森光世訳 マガジンハウス |
デニムを少し前進させたのはゲイである。ストーンウォール事件以後、1960年代後半のゲイたちには、挑発的な服装をする傾向が現れた。デニムは、危険も顧みず精力的に男をあさって歩く男たちやマールボロの宣伝に出てくるような無骨な男たち、そしてまた、カストロ通りやクリストファー・ストリートで男を待つ男たちのためのものだ。ゲイたちは、性的魅力の表現として男らしさを過度に主張する。
──p.37 クロンダイクからクラインへ テクストは、1850年ドイツの移民リーヴァイ・ストラウスがカルフォルニアに到着したところから始まる。デニム・ジーンズの歴史とその受容、そしてジーンズが生み出した社会的意義(意味)とカルチャー/サブ・カルチャー。その考察は興味深く、ロラン・バルトやゲオルグ・ジンメルの「モード論」あたりと比べてもよいだろう。 しかし、対象はやはりジーンズ&アメリカである。話題の中心はどうしたって欧州における「柔和でエレガントな女性」ではない。粗野でワイルドな男たち→男性的なセックス・アピール→ゲイと導かれるのは必然である。たとえマリリン・モンローやダイアナ妃の凛々しいジーンズ姿があっても、それらは「ボーイッシュ」な側面で語られるものであって、女性らしさを語るものではないだろう。 「キンタマを絞りあげるような服は、人を違った考えかたにさせるものだ」と言ったのはイタリアの記号論学者で「薔薇の名前」の著者ウンベルト・エーコである。特にブルージーンズの下半身にくっつくような感覚は学者エーコに、”外界に向かって生活”することを教えた。<デニムとセックス>の章で、著者は、ジーンズが男根崇拝のアイテムであると喝破する。ここでは、フェティシズムと去勢コンプレックス、そしてナルシズムが当然のごとくゲイに対する「精神分析」と結びつけられ、スーザン・ソンタグの「キャンプ」にも通じるゲイのファッションにおける「カルチャー・コード」について論じられる。エドマンド・ホワイトやアンドリュー・ホラーラーンの小説、雑誌クリストファー・ストリートのインタビューなど資料もずいぶんと多彩だ。そこには、(ゲイにとって)ある意味誇らしい一面とともに、ちょっと省察も必要だな、と感じさせてくれる。なかなか鋭い論評だ。 J.C.フリューガルに言わせれば「美意識を持っているので、(ナルシスト・タイプのゲイは)服飾の発展には欠かせない存在である」という。ゲイのコミュニティがしばしば服飾の流行におけるパイオニアで、それが後に普通のファッション界に取り入れられていく事実を裏付ける発言である。フリューガルによれば、ゲイの唯一の不利な点は、ナルシズムの過剰によって極端な服飾誇示に走り、全ての時間とエネルギーをそれに使い果たすことだそうだ。 まあ、「テクスト」に関してはこれくらいにして。この本の特徴は(僕が声を大にして言いたいのは)、これがほとんど写真集のようであるということだ。しかも大部分が男性のスナップ、それも馴染みのある広告写真から、カルティエ・ブレッソン、ブルース・ウェーバーの写真(しかもセクシーなものばかり!)。 その中にあの「伝説のCM」の写真を発見。 ↑←これこれ この「ストーンウォッシュ」はもともと1980年代後半にヨーロッパで流されたTVコマーシャルで、マーヴィン・ゲイの"I Heart It Through The Grapevine" の音楽をバックにハンサムなニック・カーメンの姿態が話題になったそうだ。当然、話題になるよな(笑) |
芸術新潮1994年2月号 新潮社 |
性の表現者たちの系譜とは、自己を見つめる率直さによって快楽の鉱脈をさぐりあて、またその率直さゆえに傷ついた者たちの系譜ではないだろうか。それと同時に、自己を離れて他者を「覗き見る」という欲望こそ、人を性に向かわせる最もきわだった動機であると言えるだろう。この、自他に向かう切実で不可思議な欲望が、性の表現者たちをつきうごかしてきた。
──p.4 性の強迫観念 潜在意識下で蠢く欲望の表出 伴田良輔氏構成による「性表現」の歴史。「歴史」と名がつくとおり1940年代から90年代にかけての性とその表現(作品)をめぐる社会的事件を取り上げ、いくつかのキーワードで分類、それを年表にまとめている。 芸術における性表現という画期的な視点、豊富な図版、適切で的確なコメント&解説、メディアや風俗まで視野にいれた幅広い照準。まさしく性の博覧強記と言えるだろう。 その中からゲイに関することを中心にいくつかの「事件」をピックアップしてみよう。
デレク・ジャーマンの映画『ブルー』(93)では、エイズ・キャリアの彼の、死に直面する日々の記憶と思考が「青」一色の画面に投影され、モノローグが重ねられた。イヴ・クラインのブルーから血のブルーまで、ここでは青がいろいろな記憶の階層を持つ象徴的な色として選ばれている。この色に黙示録的なヴィジョンを見るか、虚無を見るかは、見るものにゆだねられる。しかし彼の苦悩は他の誰にも代行できないものである。むしろ、一人一人異なるエイズ・キャリアの苦悩や恐怖や克服のありようを安易に神話的な物語に回収させようとすることに、彼は抵抗しているのかもしれない。 「性表現」の獲得はまさに戦いであった。それは単に猥褻か芸術かの論争だけではなく、「性」を含めたあらゆる「表現」を認めるか否かの闘いでもあった。そして90年代には「性」はすでに「猥褻」などという抽象的な概念を無化するほどになっている、と伴田氏は言う。 89年の「ヘルムス修正法案」における「猥褻または下品」なアートへの国立芸術基金の経済援助削減はたしかに「ゲイ・アート」への差別を狙っており(同じ時期イギリスで法制化された『セクション28』も同様であろう)、それに対するゲイ団体の抗議、ホイットニー美術館の新聞広告「あなたは政治がアートをだめにするのを許しますか?」による「問題化」も評価できる。 ただそれが結局、「芸術VS猥褻」という「レベル」に堕してしまっていったことは、残念なことなのかもしれない。なぜなら、90年代エイズを引き受けた世代のアーティストにとって性に正面から立ち向かおうとするのは当然であり、「芸術VS猥褻」の論争はあまりにも呑気な机上の議論でしかないからだ。 伴田良輔氏は最後に、芸術とは「語られる性」の器であり、すでに「語られてしまった性」の残骸でもある(性をめぐる表現は、「すでに」と「いまだ」の総体なのである)、と述べこう続ける。 この年表を彩った人物たち、ヒュー・ヘフナーもマリリン・モンローもロバート・メイプルソープも、かつてはオリュンポスの山々を跳梁した神話世界の神神のような特別な存在ではなかった。われわれと同じように、性の痛みと喜びに敏感に反応した20世紀人の一人だったのだ。 |