ハンス・ヴェルナ−・ヘンツェ:ヴァイオリン協奏曲第2番
Hans Werner Henze (b.1926)
|
- コンパス「内なる問いのリズム」
ヴィオラと22人の奏者のための(1969) - ヴァイオリン協奏曲第2番
独奏ヴァイオリン、テープ、ヴォーカルと33人の器楽奏者のための(1971) - アポロとヒアキュントス (1949)
|
深井碩章(Va)
ブレントン・ラングバイン(Vn & Vo)
アラン・エヴァンス (Vo)
ロバ−ト・ベイトマン (Vo)
アンナ・レイノルズ (Contralto)
ジョン・コンスタブル (Harpsichord)
ハンス・ヴェルナ−・ヘンツェ
ロンドン・シンフォニエッタ
recording 1973 / DECCA
ハンス・ヴェルナ−・ヘンツェは、アヴァンギャルドなグループからは距離を置き、独自のポジションを築いている。彼の語法はたしかに独創的であるが、難解過ぎるということは決してない。交響曲やオペラといった「クラシック」な形式の作品を数多く作曲し、調性感のある、ときにロマン的な作風を持つ作品は演奏会でしばしば取り上げられている。
もともと多作な彼は、最近でも、1990年に三島由紀夫の『午後の曳航』を原作としたオペラを、1997年にはオペラ『ヴィーナスとアドニス』と言った大作を発表するなど、現役バリバリで精力的に活動している(そういえばヘンツェは思想的にはバリバリの左翼で、その方面でも精力的に活動していた時期があり、冷戦華やかなりし頃にキューバで教鞭を取っていたほどだ。とすれば、ヘンツェの三島への関心の所在が気になる。まあ、その方面は言うまでもないのだろうが)。
そんな、どちらかというとバリバリの職人気質のイメージのするヘンツェではあるが、ヴァイオリン協奏曲第2番では、紛れもない実験的サウンド(ライブ・エレクトロニック)がこれでもかと追求されている。
この曲は題名の通りヴァイオリン協奏曲なのだか、冒頭でカデンツァ風のパッセージを掻き鳴らすのはピアノだ──といってもそんなことは今更驚くには至らないが。とにかく最高に面白いのはマグネティック・テープで流される人間の声、つまり電気的に増幅、変換した妖しいヴァーカル。なんだかB級SF映画の宇宙人の声みたいな、どこか異次元空間からの呼び声のようなヴォーカルが響き渡り、それが、実に、楽しい。そこにヴァイオリンとライブの声(朗読)が絡み、交感と対話が発生し、不可思議なドラマが繰り広げられる。
ここで使用されるテクストは、ハンス・マグヌス・エンツェンスベルガーの詩『ゲーデルへのオマージュ』。ゲーデルは言うまでもなくあの数学者/哲学者のゲーデル。「……しかしミュヒハウゼンは嘘つきであることを覚えておけ」「……ゲーデルは正しいことを忘れるな」と言う奇妙な命題で始まり、システムがどうの、言語がどうの、脳がどうの、と意味深な哲学ポエムが語られる。
ソロ・ヴァイオリンとヴォーカルを取り巻く33人の器楽奏者もやたらと攻撃的で、しかもランダムに高揚し、止揚し、「対話」を面白おかしく挑発する。
大胆な<未来志向>の音響で迫るヴァイオリン協奏曲に比べると、『コンパス』と『アポロンとヒアキュントス』はともに格調高い<クラシック>な音楽になっている。『コンパス』では、ヴィオラの深々としたモノローグに寄り添う色彩豊かな室内オーケストラがまるで瞬く星のように煌く。瞑想的な音楽が、ピンと張り詰めたような緊張感を持続させながら、次第に高揚し、そして言いようもない陶酔感をもたらす。
また『アポロンとヒアキュントス』ではハープシコードが華麗に鳴らされ、ほとんどコンチェルトのよう。そこに甘美なコントラルトが加わり耽美的な雰囲気になる。全体的にとても官能的だ──なにしろアポロンとヒアキュントスの物語だし。ジャン・ブロクあたりの絵画を参照のこと。