデッサン能力で)イメージできる(演奏時間も11分だし)。また奇妙な「掛け声」もユーモレスクなアクセントになっていて、意外に親しみがもてる余地も残されている。