Gay Passage

デイヴィッド・レーヴィット 『呪文』

『スパルタクス・ガイド』は触れ込みどおりの、まさに独特の世界だった。(中略)このガイドで酒場や浴場、”戸外の漁り場”を調べてみると、こんな具合に記してある。”B D LX M OG AYOR”。で、巻頭の略語表を見ると、Bは酒場、Dはダンス、LXはレズ禁制、そしてAYORは──”自己の責任において”(アット・ユア・オウン・リスク)性交可、とある。この最後の略語がぼくはことに気に入った。ひとつの言葉”アヨー”のように読めたから。夕闇せまるチュイルリー庭園をうろつきながら、「アヨー」とひとりごちてみる。響きがたまらない。
そうなんだよ、あの『スパルタクス・ガイド』(Spartacus International Gay Guide) 。あれを持って海外を歩く興奮と言ったらほんとうにたまらない。あの分厚い本を眺めるだけで嬉しくなっちゃう。こんなにゲイのための場所が世界中にあるなんて! 初めて『地球の歩きかた』を手に海外旅行した気分だ。おのぼりさん万歳!
ぼくはいい子だったから、”AYOR”と分類された場所は避けた。出かけていったのは<ル・ブロード>だけ。ここは『スパルタクス・ガイド』が四つ星を与えていて、「パリで最も粋で賑わう折り紙つきのゲイ施設」と評している。洞窟のような巨大な場所で、凝った造りの地下墓地──なにかがひそかに執り行われている気配の、一続きの暗い部屋──があるのだが、クレイグとならいざ知らず、ひとりでは冒険する勇気はなかった。
そう、やっぱり一人で”ハードな場所”に行くのは気が引ける。これもパリの話しだけど、結局、『地球の歩き方』あたりの本にも載っているレ・アールの<バナナ・カフェ>(女性もOK)みたいな「安全」な場所しか入れなくて、しかも入っても誰からも声を掛けられず「パリのばかやろー」と嘯いたりするだけなんだよね。まあ、いいか(笑)。

デイヴィット・レーヴィットの短編小説は、あんまし大袈裟な文学−ブンガクしてなくて、すごく身近に感じるゲイのライフスタイルを描いている。この作品も、語り手「ぼく」の大学の友人クレイグに対する甘くせつない思いから、パリ旅行、そしてそこで知り合ったフランス人の恋人ローランとの関係を軽くさらりとユーモアを交え描いている。

とくに笑ったのは、ユダヤ人である「ぼく」が、ヨーロッパ人のアンカット・コック(要するに包茎)を面白がって、引っ張ったり弄んだりするくだり。
やっぱり自分と違った形態のコックには興味津々というべきか(笑)。

しかし、レーヴィットの作品は、軽いけど決して浅くはない。「対人関係」の難しさなんかもさりげなく書きこんである。作者の「まなざし」の優しさ、暖かさが覗える。こういうところってとても共感できる。やっぱりレーヴィットの小説は安心して読める。


デイヴィッド・レーヴィット『呪文』
David Leavitt / A Place I've Never Been
(幸田敦子訳、河出書房新社『行ったことのないところ』所収)

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