XENAKIS [Eonta / Metastasis / Pithoprakta]
ヤニス・クセナキス:エオンタ、メタスタシス、ピソプラクタ
Iannis Xenakis (1922 - 2001)

  • Eonta (1963-1964)
  • Metastasis (1953-1954)
  • Pithoprakta (1955-1956)

Yuji Takahashi, piano
P.Thibault, L.Longo, trompettes
J.Toulon, G.moisan, M.Chapellier, trombones
Ensenble Instrumental de Musique Contemporaine de Paris
Konstantin Simonovic, dir

Orchestre National de l'O.R.T.F
Maurice Le Roux


Recording 1965 / Chant du Monde

このCDのブックレイトはこんな文章で始まる。
音楽?
ベートーヴェンの交響曲やショパンのマズルカあたりを好むような一般的な音楽愛好家は、クセナキスの作品に突如出くわしたとき、これが「音楽」なのかとクウェスチョンマークを付けたくなるだろう。
この解説は1965年のものであるが、多分これが当時のクセナキスの一般的なイメージなのだろう。いや、現在でもクセナキスという名前を目にしたとき、それと似たような多少の身構えが生じるかもしれない。何と言ってもクセナキスの作品には数学的な音楽──統計学的な制御、計算──がイメージされる。さらに彼の開発したユーピック(UPIC)というコンピューターシステムでの作曲、C言語による記述、ゲーム理論等、クセナキスの「デザイン」する音楽は、「音楽」における根本的な考え方の違いをいやでも感じさせるものだからである。

もっとも21世紀に生きている聴者にとっては、多少の「身構え」なんてすぐに乗り越えられるだろう。と言うより乗り越えなくてはならない。なぜならクセナキスの音楽はなくてはならない「必需品」だからである。
クセナキスを聴かずして音楽を語ることは、ドストエフスキーなしで文学を語ることや、アウスヴィッツを無視して歴史を語る暴挙にも等しい──そんな気さえする。

それはクセナキス自身が数々の苦難を「乗り越えた」人物だからである。

彼の顔の左側には傷がある。左目は失明している。1944年、故郷のギリシアで左翼組織に加わり抵抗運動を行っていたクセナキスは銃弾で負傷した。投獄され、死刑判決も受けた。かろうじてパリに逃れた彼は、エトランジェとして生き(「Xenakis」という言葉には「よそ者」という意味があるそうだ)、音楽を書く。

しかしクセナキスの音楽にはルイジ・ノーノのような直接的な政治的言動はほとんどない。そういったものを乗り越えたところにあるもの、個人的な経験をあくまでも純粋音楽的な思考(美学、哲学)に変換する技術、それこそが彼の「音楽」なのだ。数学やテクノロジー(技術)というものは政治的なアジテートとは無縁だ。それらは冷静な判断を必要とするものだからである。そして数学やテクノロジーこそ、あるいはそういった冷静な思考に基づいた哲学こそ古代ギリシアで称揚された。
もしかするとクセナキスの故郷は現在のキリシアではなく、時間を超越して立ち現われる古代キリシアなのかもしれない。

あらゆる問題が、時間に還元できる。
非常な苦痛。方向づけられていない時間。地獄への道、または天国への道。永続性または永遠性。

シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』(田辺保訳、ちくま学芸文庫)より




『メタスタシス』。 Metastasis (Meta = after + stasis = fixed state = dialectic transformation)
つまり「弁証法的変換」。ドナウエシンゲン音楽フェスティバルで初演された曲で、セリエルな音楽を含むいわゆる「クラシック音楽」と「形式化された音楽(Formalised Music)」のターニングポイントに立つ作品である。
ここでは、61の奏者がそれぞれ61の声部を奏し、統計学的に計算された音響密度の変化を描いている。

もちろんそんなことを意識するまでもなく、グリッサンドからなる絶えずその密度が変化する音響を──まるで水銀が戯れに<素早く>流れ、落ち、変容していくその様を──目で追っているだけでまったくスリリングな感興を味わえる。その不思議な「フォルム」に夢中にさせられる。

『ピソプラクタ』はそれこそ「確率的なアクション」を狙ったものである。編成は46の弦楽器、2本のトロンボーン、シロフォンとウッドブロックからなり、グリッサンドやピッチカート等の「粒状の音」でもって「雲の動き」を捉える。この音楽によって、ゆらめき変化する雲のイメージは信じ難く鮮明に「見える」、奇跡的に「見えて」しまう。

『エオンタ』(Eonta = Beings)。1964年にピエール・ブーレーズによりドメーヌ・ミュジカルで初演。ここで「IBM7090」というマシーンが登場する。いうまでもなくIBMコンピューターである。コンピューターで計算された音響というまったく革新的な方法を取る音楽ではあるが、しかしそのサウンドは存外に美しく、そのエキサイティングな展開には本当に興奮させられる。高橋悠治が弾く超絶技巧のピアノがなんとも凄く、素晴らしいの一言だ。


DISC REVIEW INDEX /  TOP PAGE

MESSIAEN [Catalogue d'oiseaux]
オリヴィエ・メシアン:鳥のカタログ/鳥の小スケッチ
Olivier Messiaen (1908 - 1992)

  • Petites esquisses d'oiseaux (1985)
  • Catalogue d'oiseaux (1956-1958)

ホーカン・アウストベ(ピアノ)

Recording 1996 / NAXOS

この作品は以下の曲からなる。

「鳥の小スケッチ」
●ヨーロッパこまどり ●黒うたどり ●ヨーロッパこまどり ●歌うつぐみ ●ヨーロッパこまどり ●野のひばり

「鳥のカタログ」
[第1巻]
●べにあしがらす ●こうらいうぐいす ●いそひよどり
[第2巻]
●かおぐろひたき
[第3巻]
●もりふくろう ●もりひばり
[第4巻]
●ヨーロッパよりきり
[第5巻]
●むなじろひばり ●ヨーロッパうぐいす
[第6巻]
●こしじろいそひよどり
[第7巻]
●のすり ●くるさばくひたき ●灰色のだいしゃくぎ


とにかく発想がすごい、すごすぎる! 作曲家メシアンは、この作品で、ピアノによる鳥たちの歌のポートレートを作成しようとした。メシアンによれば、鳥たちこそが地球上で最高の音楽家であるという。正確を規すため彼は実際の鳥の声を採譜した。極めて精度の高い絶対音感の持ち主であったメシアンだからこそ、こう言った作業──鳥の歌声をピアノに転換する作業──が可能だったのだろう。

この「カタログ」には全部で77種類の鳥が「載って」いる。また鳥だけでなく、鳥たちを取り巻く自然、空間、その心象風景までもメシアンは捉えようとした。まさしく一大ページェントと呼ばれてしかるべきものだ。非常に膨大な「カタログ」であり、CD3枚を要する大作である。

それでこの「カタログ」を紐解いてみると……うーん、 どちらかというとソニー製AIBO……の鳥版みたいな感じがする。(まあ、あたりまえだけど)ピアノという原理的には金属を叩いて鳴らす楽器のせいか、そのピアノの音から形作られる「鳥たち」の「像」は、どうしても鋼鉄でコーティングされた機械仕掛けの鳥がイメージされる。
しかもあんまり可愛くない(笑)。ちょっと攻撃的で、人間サマに挑みかかるような、そう、制御不能に陥った感じの──例えばヒッチコック映画の──「鳥たち」。

しかしそのため「ピアノ音楽」としてメシアン特有の煌びやかな響き、プリズムのように光り輝く音響を十分に堪能でき、スリリングでサスペンスフルな展開を楽しめる。
特に『ヨーロッパよしきり』。この曲は約30分の大曲で、ツグミやナイチンゲイールといった鳥以外にも虫の声やカエルの鳴声まで加わり、自然の驚異をまざまざと見せつけてくれる──その大胆かつ目の覚めるような華麗なピアニズムを思う存分味わせてくれる。

DISC REVIEW INDEX /  TOP PAGE

SCHULLER [Seven Studies on Themes of Paul Klee]
ガンサー・シュラー:パウル・クレーの主題による7つの習作(1959)
Gunter Schuller (b. 1925)


シュラー 『パウル・クレーの主題による7つの習作』
  • いにしえの和音
  • 抽象的な三重奏
  • 小さな青い悪魔
  • ぺちゃくちゃいう機械
  • アラブの村
  • 無気味な時間
  • パストラール

ガーシュイン 『パリのアメリカ人』
コープランド 『ロデオ』
ブロッホ 『シンフォニア・ブレーヴェ』


ミネアポリス交響楽団
指揮 アンタル・ドラティ


Recording 1957 / Mercury

ガンサー・シュラーは多彩な才能の持ち主である。学者であり作曲家、指揮者、ホルン奏者、教師、作家、音楽出版業者、そして熱心な社会運動家……。アラン・リッチという音楽評論家はシュラーのことを「単なる音楽家でない、彼こそ独占事業者(monopoly)だ」と言い放った。

確かにその経歴は華々しい。ドイツ移民の息子としてニューヨークに生まれたガンサー・シュラーは、フルートとホルン、音楽理論を学び、17歳で主席ホルン奏者としてシンシナティ交響楽団に入団、その2年後にはメトロポリタン・オペラ管弦楽団に入る。さらにニューヨークでは、マイルス・デービス、ジョン・ルイスらとジャズバンドを組み、レコーディングを行う。また作曲家としてもベルリンフィルを始め、数多くの楽団からの委嘱を受け、1994年には "Of Reminiscences and Reflections" という作品でピュリツァー賞を獲得した。

そんなシュラーの音楽スタイルは、ジャズとクラシックを融合したもので、いわゆる「第3の流れ」(Third stream)を提唱したことにある。
この『パウル・クレーの主題による7つの習作』もジャズのリズム/イディオムに現代音楽の技法(12音技法)が加えられ、まったくユニークなサウンドになっている。題名の通りパウル・クレー──彼も音楽家であった──の絵画にインスピレーションを得たもので、その絵の持つ要素(構造、色彩感、ムード等)を音楽に移し変えたものである。

3曲目の「小さな青い悪魔」はまさしくジャズのリズム/イディオムを使用。クールにアヴァンギャルドしている。絵の「青」はミュートを付けた管楽器とクラリネットで表現されている。
「ぺちゃくちゃいう機械」はセリー音楽、「アラブの村」はエキゾチックな雰囲気が秀逸。「無気味な時間」は新ウィーン派風の音楽で、突如凶暴な爆発音が炸裂する。「パストラル」は印象派風のアンニュイさが漂い、静謐で神秘的な音像が形成される。
ジャズを罵倒したアドルノは、このシュラーのような音楽をどう批評しただろうか。

DISC REVIEW INDEX /  TOP PAGE

BOSE [Symbolum / ...im Wind gesprochen]
ハンス=ユルゲン・フォン・ボーゼ
Hans-Jürgen von Bose (b. 1953)


  • Symbolum (1985)
  • ...im Wind gesprochen (1984/85)
  • Labyrinth T (1987)


Christoph Bossert, organ
Melanie Walz, soprano
Martin Hermann & Detlef Zywietz, speaker

Markusvocalensemble, Neue Vocalsolisten Stuttgart

Manfred Schreier, conductor
Junges Philiharmoisshes Orchestra Stuttgart


Recording 1985 -1991 / wergo

まだそれほど多くの作品を聴いていないが(録音が少ない、入手できない)、ハンス=ユルゲン・フォン・ボーゼは、現在、最も関心がある作曲家である。なにしろフォン・ボーゼは、カート・ヴォネガットの小説『スローターハウス5』(Schlachthof 5)をオペラ化した人物だ。他にもツェランの『死のフーガ』、ハンス・ヘニー・ヤーンの『鉛の夜』、ゲーテ『若きウェルテルの悩み』、ジェイムズ・パーディ『63:ドリーム・パレス』等、そのテクストのチョイス、その関心の方向性に惹かれるところがある。

音楽的には──例えば新ウィーン楽派のそれぞれ個性的な3人のドデカフォニスト(シェーンベルク、ベルク、ウェーベルン)の中では、ベルクの影響が大きいようだ。
また新ロマン主義に見られるノイズィーな音響の中に漂う甘やかなメロディー、繊細で微妙な色彩変化、様々な技法をモンタージュのように折衷する方法も、彼の音楽に特徴的に現われる。これはベルント・アロイス・ツィンマーマン、ジェルジュ・リゲティ、ブライアン・ファニホウらの影響、とくにツィンマーマンの引用も含めた「多元性」を持つ音楽、あるいは「折衷的」な音楽から多くを得ているからであろう。
そのことから──そして古典のゲーテやサッフォーからヴォネガットのようなSF的な現代文学を同列に、分け隔てなく、さらりとオペラ化してしまう、その柔軟な感性から──フォン・ボーゼは、いわゆる「ポストモダン」的な作曲家と言えるかもしれない。

『Symbolum』はオルガンとオーケストラのための作品で、重厚なオルガンが印象的だ。響きも多彩で全体的にミステリアスな雰囲気が横溢している。

『...im Wind gesprochen 』は何よりテクストが特徴的である。聖書、ジョルダーノ・ブルーノ、ソフォクレス(翻訳はヘンダーリン)、ハンス・マグナス・エンツェンスベッガー等、そのメッセージ性を帯びたテクストだけで強烈な作風が予想される。事実強烈な音楽で、男性の力強い、怒鳴り声にも似たヴォーカルでその音楽はスタートし、オルガンと打楽器が激しく打ち鳴らされる。
この曲は3部に分かれているが、第2部は一転、ソプラノ独唱、合唱、ベルの音が瞑想的な雰囲気を醸し出すスタティックな音楽になっている。そして3部で再びテクスト(朗読)と歌が渾然一体となったドラマティックな音楽に変わる。ここではテクスト(声)と音楽(楽器)の絡みが絶妙で、独特の効果をあげている。

『Labyrinth T』はベルリン市制750周年を記念して書かれ、作曲家のアーリベルト・ライマンに捧げられている。そういえばライマンも特徴的なテクストを伴った音楽を創出する作曲家であった。ただこの曲は、いかにも現代音楽風、つまり不協和音バリバリ、複雑怪奇な音響、アンチ・クライマックス、ベルク風の暗鬱な表出力を強烈に感じさせるもので、とても「お祝い事」の音楽には聞こえないのだが……評判はどうだったのだろう。

まあ暗い「お祝いの音楽」には、過去にベンジャミン・ブリテンの『シンフォニア・ダ・レクイエム』(日本の皇紀2600年を祝ったもの、当時の日本政府はこの曲を拒絶した、ゆえに現在では一番評価が高い)があったことはあったが。やはり「過去の反省」を踏まえ、重厚でロマンティック、そして扇情的な(例えばワーグナー風)音楽は忌避されたのだろうか。


[Slaughterhouse Five]
http://www.duke.edu/~crh4/vonnegut/sh5/sh5_opera.html

DISC REVIEW INDEX /  TOP PAGE