BERG [WOZZECK]
アルバン・ベルク:ヴォツェック (1925)
Alban Berg (1885 - 1935)


フランツ・グルントヘーバー(Br)
ヒルデガルト・ベーレンス(Sp)
ラングリッジ(T)他

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮 クラウディオ・アバド


recording 1987 / DG

ストーリーはほとんどサイコスリラー、雰囲気はノワール、そして本格推理小説ばりに構築された音楽的構成。それがベルクによる3幕の歌劇『ヴォツェック』だ。

主人公は一兵卒のヴォツェック(バリトン)。彼は強迫観念に取り付かれ、錯乱に陥る傾向にある。そんなヴォツェックの情婦マリー(ソプラノ)が鼓手長(英雄的テノール)に誘惑され彼の愛人になってしまう──と疑惑を抱いたヴォツェックはマリーを殺害、狂気に駆られ錯乱したヴォツェックは溺れ死ぬ。

全体として「社会秩序」をあげつらい、攻撃するかのような不遜さを漂わせており、登場人物は無責任かつ反道徳的、しかもその「社会秩序」は単に「外部の社会秩序」であるだけでなく、メタレヴェルでの、つまり「オペラにおける秩序」「オペラの価値」までも攻撃し、不遜し、揺さぶっている。
音楽作品のリズムや全体の組織化そのものである、いわゆる時間にたいする支配を破壊すること(『ヴォツェック』という非常に弁証法的なオペラにおいて、ビュヒナーのきらめきにいてベルクがおこなっていることを見てください)だけでなく、静寂/音の関係を破壊し、静寂もまた音であること(両耳のなかの血の音、上下顎骨の筋肉のきしみ)を示し、作曲/演奏の関係、演奏者/聴衆の関係、そしてコンサート/都市という、舞台/客席の関係も揺さぶり返すわけです。

ジャン・フランソワ・リオタール「回帰と資本についてのノート」
本間邦雄訳『ニーチェは、今日?』(ちくま学芸文庫)より

それでありながら、無気味に舞台を照らす「赤い月」やマリーが発する「小刀」という言葉、「血の匂がする」と言い放つ白痴のセリフが、ヴォツェックが殺人に至る「ストーリー上の伏線」になっていて、いやがうえにもサスペンスを盛り上げ、そして断片的なワルツや行進曲の引用、コラージュまでが「音楽的な伏線」として張り巡らされ、音楽が多彩に進行する。

しかも、だ。その音楽形式は、第1幕は5つの性格的小品──プレリュード、パヴァーヌ、ジグ、ガヴォット、アリアというバッハ時代の組曲形式に則り、登場人物を紹介。第2幕ではそれが5楽章からなる「交響曲」として展開していき、第3幕は6つの「インヴェンション」として音の素材が徹底的に弄られ(リズムや主題を)──例えばフーガや変奏として──終結に至る。
まさに「はなれわざ」としか言いようがない。

僕は『ヴォツェック』以前のオペラ、特にアドルノが「ブルジョワ的感傷主義」と非難したロマンティックなオペラにはまったく関心がない。やっぱりグロテスクな殺人物語や人間の暗い心理を抉った作品じゃないと。ベルクの作品こそ、そういった嗜好に合致するノワールな音楽だと思う。

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HINDEMITH   [CARDILAC]
パウル・ヒンデミット:カルディラック (1926)
Paul Hindemith (1895 - 1963)

Oper in drei Akten op.39
von Ferdinad Lion

Siegmund Nimsgern(Br)
Verena Schweizer(Sp)
Robert Schunk(T)他

ベルリン放送交響楽団
指揮 ゲルト・アルブレヒト


recording 1988 / WERGO

なによりCDのカヴァーがいい。マグリットの『脅迫される暗殺者』。僕の大好きな絵画で、マーガレット・ミラーの『ミランダ殺し』のレビューを書くとしたら、ぜひこの絵を使いたいと思っている。

そしてこのヒンデミットの作品も、マグリットの絵画やミラーの小説に通じる奇妙な殺人物語を扱ったオペラである。
まあ、E.T.A.ホフマン『スキュンデリー嬢』をフェルディナンド・リオが台本化したものなので、不気味な雰囲気を持つ作品であることには間違いない。

簡単にストーリーを書くと、パリの金細工師(goldsmith)カルディラック(バリトン)が、客をナイフで次々と殺していくというブラックなもの。しかしカルディラックの娘(ソプラノ)に求婚を申し込もうとした将校(テノール)は、カルディラックの魂を支配している悪魔の姿を目撃する。殺人者カルディラックの魔の手から急死に一生を得た将校は、その狂気の秘密を金の鎖で暴こうとするが、今度は将校がその鎖によって狂気に陥ってしまう。しかし最後はカルディラックが自分の罪を告白し、鎖を手に、死ぬ……。

このヒンデミットの作品も19世紀のオペラように、アリア(歌)とアリアの間に「音楽」があるというものでなく、あくまでも「音楽」主体で進んでいく。ありていに言えば、お涙頂戴の甘美なアリア(歌)は、ここにはない(耳を劈くような女の悲鳴はある)。

もっとも、新古典主義のヒンデミットには、最初から美しいメロディなどは期待していない。厳格な形式を持った、血も涙もない冷酷非情な音楽こそがヒンデミットの魅力であるし。
まあ、ラストでは、それなりの美しさを湛えたソプラノが締めくくるが、それでも全体としては、例えば第2幕のデュエット(12番)──カルディラックと将校による男同士の果し合いのようなデュエット──のように、ハードボイルドな「音楽」で突き進んでいく。

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BRITTEN   [The Turn of the Screw]
ベンジャミン・ブリテン:ねじの回転 (1954)
Benjamin Britten (1913 - 1976)


家庭教師      ヘレン・ドナース
ミス・ジェセル   ヘザー・ハーパー
クイント      ロバート・テアー
ミセス・グロース  エヴァ・ジューン
フローラ      リリアン・ワトソン
マイルズ      マイケル・ジム
プロローグ     フィリップ・ラングリッジ


Members of the Orchestra of the Royal Opera House, Covent Garden
指揮 サー・コリン・デイヴィス


recording 1981 / PHILIPS

原作はヘンリー・ジェイムズの同名小説。幻想的で妖しい魅力を放つ作品だ。ブリテンはそこに耽美的な音楽を添える。主役はもちろんテノール。恋人であったピーター・ピアーズのために書かれたのだから。

ストーリーはほぼ原作通りに進む。ある屋敷に雇われた女家庭教師(S)は、子供たち(マイルズ、フローラ)と「交信」している二人の幽霊──ピーター・クリント(T)とミス・ジェセル(S)──を「目撃」する。家庭教師は幽霊たちから子供を守ろうとするが、しかし……。

編成は室内オペラで、多彩かつ独特の音色が響き渡る。幽霊小説のオペラに相応しい神秘的な雰囲気、そして官能性。とくにクイントが初めて登場するときに流れるチェレスタの輝きは、まさに聴く者を眩惑させる。
また、マイルズ(ボーイ・ソプラノ)が歌う哀しげな「マロの歌」、マイルズが大人たちの注意を逸らせるために弾くモーツァルト風なピアノ曲。フローラが戯れに歌いながら見せる含みのある愛らしさ。ピンと張り詰めたような緊張感が漂う中で、子供たちの不気味な無邪気さ(ラヴェンダーの青、ラヴェンダーの緑)が際立つ。

音楽的にもプロローグとテーマ、15曲のインターリュード(テーマとヴァリエーション)が揺るぎない形式感を構成し、そして、12音からなる「ねじ」のテーマが上昇、下降を、イ短調、変イ長調の間を「ターン」──すなわちラストのカタストロフを冷酷に準備する。

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