孤独……彼等が信じると同じように私は信じない。同じように生きない、同じように愛さない……彼等が死ぬように私は死ぬだろう。
古代ギリシアや聖書の物語をユルスナールが換骨奪胎した連作短編集『火』。訳者の解説にもあるように、この作品のライトモチーフは、同性愛への偏愛と異性愛の敗北である。
ユルスナールの奔放な想像力は、『パイドーン あるいは眩暈』において、プラトンの対話篇にその名を残す美少年パイドーン(パイドン)をナレーターとして、彼の身の上話を語らせる。
泉をみつめるナルキッソスのように、ぼくは人の瞳にわが身を映した。そこに映る姿はとても輝かしいものだったから、ぼくはそれほどの幸せを人に進んで与える気になっていた。ぼくを愛した人の眼に教えられて、ぼくは愛についていささかの知識をえた。
ナルシスの話と言えば、ぶっちゃけた話、このガキ(パイドーン)は、かなり自惚れが強く、へらず口をたたいている(もちろんユルスナールの筆致は詩的でエレガントであるが)。
例えばこんなところ
ぼくの拳がもちあげた円盤は、標的とぼくとの間に、一枚の翼の純粋な曲線を描き、ぼくの露な腕のしぐさに一万人の胸ははずんだ。
ぼくは眼をとじて、猥らな瞳に映るぼくの姿を見ないようにした。ぼくの美貌についてあれこれと下卑た注釈をつける声がそれ以上きこえないように、いっそ聾になりたいと思った。
自分で言うなって(笑)。いるんだよねー、ゲイ・バーやハッテン場に来て「ここはどこ?」みたいに目をパチクリしている自称ハンサム君が。
でもさすがレズビアンのユルスナール女史。こういうガキにガツンと一発食らわせている。
(ぼくを買った男は)最初ぼくに恋心を抱いているのだと思ったが、彼の手は傷口に包帯するためしかぼくの体をさわりはしなかった。次にぼくに香油をぬりながら彼が泣いていたので、優しさからだと思った。しかしまちがっていたよ、ケベス、ぼくの救い主は奴隷商人だったのだ。泣いたのは、傷痕のせいでアテーナイの淫売屋にぼくを最高の値段で売れないからなのだ。
HaHaHa! そんなことだろうと思った。
マルグリット・ユルスナール 「パイドーン あるいは眩暈」(多田智満子訳、白水社『火』所収)