GAY BOOKS Explore

カミール・パーリア著 『セックス、アート、アメリカンカルチャー』
Camille Paglia "SEX, ART, AND AMERICAN CULTURE" ─ 評論、セクシャリティ ─
河出書房新社
ISBN4-309-23035-0


わたしが性について考察するときに最も理解に苦しんだのは、ゲイの男たちの乱交ともいうべき関係のあり方だった。ゲイの友人からハントの場所を聞くたびに、わたしはただ驚くばかりだった。なかでも悪名高いのは、安食堂やバスターミナルのトイレ、はては知の女神イェール大学の図書館のトイレまで。
- 中略 -
だがついに、わたしにもわかった。ゲイの男たちは、男らしい衝動の守護神である。暗い路地裏で名を告げずにセックスすることは、自由な男という夢にたいするオマージュなのだ。名も知らぬ行きずりの相手は、さまよい歩く異教の神だ。先史時代のように、人がぬかずいた場所が祭壇となる。同じように、売春宿へ通うストレートの男は、果敢にもセックスを感情や義務や家族──いいかえれば社会や宗教、そして子を産む母なる自然──から切り離すことで自由になろうとしているのだ。

- 『世紀末のホモセクシャリティ』より


こいつ、わかってる! 最初この文章を読んだとき、すごく嬉しくなった(最初に読んだのはユリイカ1993年5月号特集「ゲイ・カルチュア」)。
パーリア教授にファンレター出したくなった。いや、留学して「パーリア・ゼミ」にでも入りたいとまで思ったくらいだ。

所詮女性には男のことは分からず(分かろうとせず)、ましてやゲイのことなんて理解できるはずはないと絶望的に思っていた頃だ。(とあるSF作家、現在は「フェミニスト」の女性がゲイ雑誌を読んで卒倒したと文芸誌に書いていた)

なんにしろ、自分が若く、ナイーブな時期にとびきり豪華な「理解者」がいるということは、たまらなく嬉しく、何より心強いものだ。

それにしてもこのエッセイ集は面白い。筆致は闊達で、ユーモアに溢れ、知的な興奮をそそる。何より挑発的だ。だってパーリア教授はアンチ・フェミニスト・フェミニストだと宣言しているし、ポルノグラフィー、売春を高らかに支持している。マドンナを崇拝し、「白人男性」の芸術を正当に評価する。SMの官能性を神話になぞらえ解釈している。
カミール・パーリアは、そういう、ぶっとんだ、つまり勇気のある女性──まさに自由の女神だ。

アカデミズムという象牙の塔にこもったフェミニストは自分たちの夫──へなちょこの本の虫──こそ理想の男性像だと思っている。
おあいにくさま。マドンナが愛するのはほんものの男だ。マドンナは荒荒しいエネルギーや汗まみれのたくましい筋肉といった、あらゆる要素を含む男らしさの美を理解している。一方で、マドンナは女と同質の男たちも賛美する。性倒錯者やきらびやかなドラグ・クイーン、ゲイ解放運動のきっかけとなった1969年ストーンウォール暴動の英雄たち。

『マドンナ論T』

大体において「物分りの悪い」フェミニスト攻撃に徹しながら、ゲイについて、セクシャリティについて言及している。
サブ・カルチャー(というよりポップ・カルチャー)から古典芸術まで網羅したパーリアのエッセイは、スーザン・ソンタグにも通じるものがあるが、ソンタグよりずっとくだけているし、良い意味で下品で素敵だ。なにしろソンタグのことをニューヨークのアパートに鎮座した「おつぼねさま」(ミス・マンダリン)なんて言ったりする。

また興味深いエッセイとして『ロバート・メイプルソープの美しき退廃』がある。これも浅田彰なんかよりも「ストレート」でパンチが利いていてとても楽しめる。彼女はこれほどまともに男性器を芸術の伝統にくみいれた例はかつてない、と絶賛する。
僕も彼女が言うように『ポリエステルのスーツを着た男』はメイプルソープの傑作だと思うし、「ポルノグラフィーとしてのメイプルソープ」を受け入れる。

もちろん、ゲイにとってちょっと耳の痛いところもある。
ゲイの人口が増え、派手でテンポの速い特殊なコミュニティとして容認されるにつれ、ゲイの男たちはかつてのようなどきっとするほどの辛辣を失いつつある。仮面に執着していたかつてのゲイ・コミュニティでは、苦しみの中から喜劇が生みだされた。皮肉なことに、世間に受け入れられるにつれて、ストレートな世界にたいするゲイのコメントはだんだん耳障りなものとなり、洞察にも欠けてきた。一つには、軽薄なフェミニストのレトリックから悪しき影響をこうむっているせいもあるだろう。
『ジャンクボンドとコーポレイト・レイダー』

最後の一文はパーリアの面目躍如と言ったところだろう。それは『MITでの講演』での「ゲイ」という言葉の圧力(なぜ自分にレッテルを貼らなければいけないの?)、ゲイ運動の厳格さからくる抑圧(政治的な意図でゲイとストレートをきっぱり分けようとするゲイの実力行使派)につながる。

彼女は逝きすぎたフェミニズムと同様に、「ホモフォビア」という言葉をむやみに使うべきではないと言う。自分が同意できない意見をすべて「偏狭」という言葉で非難することを間違いだと考える。
彼女はアンディ・ウォーホールの仲間でドラグ・クイーン、ホリー・ウッドローンの言葉を引用する。

「あら──なんでもいいじゃない? かっこよければ、なんだっていいのよ」

R I M B A U D (backpage) /  TOP PAGE