1945年フロリダに生まれ、南カルフォルニアで育つ。読書家の父親、英語教師の母親を持ち、幼い頃から読書に親しむ。サンディエゴ大学ジャーナリズム学科を卒業し、ジャーナリストとして数々の記事を書く。1993年に最初の著作"The Complete Guide to Magazine Article Writing" を出版。1996年にはゲイの新聞記者、ベンジャミン・ジャスティスを主人公とするミステリ『夜の片隅で』(Simple Justice)を刊行、1997年のエドガー賞、アメリカ探偵作家クラブ賞最優秀処女長編(the Edgar Allan Poe Award from the Mystery Writers of America for Best First Novel of the year)に選ばれる。
E−MAILあて先 benjustice@aol.com
主人公のベンジャミン・ジャスティスは7年前ロサンゼルス・タイムズにエイズの記事を書いた。あるゲイの恋人同士の話──エイズに冒され死に瀕している青年と、彼に連れ添い、彼の人生の最後の日々の世話をしているその恋人。記事は多くの人々に感銘を与え(黒人の女性記者テンプルトンもその一人だ)ジャスティスはピューリツァー賞を受賞した。しかしその記事は捏造されたものだと分かり、賞は剥奪され、職も追われてしまった・・・。
舞台はウエスト・ハリウッド。主人公のベンジャミン・ジャスティスはゲイであり、作品には多くのゲイやレズビアンが登場する。一人称の「わたし」で語られる典型的な私立探偵小説(ハードボイルド)で、抑制の効いた客観的な文体と、抒情的、感傷的な雰囲気を持つ感覚的な文体のバランスが上手く取れていて、独特の効果を醸し出す。特にラストの詩的な文章(そして翻訳)は実に美しく、甘く、胸に迫ってくる。ロス・マクドナルド作品に近いものを感じる。
ミステリとしての処理も(ロス・マクドナルドと同様)万全で、特に『虚飾の果てに』では、豪邸で開かれたパーティの最中に”自然死”と思われる死体が発見されるという、まるでアガサ・クリスティような設定がなされ、出色のフーダニットになっている。
また主人公のジャスティスを始め、魅力的な=人間的なキャラクターがこのシリーズを厚みのある生き生きとしたものにしている。黒人女性の若いジャーナリスト、テンプルトンや真ん丸い顔に大きなメガネを掛けた肥った女子大生のケイティ・ナカムラ(日系人だろう)、ジャスティスの元同僚で多少疲れが見えるが、いかにも「ブンヤ」風情のハリー、ジャスティスを家に住ませてやっているフレッドとモーリスの老ゲイカップル(まさに夫婦だ)。
映画の話題がふんだんに盛り込まれるのもこのシリーズの特徴で、『虚飾の果てに』では映画業界そのものを舞台にしたフィクションである。
「ジャームズ・ディーンが内股に入れ墨をしていたことを知っていますか?陰嚢に隠れてしまうほど上のほうだったんだ。だから誰にも見られなかった。《ジャイアンツ》の撮影のときに、保険のために検査をした医師が見つけたんだけど、ずっと黙っていたんだね」
「ハートの入れ墨でね、なかにSと書かれていたそうです。サルのイニシャルだろうという話もある。俳優のサル・ミネオですよ。噂にすぎないけどね。本当のところは誰にもわからないんだ」
『夜の片隅で』
モーリスがテレビとビデオを指した。《エルネスト─美しき少年─》《モーリス》《犠牲》《アナザー・カントリー》《日曜日は別れの時》《ビクター/ビクトリア》《Mr.レディ Mr.マダム》《パーティング・グランス》《マイ・プライベート・アイダホ》《フィラデルフィア》《ロングタイム・コンパニオン》《ビューティフル・シング》──ゲイの男たちをヒューマンタッチで描いた映画がならんでいる。《ヴェニスに死す》《真夜中のカウボーイ》《パートナーズ》《ディファレント・ストーリー》等々、ゲイを固定観念で捉えているとモーリスが判断した映画やゲイに対する反感が感じられるものはコレクションに入っていない。
『虚飾の果てに』
業界に熟知した作者ならではのストーリーと、虚実の混じった映画の話題はとても楽しめる。
そして何よりもこれらの作品は、アメリカのゲイシーンの描写、様々な情報がジャーナリスト出身の作者の鋭い視点で描かれている、一種の風俗小説でもある。
もちろん、夢のような楽しい話題ばかりではない。登場するゲイ、レズビアンの多くは、苦悩を抱え、傷つき、自己発見と自己破壊を繰り返しながら必死で生きている。例えば『夜の片隅に』に登場するレズビアンのテニス選手は、選手生命を守るために、そして人工授精で生んだ赤ん坊を裁判で取り上げられないために、卑劣な脅迫を受け入れてしまう。
また、同じ作品に登場する韓国人の男は、結婚して娘もいたが、妻に自分がゲイであると告白したため、彼の妻は娘と心中を図り、死んでしまった。「私は家族に恥をかかせた。大きな恥だ」韓国人はジャスティスに泣きながら話す。
また現在のゲイ・シーンをリアリスティックに描くなら、エイズの問題は避けて通れない。そもそもジャスティスが書いたエイズの記事は、全くのフィクションではなく、ジャスティスと彼の恋人でエイズで死んだジャックとの日々を書き綴ったものなのだ。ジャスティスは機会あるごとにジャックのことを思い出す。
モーリスが、私の持ち物であるジャックの写真をジャカランダの木陰の小さなテーブルに飾り、その周りに蝋燭や香や切り花を添えた。死ぬ前にジャックは葬儀のおりに使ってほしい音楽のリストを作っていた。ジョンレノンの《イマジン》、デヴィッド・ボウイの《ヒーローズ》と《スペイス・オディティ》、アレサ・フランクリンの《リスペクト》、ワム!の《ケアレス・ウィスパー》、そしてヴェルディの《レクイエム》全曲だった。弔問客たちにも注文を残していた。”たくさん泣いてほしい。そしてぼくのことを褒め称えてほしい”というものだった。
友人たちやわずかな身内たちが通りから入ってくると、フレッドがジャックの注文どおりに用意したテープを回しはじめた。ここニ、三年、やってくる人たちは減っていた。十人以上がエイズで死んでしまったのだ。
『夜の片隅で』
そして『虚飾の果てに』でジャスティスが出会い、愛し合う青年ダニーもエイズに冒されている。ここでジャスティスはまたしても愛する男の最後を看取ることになる──しかも特別な方法によってだ。
しかしすべてが悲惨であるわけではない。エイズという病気のために混乱する人々がいる一方、病気によって最も根本的な人と人との繋がり、人を愛する「こと」、愛する「すべ」を理解し、発見する人々もいる。(本当に)短い時間を精一杯生き、愛し合う男たちの姿には深い感動を覚えずにはおけない。
この作品には実際にアメリカに存在するであろうエイズ介護プロジェクト(ここでは”エンジェル・フード計画”というエイズ患者に食事を配っている団体が出てくる)や様々なエイズ関連の薬剤や用語が専門誌並みに登場する。こういったことが、アメリカのゲイ社会にとって常識なのか、それとも啓蒙の意味があるのどうかは分からないが、アメリカですでにエイズとの共生の段階に入っているようだ。(蛇足ながら、アメリカのポルノスターの中には自分がエイズに感染しているとカミングアウトをし、さらにその仕事を続けている人たちもいる)
『虚飾の果てに』は本の扉のページにアメリカのエイズ・ヘルスケアへの連絡先が書いてある。翻訳書であるハヤカワ・ミステリ版にも同様にだ。何でもないことなのかもしれないが、あえて注目したい。本来エンターテイメントであるミステリにこのような情報を書き込んだ作者ジョン・モーガン・ウィルソンの意図を考えてみたい。
以下がその文章である。
非営利団体であるエイズ・ヘルスケア基金のことを、ここで改めて紹介しておきたい。この基金は多数の人々の寄付に支えられつつ、多くのHIV感染者やエイズ患者の援助に邁進している。
AIDS Healthcare Foundation
6255 West Sunset Boulevard, 16th Floor,
Los Angeles, CA 90028