BEYOND THIS POINT
ARE MONSTERS
BOOK REVIEW


VANISH IN AN INSTANT (1952)

マーガレット・ミラー / Margaret Millar
INTERNATIONAL POLYGOINCS, LTD.




'That this pragmatical preposterous pig of a world, its farrow that so solid seem, Must vanish on the instant if the mind but change its theme'

雪の降る夜だった。金持ちの娘でポール・バークレイ(Paul Barkeley)の妻ヴァージニア(Virginia)は、クロード・マーゴリス(Claude Margolis)殺人の容疑で逮捕された。ヴァージニアとクロードは「深い関係」にあり、殺人の起きた夜に、彼ら二人でいるところを目撃されている(クロードの妻はそのときペルーに旅行していた)。
クロードはナイフで刺され、現場は血の海であった。ヴァージニアは、殺人現場付近で雪の中をさまよっているとこを発見されたが、そのとき彼女は酷く酔っていて、記憶は曖昧であった。

ヴァージニアの家族に依頼された弁護士のエリック・ミーチャム(Eric Meecham)が事件を担当することになるが、ヴァージニアの服に付いていた血痕が動かぬ証拠となっていた。

そんなときアール・ロフタス(Earl Loftus)と名乗る男がミーチャムのもとを訪れ、自分がクロードを殺したと告白する。しかしミーチャムには、アール・ロフタスがクロードと面識があったとは思えず、ましてや殺人を犯すような人物にも思えなかった。だが、アールの部屋から血の付いた衣類が発見され、彼は強固に罪を認め、逮捕される。そして不可解な言動をとるアールは精神病院に収監され、そこで彼は自殺を図る……。



この作品は、初期の傑作『鉄の門』(1945年)とミラーの代表作でエドガー賞受賞作『狙った獣』(1955年)に挟まれた1952年に発表された。この時期、彼女は普通小説をいくつか書いており(夫のロス・マクドナルドが本格的な作家活動を始めたのもこの時期である)、小説家として様々な試行錯誤を行っていたのかもしれない。
そしてこの時期を経て、『狙った獣』で初期のスタイルを完成させ、『殺す風』によって、これ以降の作品に見られるような新たな境地を獲得するに至ったと思う。ミラーファンにとっては、非常に興味深い時期であるが、しかし残念なことに、この期間は「翻訳」においては「空白の10年」である。

読んだ印象は、『鉄の門』や『狙った獣』に見られる緊迫感のあるハードなサスペンスというよりも、『殺す風』に近い(ミラーにしては)穏やかな印象を受けた。登場人物も幾分戯画的で、ユーモア色も濃厚である。何よりも探偵役のミーチャムに(ちょっとしたサイド・ストーリーとして)ロマンスが絡んでくるのが特徴的である。
視点も全体を通してほとんど主人公のミーチャム中心で、そういった意味ではスリラー的な「危うさ」よりも古典的なミステリー(本格)の「安定」さを保っている。事実この作品には『殺す風』のような周到な「仕掛け」が張り巡らされていて、フーダニット、ホワイダニットとして十分楽しめる。
しかし、この作品では『殺す風』(そしてそれ以降の作品)に見られるような「洗練さ」はまだ感じられない。『眼の壁』や『鉄の門』のように「解決」を「犯人」あるいは「探偵役」が長々と説明するのがちょっとまだるっこしい。

もちろんこれは最上級の作家マーガレット・ミラーだから言える「贅沢な不満」であって、"VANISH IN AN INSTANT"は通常のレベルは軽く超えた傑作ミステリーの一つである。


<追加>
ジンメル・コレクション(北川東子編訳、ちくま学芸文庫)の解説を読んでいたら「一瞬でいなくなる」という言葉が出てきて、その説明部分がこのミラーの"VANISH IN AN INSTANT"という作品内容と不思議なくらい一致するような感じがした。ちょっとその部分を引用しておきたい。
「別れ際に──おもしろいことに、人間が立ち去るときには、一瞬でいなくなる。蛇のように、だんだんと旅立っていくこともできないわけではないだろうに。そのほうがヒューマンであろうに」。
ある人がいなくなることは、なにがなくなることなのだろうか。「一瞬でいなくなる」という不在が後に残されるのだから、なにか連続していたものが断ち切られ、取り残された志向性は空回りし、それだけそれまでの志向性はいっそう意識される。わたしたちがこれと同じ不在の感覚をもつのは、形をもった物が壊れるときである。取り返しがつかないという感じである。




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THE DEVIL LOVES ME (1942)

マーガレット・ミラー / Margaret Millar
Thorndike Press and Chivers Press




My mother was shoched when she saw me. She thought she was going to have a baby and then she saw me, a little gray old man. Obscence, isn't it?

p.278

まさに結婚式の最中だった。新郎は精神分析医のポール・プライ。新婦はノラ・シャーン。しかし式は中断された。ジェーン・スティーヴンスが倒れたからだ──その症状から毒を飲まされたらしい。実は、プライ医師のもとには、犯行を仄めかす挑戦状めいた手紙が届けられていた。狂人の仕業だろうか、そこには結婚式を葬式に変えてみせると宣言されていた。

一方ジェーンは、病院へ運ばれ、一命を取りとめた。毒物が致死量に達していなかったことと、彼女が飲んだ毒物がすぐに判明したことが幸いした──何者かが病院にジェーンが飲んだ毒物が何であるかを知らせるべく電話を掛けてきた。
どうやら犯人の目的はジェーンではなかった。狙いは彼女の兄のダンカン・スティーヴンスだった。ジェーンはダンカン用に用意された水を飲んだのだ。怯えたダンカンは家を飛び出したものの、やがてしばらくして家に舞い戻る。しかし彼を待っていたのは、死であった……。


1942年に発表されたマーガレット・ミラーの第3作。最初期の作品であり、一応クラシックな本格のスタイルを踏襲しているが、内容的にはミラーそのもので、とても面白かった。探偵役のプライ医師の結婚式の最中に事件が起こり、そのプライのもとに挑戦状が届けられるというケレン味たっぷりの書き出しから、やがてミラーお得意の家族/夫婦の物語へと中心は移行し、かなりニューロティックな雰囲気を呈する。主役が精神分析医なので、当然、「フロイト理論」も敷衍される。
そしてやっぱりミラー。ここでも「鏡」のシーンがやけに印象に残る。冒頭に引用した神経症気味の女性──自分は生まれたときから年寄りの男のようだったと述べる──が鏡を見る。
<彼女>は立ちあがって、鏡に映っている自分自身を見た。狂人のようだわ、と彼女は思った。狂人のよう、白い顔の魔女。だれも私を愛してはくれない、もちろん<彼>も。魔女──。

p.278(「彼女」「彼」のところは原文では登場人物名)
もっとも『鉄の門』や『狙った獣』のように完全な心理スリラータッチには展開せず、「本格推理小説」的な「解決」によって物語は幕を閉じる。

それにしてもやはりミラーは文章が素晴らしく上手い。例えばラスト近く。見張りをしていた警官が気を緩めうっかり眠ってしまう。彼は「ステーキ」を食べている「夢」を見る。突然目を覚ます警官だが、何者かに殴られ今度は強制的に「夢」を見させられる。その間、事件が進行する。大金が燃やされ、紙幣は「黒く」焼け焦げる。燃える金を取り戻そうと、登場人物の一人は火の中へ身を投げ出す。火はその貪欲な人物に燃え移り、今度はその彼/彼女が「黒く」焼け焦げる。そのあさましい姿を見て、火をつけた人物は、「豚」のバーベキューのようだと嘲笑う。そして人間が焼け焦げる匂いを嗅いで、殴られ気を失っていた警官は「ローストポーク」を食べている「夢」を見る……。

ちょっともどかしい説明になってしまったが、場面はクライマックスとも言える壮絶な状況なのに、文章は悲劇とも喜劇ともとれる奇妙なニュアンスを帯びる。しかも「連想」が「連想」を生み「言葉(単語)」が絶妙に「配置」される。まさに魔術的な文章で、忘れ難く印象に残る。こういった文章があちこちにちりばめられていて、さすがミラーだ、と感心することしきり。

それと付け加えて置きたいのは、この作品には、『眼の壁』や『鉄の門』でも活躍するサンズ警部が登場することだ。ミラーはあるインタビューでプライ医師にさほど愛着を感じていないようで「すぐにお払い箱にした」と述べていた。その言葉通り、プライ医師からサンズ警部へのバトンタッチは見事で、最後はサンズ警部のモノローグで終わる。しかもこれがロス・マクドナルドのアーチャーものを思わせる詠嘆調のラスト。なんだか興味深い。




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FIRE WILL FREEZE (1944)

マーガレット・ミラー / Margaret Millar
INTERNATIONAL POLYGOINCS, LTD.




<彼>を殺すのはさぞかし気分が良いだろう。彼の血が噴き出し、雪を赤く染めあげるのも見物だ。彼を殺すのは、多分、自分にとって責務とさえ言える。あの興奮した声は、まるでヒトラーのように聞える。田舎者や学生を煽動するあの声。小さなヒトラー、小さな反逆者。
私は彼を殺す。彼を殺す、なぜなら彼は反逆者だからだ、なぜなら彼の顔が嫌いだからだ、なぜなら彼のスキー板が欲しいからだ。私にはその三つの理由がある。それで十分だ。

p.137(<彼>は原文では登場人物名)

スキー場へと向かうバスは、突然停車した。バスの運転手は、点検のため、外に降りた。しかし彼はそれきり戻ってこなかった。運転手は姿を消した。雪の降り注ぐ山道で乗客たちは取り残されてしまった。乗客の一人がバスを運転しようとしたが、エンジンは掛らなかった。

雪は激しく降り続いている。夜になるとこのあたりでは狼が出るという。乗客たちはバスを降り、助けを求めるべく歩き進んだ。するとある屋敷が見えた──もしかするとバスの運転手もこの屋敷にやってきたのかもしれない。屋敷に近づく乗客たちだが、しかし屋敷の中からはまるで警告のようにライフル銃が発砲された。自分たちは不審者ではない、遭難者だ、と訴える乗客たちに対し、屋敷の住人はようやく彼らを迎え入れる。

屋敷には二人の女が住んでいた。ミス・ルードと彼女のコンパニオン兼看護婦のフローライン。食べ物と暖を得た乗客たちだが、しかし彼らは、ミス・ルードの奇矯な振舞いに直面することになる。彼女は乗客の一人の帽子を取り上げ、それをハサミで切り裂いた。そして常軌を逸した言動の数々。フローラインによると、ミス・ルードは「病」に冒されているという。
彼女たちにとって、乗客たちは招かれざる客であるのは承知している。だが、乗客の一人の(フローラインによって割り振られた)ベッドに、喉を掻き切られた猫の死体が投げ込まれるのは、冗談を超えている。
そう、冗談ではなかった。屋敷の地下室ではバスの運転手のコートの切れ端が見つかり、そして次に日の朝、雪に埋もれたフローラインの死体が発見される……。


暗くニューロティックな二つの作品──『眼の壁』と『鉄の門』に挟まれたミラー第5作は、とびきりのコメディ・タッチでスタートする。まるで『ミランダ殺し』を彷彿とさせる意地の悪いユーモア──例えばフローラインの死体を運ぶところなんかはヒッチコックの『ハリーの災難』を思わせるドタバタ喜劇が炸裂する──そして辛辣な人間観察。完全にミラーの個性が発揮された無敵のサスペンス小説で、失踪、二人の女、最後の最後で判明する捻った真相といった「ミラー的なアイテム」が、無敵のユーモアでもって展開する。
もちろん、その手馴れたコメディタッチの筆致から、ミラー特有の不気味な人間心理の闇──アイデンティティ・トラブル──がドラマの前面に踊り出るところは圧巻だ。これまでのユーモアから一転、雪崩のごとく「さむけ」が襲う。




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ROSE'S LAST SUMMER (1952)

マーガレット・ミラー / Margaret Millar
INTERNATIONAL POLYGOINCS, LTD.




サイレント時代の映画女優ローズ・フレンチ(Rose French)。現在彼女は年老い、落ちぶれた生活を送っていた。かつて五人の夫を持ったこの女優は感情的に不安定で、しばしば精神療養所のソーシャル・ワーカー(psychiatric social worker)フランク・クライド(Frank Clyde)の手を煩わせていた。
ある日、フランクにローズから電話があり、仕事を見つけたので町を出るという知らせが入る。しかしその電話は彼女ではありえなかった。なぜならローズはある屋敷の庭先で死んでいるのを発見されていたからだ。鑑識によって、ローズの死亡時刻はフランクに電話のあった時間よりも何時間も前であることが示され、死因は心臓発作による自然死と判断された。では、フランクに電話を掛けたのはいったい誰なのか。何のために電話をしたのだろうか。彼はローズの死に疑問を持ち調査をする。
ちょうどそのころローズの最初の夫ハリー・ダロウェイ(Haley Dalloway)も町に来ていた。彼はローズとハリーの間に生まれた娘ローラ(Lora)の行方探していたのだ。ローラは数週間前に失踪していた……。



かなり異様で不思議な読後感を与えてくれる。最初は”死んだはずの人間から電話が入る”というかなり「本格」的なシチュエーションを提示しているのだが、いつのまにかストーリーは別な様相を示してくる。
つまり、プロットの中心がローズの死体が発見された屋敷(Goodfield家)の人間関係に「推移」してくるのだ。もちろん最後にはその「不可能」が「論理的」に解決されるのだが、そのときにはもうプロットは極度にねじくれ、崩壊し、物語の中心は、「その程度」の「物理的な謎」よりも人間の奥底に潜む「心理的な謎」に完全に「推移」してしまっている。

”夏の最後の薔薇が一輪取り残され、寂しそうに咲いていた。愛らしい仲間の花はすべて色褪せ、もう萎んでいた”

なんていうんだろう、この作品にはリアリズムを超えた叙述の魔力、(「新本格派」を思わせる)プロット(トリック)のための人工的な「設定(世界)」が感じられる。深読み(もちろん誤読も)かもしれないが、ローズ(薔薇)という名前を持つ女が、百合の咲き乱れる泉に倒れている状況が何より奇妙な印象を与える(ように書いている、強調されていると思う)。
そしてその問題の屋敷(Goodfield、この名前!)を支配しているのはオリーブという名前の老未亡人であることもなにかしら意味がありそうに思える。



これより先、この作品のトリックを書きます。注意してください。僕はレビューにおいて基本的にネタバレは書かないのですが、この作品はかなり独特のトリックを扱っていることと、また読解に一部自信のないところがあって、もし誤っているところがあれば指摘していただきたいと思い書いてみた次第です。
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単純な解答は、オリーブ・グッドフィールドがローズの代わりに死んだということである。ミラーの文章はかなり叙述に工夫がしてあり、「老婦人」という代名詞を多用して、「ローズ」または「オリーブ」という断定的な名前を避けている。決してアンフェアではない。
探偵役が二人いて(フランクとグリアー警部)、フランクはオリーブを知らない、グリアーは「オリーブとしてのローズ」しか知らないということも、二人は同一人物に会っているにもかかわらず、別々の女性が存在しているような印象を「読者」に与える。これがミラーが放った巧妙な叙述トリックであろう。

しかしこれは、クリスチアナ・ブランドのある作品にあるような本格推理小説によくあるトリックでしかない。ミラーのこの作品で一種異様な印象を与えるのは、ここにサイコ的な解釈が絡んでくるからだ。しかもかなり幻想的な雰囲気さえ感じる。

オリーブ・グッドフィールドは自分と似たような姿形の老婦人を探してカリフォルニアを転々としていた。何故か。それは彼女は病気でもう先が長くなく、自分の死んだ後も自分の代わりにオリーブとして生きてくれる自分のダミーを必要としていたのだ。それは、彼女が死んだら、彼女の子供たちはとうてい自活できないという思いに捕らわれていたからだ。
オリーブはローズを見つけ、彼女に白羽の矢を立てる。オリーブはローズを自分にしたてようとローズに対し様々な「訓練」を行う。自分はローズになる。ローズは私になる。

しかしそれが破局を導くことになる。ローズは死ななければならない、ローズは私として死ななければならない。もし私が彼女として死ぬならば、彼女は私として死ななければならない。そして「オリーブ」は「殺人」を思いつく……。

「私たちって、まるで双子みたいね」

「鏡をごらんなさい」「何が見える?」

「二人の恐ろしい年老いた女が見えるわ」

−−−− 一人が消える −−−−−

「鏡は私めがけて飛び掛かってきた、まるで待ち伏せしていた獣のように」( its mirror sprang back at me like a beast out of ambush.  当然『狙った獣』を思い出す!)

”私は目を逸らすことができなかった。恐ろしい年老いた女が私を狙っていた”

”気がつくと私はベッドに寝ていた”

”私の身体は鳥のように軽かった”

”解決しないものはなにもなかった、込み入った数式などはなかった、難しすぎる問題はなにもなかった”

実は、この「殺人」(それとも自殺、事故)の部分が良く読み取れなかった。鏡に映ったのは「殺人者」オリーブの顔なのか、それとも「被害者」ローズの顔なのか、彼女たちはそれぞれ、どちらの立場でどちらを見ていたのか……。
この作品は「オリーブ・グッドフィールド」がシナリオを書いて「ローズ・フレンチ」が演じた不思議なドラマではないか、と思う。




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