マーガレット・ミラー T
マーガレット・ミラーは、MWA 最優秀長編賞、グランド・マスター賞を受賞しているアメリカ(生まれはカナダ)のミステリ作家で、ヘンリー・ジェイムズとともに、僕の崇拝する作家である。簡単に作風の述べるなら、異常心理を扱ったサスペンス、と言えるだろうが、その卓越した文章、鋭い人間観察、そして類稀なバツグンのユーモア・センスは、他の並居るサスペンス作家の追随を許さず、しかも小説のラストに用意されたサプライズド・エンディングは堂々のミステリ的カタルシスを提供し、読者の度肝を抜く──とびきりの、最高の小説家だ。
彼女に匹敵するとまではいかないが、ある程度迫れる作家としては、ルース・レンデル(ペドロ・アルモドバル『ライブ・フレッシュ』の原作者)とレズビアンとしても有名なパトリシア・ハイスミス(『見知らぬ乗客』、『太陽がいっぱい』の原作者)ぐらいだろう。
そのミラーの作品には、ゲイ(レズビアン)が登場するものも多く、ある意味クイアーな雰囲気を感じる。案の上というか、生前のトルーマン・カポーティはマーガレット・ミラーの大ファンだったという。さらに宮脇孝雄の名著「書斎の旅人」によると、1941年新人作家ミラーはW.H.オーデンのミシガン州立大学での講義を聴講しており、しかも彼女は、彼女の作品を読んだオーデンから適切なアドヴァイスを受けたという。
*イギリスのミステリを歴史的に論じた『書斎の旅人』には、映画『アナザー・カントリー』のモデル、ガイ・バージェスや同じく有名なスパイ事件を起こしたキム・フィルビー(ともに同性愛者でケンブリッジ使徒会のメンバー)についても触れられている。さらにチャールズ・ディケンズの未完の作品『エドウィン・ドルードの謎』の「ホモセクシャル」的な解釈も紹介されていて必見だ。何よりオモシロイ!
ミラーの作品で、ゲイ的視点からチェックすべき作品は、
明確にゲイが登場する作品
『狙った獣』(1955)
『明日訪ねてくるがいい』(1976)
『マーメイド』(1982)
明示的にゲイを扱っていないが、明らかにクイアーな作風なもの
『まるで天使のような』(1962)
である。まずは、『狙った獣』(BEAST IN VIEW)を読んでみたい。
『狙った獣』は、MWA 最優秀長編賞したミラーの代表作で、その綱渡り的なトリックは今や語り草になっている。ヒッチコックのあの映画に先立つこと数年前、完全なミラー・オリジナルなトリックである。もちろんヒッチコックは、「ヒッチ・コック劇場」で『狙った獣』を、(日本の)TVタイトル名は、『鏡の中の他人』(バレバレやんけ)として、映像化している──彗眼である。
『狙った獣』は書かれた年代からして、ゲイ(レズビアン)の扱い方は典型的であり、類型的であり、つまり悲劇的である。おおまかなストーリーはこちらで。
ここではヒロインの弟ダグラスがゲイである。ヒロインは、今で言うストーカー的危害を受けるのだが、その加害者の女性エブリンは、ダグラスの元結婚相手、つまりダグラスが「*オカマでないことを証明するために」(エブリン言)結婚した相手なのである。
*ここでは " fairy" という単語が使われている。"he wanted to prove he wasn't a fairy"
さらにこの文の前後には"pansy" ,"pervert" という単語で同性愛者を示している。
ダグラスの属性としては・・・・・趣味が、陶芸、現代詩(名前が挙がっているのがディラン・トマス)、フランス印象派、アヴォカドの栽培、クラリネット演奏。服装はビーズのいた白いモカシン、耳にピアスの穴があり、細いイヤリングをしている。さらに体育館のロッカールームで大げさに騒がれた事件があって中退。
あまりにステレオタイプで、「オレは違うぞ」と叫びたいむねもいるかと思うが、僕は、あまりにもそのものズバリなので(まわりにいるでしょう? え、あなた?)、苦笑しながらも膝を打ってしまう。それどころかゲイの関心は、時代や国に拠らず、同じような傾向を示すものかと、改めて感じいって(感慨、感激)しまう。
ダグラスにとっての悲劇は、(うすうす感じていたであろう)母親に自分が同性愛者であると告白しなければならない状況に追い込まれ、しかたなく告白し、そして母親から激しく罵られる。
「不道徳なんかじゃない」ダグラスは疲れたように言った「彼はぼくと同じ種類の人間なんだ」
母親は理解できず、相手の男に抗議しに行こうとする。
(母親)「わからないの? わたしは務めを果たしにいくだけよ。生きていたらお父さんがしたことを、代わりにするんです」
いたたまれなくなったダグラスは言う。
「僕は彼の妻なんだ」(原文 I'm his wife.)
母親はショックを受け、残酷な言葉を息子に言う。
「汚らわしいけだもの」静かな声だった。「なんて汚らわしい。おまえは人間以下だわ」(You filthy little beast)
(ダグラス)「お母さん。行かないで。母さん!」
「そんなふうに、わたしを呼ばないで。おまえはもう、わが子じゃない」
そしてダグラスは自殺を図る。
ストーン・ウォールの遥か以前、50年代アメリカのゲイの表現としては、この悲劇は「適切」なものなのだろう。しかしこの作品は「推理小説」という大衆小説の分野で発表されている。要するにエンター・テイメントなのだ。インテリ向けに書かれた「排他的」な「文学」ではない。多くの人に読まれることを前提としている。とするならば、多くの「ダグラス」がこの本を読み、共感から反発まで複雑な反応まで示したに違いない。そしてその当時、多くの人が「ダグラス」と同じ境遇に生き、同じ犠牲を払っていたに違いない。
『狙った獣』が発表された同じ頃には、アガサ・クリスティやレイモンド・チャンドラーの力作も同様に出版されている。ミラーの作風は、そういった中で、はるかにシリアスで現代的な作品と言える。もちろんミラー(特にこの頃の)はゲイに対し、安手の同情や憐憫を示したものでは、決してない。『狙った獣』の完璧なトリックを成就するための、華麗なトリックを演出するための、単なる伏線にすぎない。
『狙った獣』の後半にはレズビアンが登場する。
ここでのミラーの筆跡は、同じ女性だからだろうか、かなり手厳しい。ダグラスが母親に面罵されながらも、恋人の存在を感じさせるのに対し、登場するレズビアン、ベラはヒロインに拒絶されるのだ。
ベラの描写はこうだ
おそろしく肥っており、ほんのわずか体を動かしても肉揺れがし、黒ずんだ首にあごが埋まって何重にもたるんでいた。人間らしいのは、目だけだった。あまりにも多くのことを経験しながら、あまりに少ししか理解していない絶望的な黒い眸だ。
ベラは言う
「誰もあたしのこと、愛してくれないから、食べるばかりさ。誰もベラを愛しちゃくれない。だって、ゾウみたいに肥えているんだ。でもね、ベラはやり方を知っているんだよ」
プルーストやデュナ・バーンズの作品に出てくる美しいレズビエンヌと全く違う境遇にいる、場末の女。彼女は売春宿の女将だ。うがって考えるなら、ベラは「デリカシーのない」男達を相手にしている売春婦達を「慰安」し、「面倒」を見てやっているのだろう。
それにしても、ゲイにしろ、レズビアンにしろ、同性から拒絶される人物は、どうしてこれほど憐れなのだろうか。
最後に。『狙った獣』については気になることがあった。作品のトリックにニアミスするかも知れないので、まずは本を読んでいただきたい。
気になることとは、ヘンリー・ジェイムズの『密林の獣』との相似である。名前からして似ているこの作品。抽象的な「獣」のイメージ、主人公は共に「何もしなかった」人物である。そんなことを思っていたら、平凡社ライブラリーからそのものズバリの『ゲイ短編小説集』が出て、しかもジェイムズの『密林の獣』が収録されていた。解説(これまで読んだ中でも最高に素晴らしい解説の一つだろう)を読むと、ミラーの作品には、やはりジェイムズの影響があることが感じられる。
つまり『狙った獣』は、クイアーな視点で、もう一度、読まれるべき作品なのだ。
MEMO
マーガレット・ミラー :『狙った獣』、『マーメイド』(創元推理文庫)、『明日訪ねてくるがいい』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)、『まるで天使のような』(ハヤカワ文庫)
宮脇孝雄 :『書斎の旅人』(早川書房)
ヘンリー・ジェイムズ :『密林の獣』(平凡社ライブラリー『ゲイ短編小説集』他)