まるで天使のような
"HOW LIKE AN ANGEL"


我らの仲間に入る若き新参者よ
さあいらっしゃい!悲しみを込めていらっしゃい!
あなたのあとには少年も少女もついてきてはならない!
年寄りだけが快く、落ち着いた気持であの静かな広間に近づく。
この厳粛な集まりで安らえ、愛する子よ、愛する子よ!


ロベルト・シューマン作曲『ミニョンへのレクイエム』より






”わたしたちは、わたしたち自身とわれわれの内に宿る悪魔から守ってもらわねばならない。人はすべて、内にあって内部をむしばむ悪魔を抱えているのだ”


……感嘆する、讃嘆する、驚嘆する、感動する、賛美する、絶賛する、激賞する、感激する──これはウラディーミル・アシュケナージのショパンの「練習曲全曲」のCD解説書にある、彼の演奏を絶賛するために引用された言葉だ。これがそっくりこのミラーの作品にあてはまる。

ここでは典型的な私立探偵が登場する。女性ではないし、マイノリティの探偵でもない。「去勢」された、ものわかりの良いポリティカル・コレクトづいた男性でもない。ギャンブルでカネをすり、はったりを利かす、軽口もたたく探偵だ。この物語にはそういった「男」が必要なのだ。

ふとしてきっかけで捜査を依頼された探偵に待ちうける不可解な失踪事件と横領事件の謎。スピーディでゾクゾクする展開(いったい何が起こっているのか?)。ささいな物(たとえばスリッパ、タイプライター)やちょっとした出来事(教団脱出を図る少女)すべてを飲み込んで張り巡らされた伏線の妙。気の利いた会話。ほとばしるユーモア。涙を誘う登場人物の死。そしてなんといってもエインディングの華麗さ。ミラーはバイ・プレイヤーの「その後」を暖かい視線で描いて、物語にひとまずの決着(ポーズ)をつけ、コーダの準備をする。

コーダは……犯人の狂気の思考(これこそ意識の流れか?)が犯人側の事件を明らかにし、謎を紐解いていく。幻想的で異様なイメージが説得力を持った「論理」に変わり、まったく前例のない圧倒的な迫力を持ったサスペンスに変わる。
そして……フィニッシュ。最後の最後で明らかになる「言葉」を介在した「真相」。ショパンの「革命のエチュード」最終和音のように響く、衝撃とやりきれなさを持ったノイズ。まさに「エクリチュール」の勝利であり、ロラン・バルトの批評対象になるべきだった作品。

さらにこの小説で扱われている、宗教団体「天国の塔」は、この物語のスケールの大きさと、問題の大きさをまざまざと見せ付けるだけでなく、近年まさにクローズ・アップされたオウム事件やゾディアックなどのカルト集団の本質を的確に見ぬいている。
まさにミラーの傑作であり、僕個人のベスト・ミステリでもある。

ストーリー

「わたしは邪悪な俗世界とのつながりを断った。肉体の弱点を振り払った。わたしは霊的慰安を求め、魂の救いを求める」
そこは「天国の塔」と呼ばれ信者たちが俗世界から離れ、自給自足の信仰生活を行っていた。私立探偵クインは偶然訪れたこの宗教団体で、祝福尼と呼ばれる一人の信者からパトリック・オゥゴーマンの調査を依頼され、チコーティの町へ向った。だがパトリック・オゥゴーマンは5年前に死んだ、とその妻マーサから言われただけでなく、献身的で愛情深い夫をこれ以上貶めないようにとも懇願された。その言葉どおりオゥゴーマンについて悪い評判はない。彼は大雨の夜に仕事のミスを正すべく出かけていった。彼はそれっきり帰ってこなかった。そして豪雨で水の量が増した川で彼の乗った車は発見され、ドアには彼の血がついていた。チコーティの人々はヒッチハイカーに殺されたという意見で一致していた。
「関係者全員が社会の手本のような人間だ。それだけにあの事件は非常にユニークなんだ・・・・悪党,詐欺師、怪しげな女性など、一人もいない。オゥゴーマンはいい男だった。マーサ・オゥゴーマンは地域活動の中心人物でミセズ・Xは献身的な信者だ。あの赤毛の女性はたぶん日曜学校の先生なんだろう」
そんななかウィリー・キングという女がクイン接触し、彼の部屋が何者かに侵入される。クインは調査を進めるにしたがって、オゥゴーマンの事件に疑問を持つ。
「教えてくれ、チコーティには悪い市民はいないのか?」
クインは町の新聞記者と知遇になり、この町のもう一つの醜聞、アルバータ・ヘイウッドによる横領事件を知る。そしてオゥゴーマン事件との接点を模索する。
一方、オゥゴーマン事件を依頼した祝福尼は、クインとの接触が「天国の塔」に発覚し、懲罰房に幽閉される。彼女は罪の意識に苛まれ、理性を失ってしまう…。
「……神様に慰められる。ひもじい思いをしてきたので、美食を楽しむ。裸足のまま荒地を歩いたので、天国のなめらかな黄金の通りを歩くであろう。ここで身を飾る考えを捨てたために、わたしは最高の美女になる」

祝福尼はいったいオゥゴーマンとどういう関係なのか。オゥゴーマンは本当に死んでしまったのか。


この作品でも母と息子の逸脱した暗い関係が影を落としている。
「ジョージは彼女にとって目に入れても痛くないほど可愛い息子であったわけ。彼の最初の妻が死んだとき、ミセズ・ヘイウッドは、隣人の目さえなければ、通りに出て踊りたかったにちがいないわ。また可愛いジョージが自分一人のものになる。あの女は化け物だわ」

ミセズ・ヘイウッドは、息子ジョージに近づく女に我慢がならない。彼女がジョージの恋人になりたいからだ。そこでクイン(ミラー)は、「ご主人のジョージに」とミセズ・ヘイウッドに嘘をついて彼女の心証を良くし、情報を引き出した。

天国の塔(タワー・オブ・ヘブン)は、 「社会の落ちこぼれ、ノイローゼ人間、世間からつまはじきされた連中の集団だ。たいがいは自分たちの殻にこもってトラブルを起こさない。たまに子供たちのこ義務教育のことで地元の当局者と悶着を起こす程度だ」
この宗教団体は、悲しみのあまり常軌を逸してしまったマザー・プレザと元食料品店の店員(!)だった大師が始めたものだった。
大師の正体に気づけ、あれは精神分裂症の、恐怖の売人にすぎない。あいつの手口は、まわりの山同様に古いものなのだ。ありふれた手口だからといってばかにはできない。彼自身が信じているのでいっそう危険なんだ”
ミラーはこの宗教団体を決して悪くばかりは書いていない。ある人々にとっては必要な「社会」でもある。だから警察がづかづかとこの天国の塔に入ってきたとき、「その狂人国は、あんたが考えているほど狂っていないかもしれない」とクインに言わせている。たしかに、祝福尼が死んで、この宗教団体が崩壊していったとき、ある種の深い感慨すら覚える。
この個性的な信者の中で、印象に残るのはやはり祝福尼(シスタ・ブレッシング)だろう。
「どこの人か知らないけど、ようこそ。わたしたち、自分たちが貧しいから、貧しい人を追い返すことは絶対にしないの」
彼女はこう言って、クインを助けてくれた。彼女は息子のようなクインを見てつい本音を洩らしてしまう。
「わたし自身もしだいに年寄りになってきたわ。魂は平安だけど肉体が反抗するの。・・・シアーズのカタログでスリッパーの写真をみたの。これまでみたことのない美しいスリッパーだった」
祝福尼が毒を飲まされて死にかけているときクインは言う
「ピンクのスリッパーのことを覚えていますか?おれが国中でいちばんふかふかしたスリッパーを買ってあげますよ」

クインは祝福尼の息子に彼女の死を告げる。
「彼女は死ぬ間際に、あなたの名前を呼んだ。そのことをお知らせしたかったのです」
祝福尼は夫の死後入信した。彼女は、看護婦であり、支配人であり、家政婦だった。心理学者のいう母性像だった。それは教団の人物だけでなく、クインにとってもそうだった。
「無事、天国へ行けたことを祈っていますよ、シスタ。あなたが望みを果たしたことを心底から祈っています」

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