ニコラス・ロイル /
Nicholas Royle
「金魚のフン」 /
Kingyo no Fun
上條ひろみ 訳、早川書房ミステリマガジンNo.545 2001年8月号
「非関連性」 /
Irrelativity
白石朗 訳、デニス・エチスン編『カッティング・エッジ』(新潮文庫)所収
「サクソフォン」 /
Saxphone
夏来健次 訳、スキップ&スペクター編『死霊たちの宴 下』(創元推理文庫)所収
ミステリマガジンに載った『金魚のフン』を読んだとき、不思議な比喩を多用した独特の文体にまず唸った。そして、その文体が綴る独特のイメージが、なんともいえない不思議な印象を残してくれた。この作家はただ者ではない! そう思って『非連続性』を読んでみたが、これもまた不思議な肌合いを感じさせる独特のものだった。
俄然この作家に興味が湧いてきて、ニコラス・ロイルとはいったいどういう人なんだろう、と思ってWebで調べてみたら、うまい具合にインタビュー記事が見つかった。
http://www.purefiction.co.uk/pages/authors/royle.htm
パッと見て、目に付いた単語がシュルレアリスムとポール・デルヴォー。そう、これなんだよ、二つの短編に共通する独特で不思議なイメージは。
『金魚のフン』では、アムステルダムのゲイのアンダーグランドを描いている……にもかかわらず、むせ返るような男たちの汗と精液の匂い(笑)とは無縁の、どこか硬質で、怜悧、エレガントなショート・ストーリー。
なんだか精巧なオブジェを見ているような、しかし、しばらく注視していると、居心地が悪くなるような一抹の不気味さ=狂気を孕んでいる。パラノイックな登場人物のパラノイックなストーリーは、ルース・レンデルやイアン・マキューアンの作品を感じさせる。
しかし、なにより日本語の<金魚のフン>から来ている、あの美しい金魚に、いつまでもくっついて離れない長い、ながーい<金魚のフン>の鮮烈なイメージといったら! 悪趣味を通り越して、その魔術的な文体が醸し出す妙な雰囲気にとても感心した。実にシュールだ。
いっぽう
『非連続性』はまともにデルヴォーの世界を感じさせる傑作であろう。舞台はマネキンと裸の少女が徘徊する廃んだ(ような)夜の女子学校。主人公は童貞のヲタク青年コンロン。なにしろ、彼、初のデートで古本屋に入り、犯罪実話を手にとるようなヤツだ。ガールフレンドとの会話がかみ合わず、デートがだんだんしらけていき、それでも気ばっかり焦って、つい乱暴に……
抱きしめていたもういっぽうの手を下げて、スラックスのバックルをはずしても、キャロリンは気がつかない。つぎに両手をつかって、相手のジーンズのボタンをまさぐった。それに気づいたキャロリンがふいに唇をもぎ離して、乱暴にコンロンの手を払いのけた。はじかれたように飛び出したペニスが、キャロリンめがけて屹立している。それを目にしたコンロンは、彼女とおなじくらいショックを味わっていた。
あきらかに肉体的にも精神的にも<上位の女性>を前に、なさけなくペニスを晒している男の「構図」は、まさしくポール・デルヴォーのそれだ。
夢と既視感(デジャ・ヴュ)が絡み合い、現実と非現実の迷宮に落ちてゆく。
『サクソフォン』
うーん、ニコラス・ロイル、なかなか日本ではブレイクしないなあ。名作の誉れ高い”Saxophone Dreams”も翻訳されないし。英国ホラーでクライヴ・バーカーの次はこの人だと思うのだけど。
で、短編の「サクソフォン」が翻訳されていることを知って、読んでみた。長編「サクソフォン・ドリーム」はこの短編が元になっている。
場所はチェコ、ユーゴ、西ドイツ。ここでは絶えず戦闘が起こっている。つまり冷戦が終結せず、ついに熱戦になってしまったという設定だ。そして主人公のハセクはすでに死んでいる。そう、彼はゾンビなのだ。そんなゾンビの彼が、仲間とともに生きている人間を殺し、その臓器を摘出し、それらを臓器ディーラーへ売っているというもの(アメリカ人の臓器が一番人気だという、なんともブラックな哄笑が響く)。
……と書くと、いかにもB級C級の俗悪ホラーみたいなのだか、それはある意味間違っていない。しかしそういったB級のノリから、ふっと別世界に迷い込んだような幻想的で美しいイメージに満たされる瞬間がある。
それは音楽で、ハセクの「死んだ」脳内では、かつてサクソフォン奏者であった彼の音楽が鳴り響いている──まさにそれはイデアリスティックなものであり、彼のこの世における情熱と欲求(の記憶)を表している。すなわちゾンビはこの世で「生きて」いるのだ。
彼はもう一度サクソフォンを奏でたくなる。しかし彼の肉体は死んでいる。楽器を弾くためには、あることをしなくてはならない。臓器売買のビジネスを行って金を稼いでいるのも、そのためだ。
やがて彼は楽器を手に入れ、待ち焦がれていたメロディーを鳴らせると思ったとき……短編ならではの皮肉めいたオチで、物語は終わる。
ニコラス・ロイルは1963年イギリス、マンチェスター生まれ。長編小説”Counterparts”、”Saxophone Dreams”、”The Matter of the Heart”、100以上の短編を発表している。「非関連性」の付記によると、彼は俳優としても活躍しており、そのなかの<コロサス>の脚本はクライヴ・バーカーだという。そういえば「金魚のフン」の「”ゲイ作家ではない”ゲイの作家」はなんとなく、バーカーを思わせるところがある。
ニコラス・ロイルのWebサイト
http://www.emfoundation.co.uk/nicholasroyle/