SKALKOTTAS   [The Maiden and Death, ballet suite]
ニコス・スカルコッタス:乙女と死 、ピアノ協奏曲第一番
Nikos Skalkottas (1904 - 1949)

  • The Maiden and Death (1938)
  • Concerto No.1 fot Piano and Orchestra (1931)
  • Ouverture Concertante (1944/45)

Geoffrey Douglas Madge, piano

Iceland Symphony Orchestra
Nikos Christodoulou, conductor


recording 1998 / BIS

シェーンベルク・サークルの一人ニコス・スカルコッタスは、ディミトリ・ミトロプーロスと並び、ギリシアでいち早く無調と12音技法を採用した。

1931年に作曲されたピアノ協奏曲1番も、当時最先端であったそれらのメソッドが適宜組み込まれ、複雑極まりない斬新な音響と、しかし協奏曲ならではのヴィルティオジティ溢れる楽想の両輪で見事にデザインされている。
これぞモダニズム! という感じでメチャクチャ格好良い。

まあ、シェーンベルクほど12音は厳密ではなく──この作品はシェーンベルク自身のピアノ協奏曲(1942)に先立って作曲されている──そのため、シェーンベルク作品の持つ多少の息苦しさ、あるいは晦渋さはそれほどなく、抜群に刺激的でドラマティック、つまりなかなか爽快な音楽になっている。
ソロ、オーケストラともども、ダイナミックな表現を競い合うが、特に弦楽器による、急ブレーキにも似たグリッサンドが印象的で、色彩豊かなオーケストラをバックに、ピアノがジグザグと走行していく。華麗だ。

一方、シューベルトの『死と乙女』を入れ替えたようなバレエ組曲『乙女と死』は、調性音楽としての体裁を持つ。ただし、こちらはギリシア・ローカルな民謡を組み込んだため、やはり新奇で独特な雰囲気を放つ。悲しみを湛えた抒情的な部分とマッシブに迫る部分の対比が素晴らしく、聴き応え十分。

1944年に作曲された「協奏的序曲」は、構造的に凄いらしい。というのも解説を見ると、「バイナリー」や「ストラクチャー」「カーネル」なんていう「単語」が踊り、このセリエルな楽曲を説明している。
たしかにその響きは12音技法が組み込まれているのがわかるし、構造化されたオブジェクト(音列)の「振る舞い」も厳格にコントロールされているのだろう。しかしこれが、そんな背景などどうでも良いくらい、メリハリのあるダイナミックな音楽に変換され、プレゼンされている。
10分足らずの曲であるが、ここには、バルトークやルトスワフスキの「管弦楽のための協奏曲」にも通じる「熱狂」が感じ取れるのだ。

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HENZE   [Violin Concert No.2]
ハンス・ヴェルナ−・ヘンツェ:ヴァイオリン協奏曲第2番
Hans Werner Henze (b.1926)

  • コンパス「内なる問いのリズム」
    ヴィオラと22人の奏者のための(1969)
  • ヴァイオリン協奏曲第2番
    独奏ヴァイオリン、テープ、ヴォーカルと33人の器楽奏者のための(1971)
  • アポロとヒアキュントス (1949)

深井碩章(Va)
ブレントン・ラングバイン(Vn & Vo)
アラン・エヴァンス (Vo)
ロバ−ト・ベイトマン (Vo)
アンナ・レイノルズ (Contralto)
ジョン・コンスタブル (Harpsichord)

ハンス・ヴェルナ−・ヘンツェ
ロンドン・シンフォニエッタ


recording 1973 / DECCA

ハンス・ヴェルナ−・ヘンツェは、アヴァンギャルドなグループからは距離を置き、独自のポジションを築いている。彼の語法はたしかに独創的であるが、難解過ぎるということは決してない。交響曲やオペラといった「クラシック」な形式の作品を数多く作曲し、調性感のある、ときにロマン的な作風を持つ作品は演奏会でしばしば取り上げられている。
もともと多作な彼は、最近でも、1990年に三島由紀夫の『午後の曳航』を原作としたオペラを、1997年にはオペラ『ヴィーナスとアドニス』と言った大作を発表するなど、現役バリバリで精力的に活動している(そういえばヘンツェは思想的にはバリバリの左翼で、その方面でも精力的に活動していた時期があり、冷戦華やかなりし頃にキューバで教鞭を取っていたほどだ。とすれば、ヘンツェの三島への関心の所在が気になる。まあ、その方面は言うまでもないのだろうが)。

そんな、どちらかというとバリバリの職人気質のイメージのするヘンツェではあるが、ヴァイオリン協奏曲第2番では、紛れもない実験的サウンド(ライブ・エレクトロニック)がこれでもかと追求されている。

この曲は題名の通りヴァイオリン協奏曲なのだか、冒頭でカデンツァ風のパッセージを掻き鳴らすのはピアノだ──といってもそんなことは今更驚くには至らないが。とにかく最高に面白いのはマグネティック・テープで流される人間の声、つまり電気的に増幅、変換した妖しいヴァーカル。なんだかB級SF映画の宇宙人の声みたいな、どこか異次元空間からの呼び声のようなヴォーカルが響き渡り、それが、実に、楽しい。そこにヴァイオリンとライブの声(朗読)が絡み、交感と対話が発生し、不可思議なドラマが繰り広げられる。

ここで使用されるテクストは、ハンス・マグヌス・エンツェンスベルガーの詩『ゲーデルへのオマージュ』。ゲーデルは言うまでもなくあの数学者/哲学者のゲーデル。「……しかしミュヒハウゼンは嘘つきであることを覚えておけ」「……ゲーデルは正しいことを忘れるな」と言う奇妙な命題で始まり、システムがどうの、言語がどうの、脳がどうの、と意味深な哲学ポエムが語られる。 ソロ・ヴァイオリンとヴォーカルを取り巻く33人の器楽奏者もやたらと攻撃的で、しかもランダムに高揚し、止揚し、「対話」を面白おかしく挑発する。

大胆な<未来志向>の音響で迫るヴァイオリン協奏曲に比べると、『コンパス』と『アポロンとヒアキュントス』はともに格調高い<クラシック>な音楽になっている。『コンパス』では、ヴィオラの深々としたモノローグに寄り添う色彩豊かな室内オーケストラがまるで瞬く星のように煌く。瞑想的な音楽が、ピンと張り詰めたような緊張感を持続させながら、次第に高揚し、そして言いようもない陶酔感をもたらす。
また『アポロンとヒアキュントス』ではハープシコードが華麗に鳴らされ、ほとんどコンチェルトのよう。そこに甘美なコントラルトが加わり耽美的な雰囲気になる。全体的にとても官能的だ──なにしろアポロンとヒアキュントスの物語だし。ジャン・ブロクあたりの絵画を参照のこと。

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VOLANS   ['Hunting : Gathering', 'The Songlines']
ケヴィン・ヴォランズ:弦楽四重奏曲2番、3番
Kevin Volans (b.1949)

  • String Quartet No.2 'Hunting : Gaterring' (1987)
  • String Quartet No.3 'The Songlines' (1988)

BALANESCU QUARTET

recording 1993 / argo

ケヴィン・ヴォランズは南アフリカ出身の作曲家である。・・・・・・と書くと、いかにもアフリカンな、つまりエキゾシズムを「売り」にした音楽を想像されるだろう。
YES. そう、たしかに彼の音楽にはアフリカ風のリズムや旋律が感じ取れる。西洋音楽の核とも言える弦楽四重奏曲によって表現されるアフリカの音楽、アフリカの心象風景、アフリカの魂云々・・・・・・。

なんていうのはコロニアルな発想でしかないわけで、ポスト・コロニアル時代には通用しない。ケヴィン・ヴォランズの音楽は、西洋化したアフリカ音楽、西洋に「飼い慣らされた」音楽、つまりエキゾシズムを聴くものではなくて、むしろアフリカ化した西洋音楽を楽しむものなのだ──実際、ヴァランもそんなようなことをあるインタビューで述べている。
独特なリズムや旋律が鳴らされる中で、弦楽四重奏の響きこそが「エキゾチック」な対象なのだ。

しかも西洋音楽を「飼い慣らす」術を、ヴォランズは十分に持ち合わせている。 ヨハネスブルクの大学を卒業した彼は、ドイツのケルンで学ぶ。ケルンはパリと並ぶ現代音楽の聖地とも言える場所で、パリにピエール・ブーレーズ IRCAM 所長が君臨しているならば、ケルンにはカールハインツ・シュトックハウゼン教授が鎮座していた。
ヴォランズはシュトックハウゼンに学び(その後、教育アシスタントになる)、さらにカーゲルやアイロス・コンタルスキーにも学ぶ。この間、ヴォランズは作曲家として仕事に取り掛かり始めるが、この時期の作品はとくに"New Simplicity"と呼ばれる。現在彼はアイルランドに住んでいる。

ヴォランズの音楽は、シュトックハウゼンの弟子とは思えないくらい平明でわかりやすい。この曲集でも、ミニマル・ミュージックにも通じるノリの良さを感じ取れる。

[KEVIN VOLANS]
http://kevinvolans.com/

[contemporary music centre, Ireland ]
http://www.cmc.ie/articles/freedom.html


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