現代書館
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本書は、ゲイ弾圧の時代に勇気を持って生きた人たちのバイオグラフィーである。あるがままの自分をまやかさずに引き受け、偏見や差別に屈せず、友人や家族や国家を敵に回してでも誇りを持って自らの生き方を貫いた彼らの決意にスポットを当てた。 決意しなければ踏み出せない最初の一歩がいかに重要であり、そこには性別や時代や国境をこえ、ひとりの人間として誰しもが直面しなければならない普遍的な問題が含まれていると思うからである。 ──まえがきより この本では14人のゲイのヒーロー、すなわちテネシー・ウィリアム、レナード・バーンスタイン、トルーマン・カポーティ、ロック・ハドソン、エドワード・カーペンター、オスカー・ワイルド、サマーセット・モーム、ニジンスキー、ヴェルレーヌ、ランボー、アンドレ・ジッド、マルセル・プルースト、ジャン・コクトー、そしてジャン・マレーを扱っている。 彼らは文化的芸術的ヒーローであるだけでなく、その生き方においても言葉では言い尽くせないくらいの苦悩を持ち合わせながら、彼ら一流の(独特の)ヒロイズムを貫き通し、またそういったヒロイズムを余儀なくされた男たちである。 現在では、登場するほとんどの人物がゲイとして認知されており、その業績も広く知れ渡っているが、社会主義運動家として有名なイギリスのエドワード・カーペンター/ Edward Carpenter(1844-1929)のセクシャリティについては過分にして知らなかった。 『民主主義に向かって』の著者でミルソープ農場の経営者でもあったカーペンターは、同時に『性愛──自由社会におけるその地位』『女性──自由社会における社会の地位』『同性の愛と自由社会におけるその地位』という時代に遥かに先駆けた著書を発表していたのだ。 もちろん1967年まで同性愛が非合法で、文豪 E.M.フォスターの『モーリス』でさえ死後に出版されたイギリスでは、カーペンターの思想、労作は黙殺されていた。なにしろ初めて彼の正統的な伝記を書いたのは日本人であったというのだから(都築忠七『エドワード・カーペンター伝』晶文社刊)。 まさにカーペンターは井上氏の言うように”性解放のパイオニア”と呼ぶにふさわしい。 この『モーヴ色の肖像』で感銘を受けるのは、そういったさまざまな苦悩に苛まれながらも人生を少しでも有意義なものにしようとする強固な意思と、自らの欲望に正直であろうとする決意の表出、つまり彼らの勇気ある態度である。 伝記作家からは犯罪者扱いをされることになったが、こうしてプルーストは、はっきりと自らのセクシャリティを認識し、自分に負わされた宿命をしっかりと受け入れ、もはや道を踏みはずすことことなく、ソドムのほうへ向かって着実に歩きはじめたのである ──マルセル・プルースト そしてなによりも彼ら”英雄の生涯”を赤裸らに、真摯に、そしてジャーナリスティックに描く井上保氏の筆跡が素晴らしい。 文章は力強く、(言葉、用語のセンスにおいても)的確で、行間からは溢れんばかりの愛情と共感が滲みでている。 様々な有益な情報が、知っておくべき事実が書き込まれている。 有形無形の差別の只中で、ときに憤り、読者の(僕たちの)胸を熱くする。 勇気と希望を与えてくれる。 「僕には、生まれてはじめて自分が生きていると思われさえした。真の生活に自分が生まれ出たような気持ちだった。僕は、顔は涙に濡れながら、笑いと珍奇に満ちた素晴らしい世界へと踏み入った」 ──アンドレ・ジッド こういった真摯な本と比べると、ある種の女性たちが書いた本がいかに興味本位に表層をなぞっただけで、しかも使用する用語が(ゲイにとって)不愉快で不適切であるだけでなく、彼女たちのファンタジーに合致しないゲイをどれほど不当に差別し、侮蔑しているかが分かるだろう。 極論すれば、他の差別主義者と同様に彼女たちにとっては、リアルなゲイ──性的放埓を繰り返したり、自分たちの権利を主張するゲイだけでなく、身近な、例えば家族や身内のゲイ──は邪魔なのだ。 馬鹿どもがいっぱいなそのカフェーで、おれたち二人は、二人きりで、男同士のいわゆる醜い悪徳を演じていた。 ──ヴェルレーヌ「そのカフェーで」 1969年6月27日”ストーンウォールの反乱”に立ち上がった人たちに捧げる── 本書の扉には、そんな献呈の言葉が書かれてある。1969年から比べれば、状況は幾分前進したのかもしれない。しかし、”昔こんな男がいた、昔こんなことがあった”といまだ冷静に語れない。エイズの問題(ロック・ハドソン)を始め、自分たちがいまだ過酷なバトル・フィールドから抜けられないことを自覚しているからだ。 そのため、僕たちは「不幸」であることを忘れるための「幸福感」を次から次へと「捻出」することに忙しい。 著者の井上保氏は1994年に亡くなった。同年『ピンクの三角形 / ゲイ・リベレーションと文学の潮流』(現代書館)が出版される。 「さよなら、永久に。きみは、ぼくの毎日を豊かなものにしてくれた。きみがやってくれたことは他のだれにも求められまい。僕はこれからどうなるのだろうか? どうしたらいいんだ? ぼくは夜を、夜のあとの一日を、その翌る日を、またその次の日を、どうやって待ち続けたらいいだろうか? 一週間をいかにして過ごすべきか? ぼくは白痴のように指を折って数えるだけだろう」 ──ジャン・コクトー |