「わかってるよ、エイルリッド。きみはおれと別れようとしている。恋する者は誰でも、そのときが来ることを知っている。最初の出会いから、そのときが必ず来るという確信に悩まされるものだ。いま、おれにも、そのときが来た。ただ……」フレードは、まばらに不精髭が伸びた顔をゆがめ、そこで話すのをやめた。そして、ロンドンの冬の寒さで乾いた自分の指をじっと見つめた。
登場人物は二人だけ。エイルリッドとフレード。ストーリーは題名のとおり、エイルリッドがフレードに別れを告げるその瞬間の二人の心理状態を描いている。
エイルリッドは彼の「別れの宣告」が、フレードにとって残酷な仕打ちであることを知っている。自分がまだ愛されていることを十分理解している。
そしてここにドラッグが絡み、都会的で、ナルシスティックなある意味典型的なゲイ小説の展開をたどる。しかし……。
「おれと最後にセックスをしてほしい。きみといっしょに眠り、となりできみを感じていたい。でもきみにはできないことはわかっている。きみは彼女のもとに行こうとしている。どうしようもないさ。おれを捨てて彼女に飛びつこうっていうんだろう? どうだい、図星だろう?」
エイルリッドがバイセクシャルであることが示され、「恋人」と「友人」という言葉が微妙に使い分けられる。
最後は、男しか愛することのできないフレードのどうしようもない絶望が悲痛な叫びとなってこの短篇小説を締めくくる。
「エイルリッド」とつぶやく時間だけはあった。まるでパリのキャバレーの舞台にいるかのようだった。「エイルリッド、おれたちは子供を生めない。そんなこと、わかりきったことじゃないか!」フレードはバスタブのなかで内臓ごとぶちまけるようにして嘔吐した。すべてを吐き出してから、氷のように冷たい絨毯のうえで気を失った。
ピエール・ヴィットーリオ・トンデッリは1955年イタリア、エミーリア・ロマーニャ州のコレッジョに生まれた。他に『ぼくたちの自由を求めて』(堤康徳二訳、東京書籍)の翻訳がある。
訳者である堤氏の素晴らしい解説によると、トンデッリの作品には、この作品にも見られるように「男どうしでは子供が生まれない」という「不妊性の認識」があるという。自分たちには子供が生めないという認識を、同性愛が逢着するひとつの「壁」ととらえ、アメリカのゲイ文学では重要なテーマとなるカミングアウトの問題、あるいは社会から被る差別といった問題を素通りしている、ということだ。
また1985年に発表された長編小説『リミニ』は、『さよならの宣告』を敷衍したエピソードを含み、同名のバイセクシャルであるエイルリッドが、男しか愛せない作家のブルーノを翻弄し、自殺に追い込むというストーリーになっているらしい。この作品もぜひ翻訳して欲しい。
ピエール・ヴィットーリオ・トンデッリは1991年エイズが原因と思われる気管支肺炎で亡くなった。この事実により『さよならの宣告』のある一文がいっそう切実に、胸に、迫ってくる。
「こんなに早く来るとは思えなかった。そう、ただ、こんなに早いとは思っていなかったんだ。ただそれだけだ」(中略)
「気分はよくも悪くもない。げんに起きていることを、どうすることもできないじゃないか。おれには泣くことも嘆くことも、『これから愛しあおう』なんて言うこともできない。おれたちは、もう何度もいっしょにやりなおしてみたけど、ついにこうなった。おれはいずれ苦しむだろうし、落ちこむときも、何もわからなくなるときもあるだろう。でもいまはわかる……たぶん、若死にする人と同じだ。死期が近いと感じても、どうすることもできない、頭をたれること以外には何も。かれは言うだろうね。『いつかは死ぬとわかっていた。ただ、もっとさきの話しだと思っていた』って。同じ気持ちがする。こんなに早いとはね、早すぎるよ……でも結局は、どんなときであれ、誰もが早すぎると感じるものなのだろうけど」
ピエール・ヴィットーリオ・トンデッリ『さよならの宣告』
Pier Vittorio Tondelli (1955 - 1991) / Attraversamento dell'addio(堤康徳二訳、青土社ユリイカ1995.vol.27.13 臨時増刊「ゲイ短篇小説アンソロジー」所収)