「他の誰もが同じことをしているかぎり、人々は心底から喜んで指示されたとおりのものを何でも消費するものだ。きみとわたしのような人間は、異端者、突然変異なんだよ、われわれのような者が数少ないことは幸いだがね」ストーリーはある主婦が、禁止されている「異常な(と思われている)欲望」を押さえきれず、その禁忌=犯罪を犯すものである。その禁忌とは
「わたしたちのひいおじいさんやひいおばあさんの時代には、誰もが本物の食べ物を食べていて、それなのに誰もそれが犯罪だとは考えなかったんて、どうしてもピンとこないわ」マクロイの設定した世界では、本物の食物を食べることが犯罪になっている。この世界では、広告に従って合成品を消費することが国民の義務なのだ。「広告」に疑問を呈することは、国家的な反逆なのだ。
「当時の死亡率は現在よりも高かったんだ」
「でもとにかく生きているあいだは、今よりももっと楽しみがあったはずだわ」
男はにやりとした。「きみはまったく根っからの危険分子なんだね?」
「わたしはただ、ひいおじいさんたちには正常であったものが、なぜわたしたちにとっては異常にならなくてはいけないのか、その理由がわからないのよ」
「数十万年前、原始人たちは無差別な性交を正常だと考えた。しかし現代のわれわれにとってそれは──」
幽霊。さっきも、レギーネとオスヴァルがあちらで何か言っているのを耳にして、まるで幽霊に出会ったような思いが、わたし、したんですの。それにどうも、そういう気がしましてね、われわれはみんな幽霊じゃないかって、先生、わたしたち一人一人が。わたしたちには取りついているんですよ、父親や母親から遺伝したものが。でも、それだけじゃありませんわ、あらゆる種類の滅び去った古い思想、さまざまな滅び去った古い信仰、そういったものも、わたしたちには取りついていましてね。そういうものが、わたしたちの中には現に生きているわけではなく、ただそこにしがみついているだけなのに、それがわたしたちには追っ払えないんですもの。1881年に発表されたイプセンの戯曲。解説によると、有名な『人形の家』の後に書かれ、そのテーマをより深めるものとなったそうだが、その斬新なテーマにはまったく驚いた。まったく古さを感じさせない。ここで扱われているテーマ、すなわち「三幕の家庭劇」は、まさしくロス・マクドナルドを彷彿させる「家庭の悲劇」である(と言うより、文学通のロス・マクならば、多分イプセンの作品ぐらい読んでいたであろう)。
p.80
それにもう一つ、ほかにも理由がありましてね。わたしの産んだオスヴァルには、父の遺産と名のつくものは、いっさい、継いでほしくなかったんです。そんな彼女に「因習の幽霊」が立ち現われる。それはまるで「復讐の女神」のようにアルヴィング夫人に襲いかかる。あまりに残酷な運命、あまりに容赦のない恐ろしい選択。ラストの「太陽。──太陽」というリフレーンがやけに耳に残る。うーん、ロス・マク風。
p.65
エドレル: ほらごらん、きみは人間を愛していない。ユゴー、きみは原則しか愛していない。ユゴーは「政治的な暗殺」を諦めようとする。しかし、アクシデントともいうべき出来事によって結局、彼はエドレルを殺してしまう。ユゴーは逮捕され刑に服す。数年後ユゴーは出獄する。しかし彼を待っていたのは、あまりにも残酷な仕打ちだった……。
ユゴー: 人間を? 人間をなぜ愛するのです? 人間がぼくを愛してくれるのですか?
エドレル: では、なぜきみは、われわれのなかまになったんだ。人間を愛さなければ人間のために闘うことはできないではないか?
ユゴー: ぼくが党に入ったのは、党の主張が正しいからです。それが正しくなくなったら脱党するでしょう。また、人間といったって、ぼくに興味があるのは、あるがままの人間じゃなくて、なりうる人間なんです。
エドレル: わしはあるがままの人間を愛する。あらゆる汚らしさ、悪徳、それらといっしょに人間を愛する。人間の声、物を握る暖かい手、あらゆる皮膚のなかで最も裸の人間の皮膚、心配そうなまなざし、めいめいが死に対し、苦悩に対し、かわるがわる試みる絶望的な闘い、それらすべてを愛する。
p.610
エドレルのように、そしてサルトルのようにそれを作為する時、そこには観念化された「現実的な愛」が生じるだけだ。「民衆=革命家」という等式の欺瞞性にしても同様である。民衆が政治の現場から退場することによって現実的な革命はいったん消滅するのだから、その後も革命的であり続けようと努める人間、つまり革命家は、たんに革命という観点に固執しているだけなのだ。そうでないとしたら、ひたすら不在の神を待ちのぞむ者としてシモーヌ・ヴェイユ的な<キリスト者>に照応する<革命家>という範疇を設けるべきだろう。
笠井潔『テロルの現象学』(ちくま学芸文庫)より
「いまや毎日のようにこの沖合で、大勢の男たちが死んでいく──ヨーロッパで、アジアで、アフリカで死んでいく兵隊のことは言うに及ばずさ。なんでいまさらジョン・インジェローのごときが殺されたからって、だれが殺ったかをおれたちが気にしなくちゃならないんだ?」ここにも例の「大量死」と「本格ミステリ」の関係が伺えないだろうか。
「つまりそれは習慣の力さ」ベイジルが指摘した。「まあ一種の道楽だな。われわれの士気を保つための」
p.336
最初に会ったときにおれがいったとおり、きみは新しい親友を金で買ったわけじゃないんだ。おれはきみのために働くが、きみはおれのボスじゃない。おれのほうがきみよりもこの手順にくわしいからだ。もしおれの話が不愉快なら、そうだな、友愛会の地方支部へはいれ。もう入会金を払ったんだしな。おれはとっくにさとった──みんなが他人から隠してる秘密だけではなく、みんなが自分自身からも隠している秘密をあばきたてるのが、おれの仕事なんだ。強烈に魅了された。独特の世界観が横溢している。ユーモアのある『ブレードランナー』/『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』といったところだろうか。それとも『城』や『審判』の状況だろうか。どちらにしてもそのユーモラスな手続きは、悲観的な未来設定をいっそう際立たせる。
p.59