ベートーヴェン過去ログ01
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ふふふ
ALEX 投稿日:99年8月10日<火>03時31分
>HODGE
行こう行こう!<エルフェ
ちなみにチケットは自分の分も含めて強制的に5枚も送られてきているのよ・・・
「子供のために」の題名,本当にかなりキテます。「豚飼いの踊り」や「よっぱらいの歌」もすごいけど,「豚飼いのうた」「あざけりのうた」[泣き女のうた」とか,さらには「追いはぎの歌」(これは一体???)「どんちゃん騒ぎ」「不平」など。きわめつけは「枕のダンス」。本当にこの訳合ってるの???と不安になる今日この頃なのですが,なにしろ前述のとおりこの楽譜には原題が載っていないので(調べなさいってば)。

Hなホームページ?できたら教えてね。
ぼくのWebもありますが,まぢめなおフランス音楽のページざます。

エルフェをゲットせよ
HODGE 投稿日:99年8月10日<火>02時05分
こんにちは
僕もちょっと眠いのでディベートは後で。
予告。いまH系のホームページを作っています。出来たら教えますね。
そういえば皆さんはHP持ってるの?いい素材があったら教えてくださいね。

>IAN
ネット復帰おめでとう。
「亡き王女のパバーヌ」って、そう言えば宝島の「ゲイの贈り物」シリーズで、ピアノが弾けるオネエはみんなこの楽譜を持っている、という記述があったように思えます。やっぱりね、ってカンジですね。
「ガイドライン」って、もしかしてこの言葉のせいでいろいろと波紋を投げかけているのかもしれませんね。いったいガイドラインを設定するのは誰なのか。今日はあまり踏み込みませんが、もし楽譜を正確に読んで、「楽譜どおり」に演奏したら、必然的に時代性なんかの属性は守られるのではないでしょうか。
むしろ「ガイドライン」という「お約束事」が必要なのは、即興演奏やアドリブの世界じゃないかと思います。お約束がなければ、それこそぐちゃぐちゃになってしまうから。

テクニックについても、ちょっとだけ書くと、ある演奏家の(それがあるとして)音楽性を「演奏」で判断するのは、彼のテクニックを通してですよね。つまり聞き手は、どうしても彼のテクニックの「容量」分(ごめん、ちょっといいコトバば見つからない)でしか「音楽性」を判断できないので、つまり彼の音楽性はテクニックと等価である、ということにならない。
まあ、SEXもそうだけど、テクニックがあったほうが(もちろん愛情も)「受けて」は楽しいよね。(ごめん)
まあ、先生の良し悪しよりも、自分で開拓するのも大事かなと思います。

>ALEX
そうか、僕もエルフェを聴きたくなったな。行こうかな。っていうかALEXの書き込みを読むと、いかないと損をするような気がしてきます。
以前はベートーベンの「変奏曲」や後期のソナタ、カルテットって退屈だと思っていたのですが、20を過ぎたら、なんか興味が出てきました(笑)。
バルトークの「子供のために」ってベロフで持っているのですが、題名が全部フランス語なのでわかりませんでした。ぶっとんだ題名ですね。

「他人の武器は役に立たない」
「兵士は冷酷な君主に敬服する」
BY マキャベリ
PS 「君主論」、最高に面白い>IAN

子供のために
ALEX 投稿日:99年8月9日<月>23時43分
>Ian
お帰りなさい(^o^)
旅先ではいいことありました?

>>ひょっとしてAlexが弾いてるバルトークって「子供のために」
>>じゃなくって「ミクロコスモス」なんじゃない??

あれれ??おかしいなぁ。
ぼくの使っているのはブダペスト音楽出版社の邦訳版なのですが,
I巻とII巻の合本の最後の曲(第40番)が「豚飼いの踊り」ってなってるんですが。
この楽譜,原題が付いてないので詳細不明なんですが(コチシュのCD買ってみようかな),唯一3ページもある曲です。
次回は34-36番をやる予定です。36番って「よっぱいの歌」だって(^_^;)

夏休みから復帰
Ian 投稿日:99年8月9日<月>13時49分
こんにちは.夏休みから復帰したIanです.不在中の書き込み読むだけで一晩かかりそうじゃん.
理解するのにさらに3,4日かかるんじゃないかなぁ.

>Alex
書き込み読んで気になったんだけど,ひょっとしてAlexが弾いてるバルトークって「子供のために」
じゃなくって「ミクロコスモス」なんじゃない??だって私が持ってる楽譜に「豚かいの踊り」なんて
ないんだもん.

>Yuri
ごめん.前言を訂正します.ジュリオ・チェーザレはジュリアス・シーザー(カエサル)のことです.
いやー,はずかしわん.何気なくヘンデルのオペラアリア集の楽譜を見てたら「エジプトのジュリオ・
チェーザレ」って題名があって,「おっやー」チェーザレ・ボルジアのことではありません.(^^;;;)

>Hodge
「パヴァーヌ」私も弾きたくて楽譜は買ったんですけどね(ラベルの楽譜は著作権が切れて安くなったし!)
なかなか私の技術じゃ追いつかないよーー.っていう程度の技術しかありません.

>Rhodesさん
はじめまして!ここは結構演奏する人多くなってきたけど,私は完全に聴く人間です.(自分の楽しみのため
に弾くこともありますけどね.私もインチキ経験者でーす)よろしく!

Hodgeの整理してくれた論点に従って,少し書きます.
はっきし言って,夏休みぼけの私の頭では議論についていくのが大変なんだけど,「ガイドライン」論でいえば,
演奏芸術が,即興演奏をのぞくと,ある時代の約束事に則って作られた作品を「再現」する芸術である以上,ガ
イドラインがあるのは当然であって,専門教育であるからこそ,そのガイドラインの重要性を強調するんじゃな
いかと思うんだけどね.ただし,一般の聞き手は別にガイドラインなんか気にする必要はなくて,自分がいいと
思える演奏家の演奏を自由に楽しめばいいんじゃないのかなぁ...と言うわけで,Yuriの意見と同じだよね.
約束事がたくさんある世界で書かれた作品であれば,当然守るべきガイドラインがrigidになるだろうし,約束
事が少ししかないような作品であれば,当然ガイドラインが少ないということになるんじゃないの?だから,
バッハは自由であっても様式の逸脱はできないだろうし,メシアンがいくらバッハ的様式の拘束がなくても,
勝手に変奏できないということではないのかな?

自分が表現したいことを表現するためにあるのがテクニックであって,単に指がよく回るということではない
と私も思います.日本じゃペダルの効果ってどれくらい教えられてるのかわからないけれど,そういうことも
すべて含めてテクニックでしょ?最近アメリカの音楽学校の授業の話を人から聞いたんだけど,日本にはほん
とに優れた音楽教師が少ししかいないみたいですね.

またぼちぼち書きます.Ian

ディプロマ
Jose 投稿日:99年8月9日<月>11時59分
失礼しました。英語にも「Diploma」はありました。
カタカナで書くとどうしても外国語との繋がりがわからなくなってしまうオイラってバカですね。
詳しく教えて下さってありがとうございました。

一昨年のエルフェ
ALEX 投稿日:99年8月9日<月>10時32分
>HODGE
プログラムがまずすごいでしょ。でもぼくも最初は老大家の演奏だから枯れた味わいとかで聴かせるのかなと思って行ったんですよ。
ところがところが,すらりと背の高い男が颯爽とステージに登場してきて,この人本当に75歳???とびっくりしている間もなく,いきなり「西風のみたもの」が始まりました。
これがまたアップテンポぎみの豪快な演奏。ちょっとアバウトなところもあったけど,まあ許そう(←偉そうに!)って感じ。そのまま一気に残り5曲が過ぎていきました。
とにかく演奏も姿も若々しくてびっくりでした。でも本当にびっくりするのはこのあと。ブーレーズのソナタ3番。もう曲名だけでもビビりますが,「なんて美しい曲なんだろう」という感想を持たせるというのもすごい。
最後の「ディアベリ」では友だちと「途中で倒れたりしないよね」などと失礼な心配をしていたのですが,なんのなんの。テーマから快調に飛ばして,変奏によっては衰えぬ超絶技巧を見せてくれたりとなんとも刺激的な大変奏曲でした。

確かブーレズのソナタは3曲とも録音しているはずです。レーベルは「アルモニア・ムンディ」。

ディプロマ
ALEX 投稿日:99年8月9日<月>10時19分
免状,証書,免許といった意味の言葉です。
フランス語ではdiplome(oの上にはアクサン・シルコンフレクス)ですが,たとえばdiplome de licencieで学士免状というような意味で使われます。先のブクルシュリエフの記事では当然「免許」の意味でしょうね。
ご指摘のとおり,コンクールなんかでも一定以上の成績を収めた人にディプロマが授与されることがあります。ちょっとどういう訳にしたらいいのかよくわからないのですが,先に挙げた用例でなんとなくわかってもらえるでしょうか。

ありゃりゃ,ごめん・・・
ALEX 投稿日:99年8月9日<月>04時10分
紛らわしい書き方をしておりました。
すでに気づいているかもしれませんが,紹介した音源はブクルシュリエフの作品を収めたCDということで,エルフェとは関係ないです。
エルフェの演奏を収めたCDは現役盤がまだまだありますので探してみてください。
ぼくが持ってるのは2枚のラヴェル(全ピアノ作品),ドビュッシー,シェーンベルクです。

すごいですね
Jose 投稿日:99年8月9日<月>03時10分
もう寝なくちゃいけないのに。

>ALEXさん
わざわざ教えて下さって、ありがとうございました。
よく分からない単語があるんです。「ディプロマ」って何ですか?
世に認められた称号の事ですか?
友人にもフランスに留学していた者がいまして、彼もそのディプロマを取得したって言ってました。その時は何の事か気にも留めずにいましたが、ここでなんとなく分かった気がします。

>Rhodesさん
RhodesってRhodesピアノの事ですよね。あの会社ってもう大昔につぶれてRolandが買収したものだと思ってました。
Rhodesのエレピってまだあるんですか?あのドライバーで調律するのが懐かしいです。学生の時はあのピアノの価値がよく分かってませんでしたが、今になるといとおしいものです。
チェレスタみたいなものですものね。
あ、失礼しました。僕もつい最近ここに覗きに来たばかりの者です。音楽については素人ですが、よろしくお願いします。

エルフェってすごい!
HODGE 投稿日:99年8月9日<月>01時11分
こんにちは
>Rhodesさん
いらっしゃい!どうもです。
恐縮しないでリラックスして書いてください。
そういえば僕も数回 Visual Basicを触っただけで、経歴書にVBの経験者とか書いています。
「亡き王女のためのパヴァーヌ」、いい曲ですね。でも普段はあまり聴かないのです。というのもこの曲には個人的な思いでがあるんです。
それはーーうーん、この際だから言ってしまおう。大学のとき憧れの先輩(もち♂)とデュエットしたんですよ。しかも練習のために僕のアパートに来て。といっても何もなかった(しなかった)のですけど。
だから僕も、この曲を聴くと、ノスタルジックな気分になります。

>ALEX
ブクレシュリエフの情報、ありがとうございます。さすがですよね。脱帽です。
>エルフェ
エルフェって初めて知ったンですよど、「鬼火」は見たことがあります。あの人だったんですね。ルイ・マルの映画はすごく好きなんです。あの人、音楽の使い方がうまいですよね。「死刑台のエレベーター」のマイルス・デービスや「ルシアンの青春」でのユダヤ娘のピアノの練習。
それにしても、メシアン、ブーレーズなどの現代音楽とベートーベンの「ディアベリ変奏曲」「ハンマークラヴィーア」なんて、す、すごすぎる。しかも77歳ですか。こういった巨大な音楽は小手先の細工や聞き覚えでは対処できませんよね。
レパートリーを見ると、今世紀の傑作が、それこそ綺羅星のように並んでいますね。壮観です。
僕もJoseさんのようにCDを捜しにいきます。

「入れた手のお茶、アッチチ」
BY ジャスト・システム ATOKの広告より

Boucourechliev
ALEX 投稿日:99年8月9日<月>00時37分
久々にグローヴを出してきて調べてみました。
ちゃんと乗ってました。「ブクレシュリエフ」となってましたが。

(1925年7月28日ソフィア生)ブルガリア生まれのフランスの作曲家,批評家,音楽学者。1946年にソフィア音楽院に入学し,P.ペリシェクにピアノを学び,2年後に第1回「音楽解釈の全国コンクール」で優勝。フランス政府から奨学金を得て,49年にパリに移り,エコール・ノルマル・ド・ミュジクでレーヌ・ジヤノリにピアノを,ジョルジュ・ダンドゥロに和声を学ぶ。また,アンドレ・ヴォラブール=オネゲルに対位法の個人教授を受けた。51年に「コンサート・ピアニスト」のディプロマを取得。ギーゼリングのマスタークラスに参加するなど,ピアニストとして活動しながら54年以後は作曲も手がけ,ダルムシュタットの夏期講習に参加。教職を辞してからは作曲家・音楽著述家として活躍。各誌に音楽批評を寄稿し,評論集や著書も出版。63-64年にはアメリカに渡って数々の公演を行う傍ら,あらゆる前衛芸術家の作品を研究して後に3巻からなる試論「トーン・ローズ」にまとめた。

このあと,作品についても説明が続くのですが,件の「6つのエチュード」については書かれていないようです。「群島」というシリーズが評価が高いようです。
どっちにしても未知の曲を聴けるのはとても楽しみです。
エルフェですが,9月7日から17日にかけては東京でマスタークラスも開かれるようです。
今回ぼくは受講しないのですが,友だちがシェーンベルクのop.11でレッスンを受けるようです。
これは聴講自由(1日5000円)の公開制のようです。

さらに調べてみたところ,以下の音源があるようです。

  1.メシアン:クロノロミー (1959/60)
  2.ブーレーズ:ル・マルトー・サン・メートル (1952/54)
  3.ケージ:孤島の娘たち (1945)
  4.シェフェール&アンリ:ひとりの男のためのシンフォニー (1950)
  5.クセナキス:メタスタシス (1953/54)
  6.クセナキス:夜 (1967/68)
  7.シュトックハウゼン:ピアノ曲XI (1957)
  8.デュティユー:メタポール (1962/64)
  9.オアナ:シビル (1968)
  10.ベリオ:シンフォニア (1968/69)
  11.ルトスワフスキ:オーケストラの書 (1968)
  12.ブークルシュリエフ:アナルシベル (1971/72)
  13.リゲティ:歌劇「大いなる死」情景と間奏曲第一部 (1974/77)
    マニュエル・ローゼンタール指揮 フランス国立放送o
     アデ MT-14.122-2 10000 (1988.?.?)

はじめまして
Rhodes 投稿日:99年8月9日<月>00時15分
はじめまして
HODGEさんにここのことを教えていただいていましたが、ハイブローな雰囲気にたじたじでひっそりと息を潜めていました。
一応随分まえ、25年も前のことになりますが幼少の頃にピアノ師範に師事しておりました、インチキ経験者です。
Rhodesは弾く方によってとってもメロウな響きがしたり、ただギラ付いて下品な音がしたり、とっても扱いに困る道具ですが、僕の大好きな楽器です。
ところで「亡き王女のためのパヴァーヌ」が今ふっと頭の中によみがえりました。
ジャズの演奏家がいろんな楽器で演奏していますが、そんなスタンダード的なクラシック曲を心地よく聞くのがとても好きです。
幼稚な自己紹介で恐縮です。
では、

探してみましたけど
Jose 投稿日:99年8月9日<月>00時04分
デートの合間にブクルシュリエフを探してみました。現代物の中にもCDはないようですね。
アンドレという名前からして東欧系フランス語圏の人なのでしょうね。
コンサートのフィナーレに持って来るくらいだからなかなかの曲なのでしょう。聞いてみたくてCD屋まで冒険に行ったのですが、残念と言おうか聞けなくて安心したと言おうか。
何者かわかったら又教えて下さいね。

スポーツ選手は格好いい!
YURI 投稿日:99年8月8日<日>04時04分
どうもです。

>HODGE
>インザギ兄弟の情報ありがとね。うーん、やっぱりスポーツマンはかっこいいね。今後は要チェック。
僕もそう思う!何せそれでいてとても純情なんでとっても素敵な人達です。夏は水泳、自転車、インラインスケート、水球、冬はサッカーと何時もチェック入れています。最近まで大会があってたのでウハウハでした。何時もビデオを撮って後でゆっくりと見ています。後、フランス人スポーツ選手も好きなんでそちらもチェックを欠かしません。ただ、HPを探すのに言葉が解らないので結構苦労しています。

では、この辺で。

失礼
ALEX 投稿日:99年8月8日<日>03時10分
ルーセル,やはり作品16でした。ごめんなさい。
ブクルシュリエフってぼくも初めて聞く名前でよくわからないんですよ。
Andre Boucourechliev(ファーストネームの最後のeにはアクサン・テギュがあります)という綴りからはフランス人っぽいようにも感じますが,最後のvはスラヴ的でもありますよね。うーん,今度調べてみます。
でもエルフェは1975年にブクルシュリエフからコンチェルトを献呈されているそうです。
エルフェの演奏で有名なのはヌーヴェルヴァーグのルイ・マルの映画「鬼火」でのサティの演奏でしょうか。
シェーンベルクはぼくもCDを一昨年の来日公演(このときもドビュッシーのプレリュード1巻後半,ブーレーズのソナタ3番,ベートーヴェンのディアベリ変奏曲という超人的なものでした)の時に買ったのですが,端正な音楽づくりと,とかく機械的になりやすいあれらの曲でゆらめくような情感を感じさせられました。
演奏会の方も,数年前に心臓のバイパス大手術を行ったなんて信じられないほど若々しく颯爽とした演奏で,特にブーレーズでの美しいフラジオレットの響きに舌を巻きました。とにかくすごかったです。

素晴らしいですね
Jose 投稿日:99年8月8日<日>01時52分
こんばんは

>ALEXさん
いいですよね、一生有名になんかならなくていいから演奏が続けていけたらいいですよね。
ルーセルのソナチネってもしかして、作品16の奴じゃないですか?近現代の作品ってあまり知らないのですけれど、ルーセル、メシアンてすごいプログラムですよね。
ブクルシュリエフってどこの方なんでしょうね。名前からすると東欧の作曲家なんでしょうか。講座のテーマはシェーンベルクの作品ですか。オイラも行きたい気もするけれど、途中で死んじゃうかも知れませんね。
又何かあったら教えて下さいね。

宣伝(^_^;)
ALEX 投稿日:99年8月8日<日>00時20分
今年77歳になるフランスの大家,クロード・エルフェが9度目の来日をします。

クロード・エルフェ ピアノリサイタル99
1999年9月3日(金)7:00pm 東京文化会館・小ホール
入場料:6,000円
プログラム:
 ルーセル:ソナチネ,作品19
 メシアン:『鳥のカタログ』より 3.青鶫
 ベートーヴェン:ソナタ,作品106「ハンマークラヴィーア」
 ブクルシュリエフ:6つの練習曲

チケットは数枚ぼくが持っていますので,興味のある方はメールしてみてください。
同じくエルフェの特別公開講座も9月6日10:30amより音楽の友ホールで開かれます。今回のテーマは「アーノルト・シェーンベルクのピアノ作品」ということです。

インザギ兄弟
YURI 投稿日:99年8月7日<土>14時18分
どうもです。今からメンテするんでまずはこれだけ。

>HODGE
シモーネ・インザギ(弟)の静止画はこれです。
http://www.gazzetta.it/gazzetta/images/sport/calcio/piacenza/inzaghi.jpg
http://www.raisport.rai.it/mcalcio/989a/r05a/018191d.jpg
http://www.raisport.rai.it/mcalcio/989a/r08a/018191e.jpg
http://www.raisport.rai.it/mcalcio/989a/r09a/018191e.jpg
http://www.raisport.rai.it/mcalcio/989a/r06r/018191e.jpg
http://www.raisport.rai.it/mcalcio/989a/r06r/018193d.jpg
http://www.raisport.rai.it/mcalcio/989a/r06r/018193e.jpg
http://www.raisport.rai.it/mcalcio/989a/r06r/018193f.jpg
http://www.raisport.rai.it/mcalcio/989a/r08r/018191e.jpg
http://www.raisport.rai.it/mcalcio/989a/r09r/018191d.jpg
http://www.raisport.rai.it/mcalcio/989a/r10r/018191d.jpg
http://www.raisport.rai.it/mcalcio/989a/r11r/018191e.jpg

プロフィールはこれです。(イタリア語)
http://cubo.rcs.it:8083/gol/owa/scg.view_scg?iana_id=20579

フィリッポ・インザギ(兄)静止画はこれです。
http://www.gazzetta.it/gazzetta/images/sport/calcio/juventus/inzaghi.jpg
http://www.raisport.rai.it/mcalcio/989a/r07r/002551e.jpg
http://www.raisport.rai.it/mcalcio/989a/r11r/002551e.jpg
http://www.raisport.rai.it/mcalcio/989a/r13r/002551e.jpg

プロフィールはこれです。(イタリア語)
http://cubo.rcs.it:8083/gol/owa/scg.view_scg?iana_id=14905

因みに簡単なプロフィールは

フィリッポ・インザギ(兄)
所属チーム:ユベントス
生年月日:’73/08/09
出生地:ピアツェンツァ


シモーネ・インザギ(兄)
所属チーム:ピアツェンツァ→ラッツィオ(来シーズンより)
生年月日:’76/04/05
出生地:ピアツェンツァ

と云う事で来シーズンのアップデイトがまた行われていません。その為新しい情報はまだ有りません。

では、この辺で。

オーナーさん
Jose 投稿日:99年8月7日<土>03時32分
偉そうなことを書いて後悔してます。
できれば直前の発言は削除して下さい。
こんなところで音楽観や価値観など引き合いに出すなんて恥ずかしいです。
好きなことだけ書くつもりだったんですけど、これからは気をつけます。

KY jelly
HODGE 投稿日:99年8月7日<土>02時39分
>YURI
インザギ兄弟の情報ありがとね。うーん、やっぱりスポーツマンはかっこいいね。
今後は要チェック。
>ALEX
コンサートお疲れさま。「リベルタンゴ」すごい曲ですよね、壮絶技巧とでもいったらいいのでようか。こんど僕にも聴かせてね。
>Joesさん
ご意見、とても参考になります。これからばバロック音楽の話など、得意な分野でいろいろお話してください。
>IAN
夏休み中ですね。帰ったらお話に参加してください。だいじょぶです!ログは取ってありますから。

>ROMの人もぜひ一言書いてください。またこのページの「宣伝」もお願いします。そうですねカウンター1000番目の人には、iMACプレゼント、は「ない」けれどH画像くらいは送りましょう。

チェシャ猫
HODGE 投稿日:99年8月7日<土>02時23分
こんにちは
ちょっと問題を整理しておきたいと思いますが。僕が疑問に思うのは

バッハに技術上の(ということは表現上の)ガイドラインがある
   (それはバッハだからなのか。シューマンやメシアンにはガイドラインガ存    在するのか?)
指使い、メトロノームの使い方が日本とイタリアで違う
   (書かれている指番語を尊重する日本と尊重しないイタリア。メトロノーム    という機械は何のためにあるのか)
テクニックと表現力
   (テクニックがある=表現力がない これは真か偽が、逆はあるのか)
日本の先生

ガイドラインってコトバ自体が自衛隊や会社でのセクシャルハラスメント「対策」を容易に連想させてしまいますよね。とくにここ日本では。
>バッハは自由というところで、ドニゼッティの時代の演奏と比較してるけど、僕はオペラはベルクとシェーンベルクぐらいしか聴かないので、よくわからないのですが、それって、結局、「装飾音の自由」と即興(アドリブ)だけのことなんですか?当時の聴衆の趣味と美意識を「再現」するだけのものなんですか?

指使いについてですが、どうしても非合理で弾けない指番号が書いてある楽譜が流通しているのは不思議です。ヴァイオリンにも指番号がありますが、いちおう参考にします。それはこの指番号をつけた人は「どういった音」を要求しているかわかるからです。D線で楽に取れる音をG線のハイポジションで取るように指定してあるのは「指定した人」がG線の深い大きい太い音がこの音楽のこの場所には「必然」だと考えたからでしょう。それは一つの楽曲の理解になります。だから僕がその「解釈」に賛成するばあい、自分の手の弾きやすさよりも、「楽譜の指定」を尊重します。そうする必要がないと考えた場合は「手になじむ」自分でカスタマイズした指を使います。
しかしこれが「教則本」やある曲(パガニーニの奇想曲みたいな)を「練習曲」として「練習」する場合には、全面的に「指定された指番号」を採用します。

メトロノームもよく使いました。まずは指定されている速度を知るため。それとバイオリンでよく使ったのがボーイングの練習のためです。僕はメトロノームは「自分の中」に速度を発見するものではなくて、「自分の外(客観)」に速度を発見するものだと思っています。メトロノームという「機械」は「自分の中の曖昧な速度」を矯正してくれます。ご存知のとおりヴァイオリンはピアノと違って、他人と会わせることが多いです。しかもオーケストラの中では、指揮者の「速度」に合わせることと、パートとしての「音色の統一」が不可欠です。そのため指使いはすべて「楽譜どおり」またはパート内で「決められた」指使いを遵守します。
メトロノームの練習は一人よがりの「速度感」を直してくれます。
これはあくまでもヴァイオリンの話ですが、ピアノはこれとまったく違うのでしょうか?

テクニックに関しては、「アクロバット」は一回くらいは「金を払って」みたいと思います。けれども「表現したいことが」「表現できない」人に「同情」はしても「彼」の演奏会に金は払いません。
ポリーニ、アルゲリッチ、アシュケナージといった感動を与えてくれるピアニストはやっぱり最高のテクニシャンだと思います。




やっぱり難しい・・・
ALEX 投稿日:99年8月7日<土>00時25分
先日のドサ第2弾終了しました。
今回はさほど遠くなかったですが,弁当がまずかったのでちょっと不機嫌(^_^;)
「リベルタンゴ」の最後3段が異様にウケました・・・
右手の強烈なオクターブ連打と左手のすさまじい跳躍に,やってる方はもう必死も必死,まさに死にものぐるいの大博打(^_^;)なのですが,よほど血眼になって弾いていたのでしょうね。反省。

レスもしなきゃいけないんですが,とりあえず明日に持ち越しします。ごめん。

Jose様
YURI 投稿日:99年8月6日<金>23時40分
>Joseさん
>演奏するって専門家の為にあるのではなく
確かに仰る通りです。ただ

>試験の為に、卒業の為にって思う演奏なら
でも誰が試験、コンクールの時、あえて点数の取れない事をやるでしょうか?皆、その為に練習を繰り返してきたわけですからね。自分は劣等生だったのでこう云う事が出来たのです。少なくとも「試験をクリアーしたい!」「コンクールで賞を取りたい!」と云うのが当たり前の考え方だと思います。ただ、コンクールの有り方もヨーロッパでは考えるようになってきています。また学生と云う以上、その学校の方針に従わざろうえないのではないでしょうか?日本の音楽学校はともかくとしてイタリア、ヨーロッパの音楽学校ではソリストになった時でも通用するような教育が行われています。例えばマウリーツィオ・ポッリーニなどの演奏会のプログラムの中には試験の選択曲に載っている曲を多く取り入れています。
ただ一つ云わせていただくなら「学生と演奏家を一緒にしないで下さい!」責任のかかる範囲が違いすぎると思います。確かにプロのソリストが「試験の為に、卒業の為の演奏」と云うのは言語道断だと思います。もし、この事を私の書き込みからお考えなのでしたら、私自身まだプロのソリストとしての活動はしていません。学生と云う立場の上で言っているのですが?!

>ガイドラインてその作品を全く聞いた事も弾いた事もない人の為にこそ必要
僕はそうは思いません。聞く立場の人は「好きか嫌いか!」で云いのではないでしょうか?別に分析して「〜さんのここのタッチは軽すぎる!」とか云う話しを聴衆の立場の人から聞いた事はありません。ガイドラインは勉強する人の為に有るものだと思います。で、色々な立場の人達が聴いている訳ですから色々な立場上のガイドラインが存在していると思いますが?ただ、音楽院では曲の特徴と云う上でガイドラインが存在しています。その特徴が演奏上に反映できないとなればやはり勉強していないと云うようにみなされます。
ガイドラインなんか唯の価値観でしかありません。また、音楽の勉強などは最終的にそれを発想した人達の価値観を理解する事につきます。「〜でなければならない!」と云うのは存在しません。(もちろん日本の事ではありません。)「〜の方がよりよいのではないでしょうか?!」と云うようなものでしかありません。また、自分のレッスンでも「〜にしなさい!」と云われた事はありません。「私(先生)はこうしてたけど、もしやりたかったらやってみて?!」と強制的なものは全くありません。要するに本人の選択、本人の自主性を重んじて教育が行われています。

ではプールに行って来ます。

では、この辺で。

ALEX様
YURI 投稿日:99年8月6日<金>23時39分
>ALEX
>「点を取れる」演奏
ALEXごめん!僕やった事ない。大学の時は歌科だった為に何時も『自分の思う通りにやろう〜!』とやってた。卒業試験の時歌劇「アンドレア・シェニエ」のアリア「5月の或る晴れた日に」を歌ったんです。それで伴奏の子とはつーかーの仲だったので彼が「先生が終りのベル鳴らしても最後まで弾きとおしていい?」と云ったんで「いいよ!」と答えました。本番の時に最後まで弾きとおしました。自分としては彼の事を信じていたので別に何をやられても納得していました。そんな仲だったので普段の伴奏合わせも多くて2回やれば済みました。なぜなら自分は伴奏者に「絶対、自分に合わせないでょ!」と何時も言っていたので彼の音楽で十分でした。それであの卒業試験となったのです。自分としては『自分の持てる力を全て出せれば云い!』と思っていました。

>表現したいことは山ほどあるにもかかわらず,テクニックが不足していて表現しきれない。このもどかしさを感じる人はすごく多いんじゃないかな。
まさしく私の事です。ただ、イタリアではむしろテクニックを持っているよりはこちらの方が好まれます。何せテクニックはイタリア人にとって学ぶ事の出来る事なのです。

HODGE様
YURI 投稿日:99年8月6日<金>23時37分
どうもです。暑いよー!
今日はHODGE、Joseさんが読む前にレスしておきます。

>HODGE
>指使いやメトロノームは単に指の運動
日本の先生方(全てとは言いません!)「指番号は楽譜に書いてある通り!」と私は云われました。これは、自分ではなっとく行きません。もし指番号を編集した人と自分の手が同じ幅だったら良いのですがもし違ったらどうします?とても自分にとって不自然な運指方になってしまいます。それでイタリアのピアノ教育では指番号を自分で書きなおすのは当然の事ですし、またそれのやり方を教えてもらうのも当然の事です。
私は日本のピアノ教育は現存していますから別に否定するつもりはありません。ただ自分にはなっとくが行かなかったと云うだけです。後は各自が自分に適合した教育方法で勉強していけば云い事ではないいでしょうか?別に完璧な勉強方法は存在しないのですから。

>つまり「子供」にものを教えるやり方をしているだけだと思います。
「指使いやメトロノーム」がそれにつながるとは思いません。
例えばメトロノームがどういう目的で練習に使われているかご存知ですか?自分も日本にいるときは「曲を一定の速さにする!」と思っていました。そしてメトロノームに支配されるのがとても嫌でした。ただイタリアに来てメトロノームは曲を一定の速さにするのではなく「自分の中に一定の速さを作る!」自分の曖昧な速度の感覚を確認する為に使う事が解りました。一曲(特に練習曲)の中で簡単なところは早くったり難しいところは遅くなったりと曖昧です。これは最終的には致命的な欠陥になります。また「御都合奏法」として他人は認識してしまいます。要するに自分の都合で速さを変えるのですから。それで自分の中の曖昧な部分を認識する為に使用するのです。
自分も最近は「メトロノーム過ぎる!」と言われる様になりました。やっとここまで来て初めてルバートが出来るようになるわけです。要するに全てがルバートのテンポで弾いていたらルバートと書いてあるところでルバートの奏法をしても何をしているのか解りませんよね。で要するに基準を作ってその上に色々な奏法を乗っけて行くのです。たとえて云うと「白い紙の上に白いインクで書いても読めませんよね!」それで紙を別の色にするか、インクを別の色かにするかによって何かを書いたと認識できるようにするわけですよね。それと同じ事を音楽と云う物でもやるわけです。

また、指使いはその曲をいかに自分にとって簡単に弾く為のノウハウですよね。この指使いのノウハウを習得していなければ難曲は更に難しくなります。習得していれば簡単になってきます。要するにノウハウがあればそれを使って弾いたほうが自分に対して余裕を持てるようになりますよね。その余裕を使って技術意外の部分(例えば表現)等をやれるようになって来るわけです。

この二つは一件子供じみているかもしれませんがとても大切な基本です。だって「基本を馬鹿にすると基本に泣く!」って云うではないですか!

難しい
ALEX 投稿日:99年8月6日<金>09時14分
みんなの意見にたくさん頷きながら,ぼくがうまく表現できないのがもどかしいです・・・
根気よくつきあってやってください。

>Joseさん
>>演奏するって専門家の為にあるのではなくて、聴衆の為にあるのではないのでしょうか。試験の為に、卒業
>>の為にって思う演奏なら、それは演奏者のその作曲家への思い入れはそこまでのものじゃないのかな。

演奏家は聴衆のために演奏するものだと思います。でも往々にして(特に音大では)「試験用に」あるいは「コンクール用に」という「点を取れる」演奏を狙う人が出て来ちゃうんですね。定期的に試験があって,それが毎回100点満点で採点され,順位まで発表されるというのはどう考えても健康的ではないですよね。ぼく自身がそうした空気にすごく反発していながら,気が付くとものすごく点数や順位にこだわっていたりして。
「この曲が弾きたい」とか「こんな風に弾きたい」というような欲求も,先生によっては必ずしも満足させてくれるわけではないですし(もちろん,なんでも叶えてくれる先生が良いかというとそれはそれで別の問題ですが),ふとしたきっかけで初心を忘れてしまうことは往々にしてよくあるわけです。そもそもそうした欲求すら持たない,とにかく卒業できればいいという学生もたくさんいますし,このあたりはその辺の大学生と変わりないと思います。
そうこうしているうちに大事なことに気づく人は気づくし,そのまま通り過ぎていく人もいるし,という状況かもしれませんね。
おそらくぼくなんかも気づききっていないんでしょう・・・

>>それでも試験においてはそんな事も言っていられないんだろうな。表現したい内容があろうがなかろうが弾
>>かなきゃいけないんだろうし。

そうなんです。しかも問題は内容がまったくなくっても,テクニックの優れたやつはそれっぽく聞こえてしまうということ。もちろん聴く人が聴いたらすぐにわかっちゃうけど,審査員が必ずしも「わかる人」ばかりじゃないから(^_^;) 本人も指が動くということで満足しちゃって,なにかを表現している気になってる場合も多いけど,これでは単なるアクロバットですからね。まあアクロバットはアクロバットでおもしろいけど,2回同じものを聴こうと思わないですものね。
もっとも不幸なのはその逆なのかもしれません。表現したいことは山ほどあるにもかかわらず,テクニックが不足していて表現しきれない。このもどかしさを感じる人はすごく多いんじゃないかな。
>>でも、ガイドラインてその作品を全く聞いた事も弾いた事もない人の為にこそ必要なのであって、専門の学校
>>にまで行ってどうして必要とされるのでしょう?

結局,和声法や楽式論,対位法についてもそうなのでしょうが,それまで感覚的に理解していたかもしれないことをきちんと定着させるために,アカデミックな学習をするという意図があるのかもしれません。自分では勉強して理解しているつもりだった事柄でも,改めて学んでみると目から鱗が落ちる,というようなこともありますから。それと,それまでそうした勉強を一切してこなかった人のためでもあるのでしょう(いるのです)。

誤解させて済みません!
YURI 投稿日:99年8月6日<金>05時40分
どうもです。

私の日本語の表現のなさとレスが遅くて色々と誤解を与えたみたいです。済みませんでした。

>HODGE
>バッハは自由
と云うのは例えば古いオペラなどでカデンツァだらけのものが有りますよね。ロッシーニ、ドニゼッティぐらいまでは残っていた演奏法です。あれって元来歌手に任せてありますよね。それと同じ感覚である程度まで(和声、フーガの用法は無視できない。)演奏者自身が自由にやれた訳です。ピアノにすればモーツァルトのピアノコンチェルトの第1、3楽章などには
カデンツァが付いていて実際に楽譜上には書いてありませんよね。こう云う同じでバッハの場合は曲全体がそう云うようになっているのです。トゥリッロ、〜(フニャフニャ、ALEX日本語でなんて言うんですか?)などの修飾音はいちようの判例はありますが最終的に演奏会になれば演奏者が独自に作り上げています。後は修飾音を書いてない所で使ったりもします。で、学校の試験の場合はその判例を使って演奏します。要するに10人の演奏者がいれば10通りのバッハが存在するわけです。

>チェンバロの模倣
例えばチェンバロはピアノより音が伸びませんよね。それでそれを真似した奏法をする為に16分連譜はスタッカートで演奏したりします。全てとは言いません、それはピアノで弾く時はたまにはレガートを使って弾く人もいます。因みに私の最初の先生(入試の為についた先生)はピアノもチェンバロも出来る人でそれでバッハのレッスンを受けたのですが、彼の言うには「チェンバロの模倣でもピアノの特徴を生かして弾きなさい!」としきりに言っていました。そう云う彼にバッハを弾かせると一度も楽譜通りに弾いた事はありませんでした。毎回違っていました。そう云う彼が「バッハは自由」と云ったのでした。

>バッハが「自由」なら「ガイドライン」自体も必要ない
確かに自由とは書きましたが全てが自由なら別にバッハと銘打たなくても良いわけですから「バッハの作品」にならないと思うのですが、最終的に演奏者=作曲者には成り得ないのですからバッハが書いたある程度の制限はあると思います。

>ピアノのバッハは不適切
この辺りは他の書き込みに書きましたのでそちらの方を参照してください。

>「OOに師事」
この位だったらまだまし。なんせ日本人音楽家の大仰はさはヨーロッパ中で嫌われています。コンクールの賞を嘘書いたり、年をごまかしたり、卒業学校をでっち上げたりで公文書は相当の検査を経てからでないと受け取ってくれません。私もHODGEの言っている事に同感です。「自分の経歴は自分の演奏だ!」と思っています。それで誰に指示しようが下手な奴は下手だと思うし。ただ日本的習慣から行くと「OOに師事」がまかり通ってしまうわけです。単なる特権主義の変形だと思います。

>「バロックでもロマン派でも本当に曲を好きで理解していれば演奏法って自ずと決まってくるものじゃないんでしょうか」
別に挑戦する気はありませんが、もし出来るんだったらやってみてください。本当に之が出来るのだったら指導者は必要ないと思います。

では、この辺で。

ALEX頑張ってねぇ!
YURI 投稿日:99年8月6日<金>05時37分
>ALEX
ドイツ留学されていたのですか。凄いですね。自分は去年の12月ミュンヘンに行って来ました。とても静かでいて都市の機能がしっかりとしていました。もちろん友達(ノンケだけどGayに追いかけられる。)がお昼は普通の喫茶店、夜はGayのハッテン場になるような所に云ってきました。で、隣はサウナでその気の人達が入っていっていました。昼に行ったのですが、多分誰かを待っているのでしょうとっても可愛い(と云うより美しい)男の子が一人で座っていました。で、とても楽しい2日間でした。

>来年の9月にオペラシティ
凄いですねぇ!頑張ってくださいねぇ!

>家元制度
知らなかった!そうだったんですか。自分は日本人の先生は特権主義に走っていて嫌だな〜と思っていました。

>「日本的な」先生
自分は幸い解らない事は『解らない!』としか思わない人間なんで無理やり埋めませんでした。それでその部分を穴が空いたまま(スポンジのような状態)でイタリアに来ました。最初は友達の歌の先生の所で伴奏をしたら、なんか先生が「自分の思う通りに弾いて良いのよ!」と云ったような気がしました。もちろんその頃はイタリア語は理解できませんでした。それからはとんとん拍子でピアノの先生を紹介してもらってピアノを習い始めました。そしたら新しい事の連続、少々戸惑いましたが今では先生を虐められるように成りました。一番戸惑ったのが最初にツェルニーの30番をやったのですがその時先生から「もし音が維持できなかったらペダルを使って良いんだよ!禁止では無いから!」と云われこの事は新しい事でした。もちろんこう云う事は日本では云われなかったので。それと運指方を先生がやってくれたのにもビックリしました。後、何時も『左端のペダルは何の為に付いているんだろう!必要なければ付けなければいいのに!』と思っていましたが、これもレッスンの進んでいくうちに使用目的が解りやはり必要なものだと解りました。とにかく何もかもが新しかった!イタリアでのピアノの教育は生徒の不安、迷いを取り除くところから始まるのでこう云う事が現存して居るのは最近解りました。

チェンバロの模倣
YURI 投稿日:99年8月6日<金>05時35分
どうもです。暑いよー!

>HODGE
>チェンバロを「模倣」するくらいなら、いっそのことチェンバロでバッハを弾いたほうが合理的だと思ってしまいます。

貴方のおっしゃる通り!自分も日本でピアノを習っていた(高校)時、私は先生に直接この事を云った事があります。当然回答はありませんでした。で、日本では「何でこんな無駄な事をするんだろう!」と思っていました。自分の場合はバッハが弾きたくなくて言ったのです。その疑問がイタリアに来て初めてその目的、意味が解りました。その目的を書きます。

1.音楽之創始者と云うバッハの現代につながる起源を勉強する。
2.バッハの曲は運指方がとても難しく、不自然なものが多いので、それを習得する。

という、目的があります。
1番は説明する事も無く解っていただけると思います。
2番は自分で弾いていてもとっても不自然な指番号が多く大変です。例えば「5124」、「5454」、「1111」とか普段、弾いている曲では見た事も無いものが現れます。そう云う物を習得する目的があります。イタリアの先生達が「バッハはとても手に良いから!」と言います。それも同じ意味を持っているのです。

もちろんチェンバロの「模倣」と入っても当然の事ながらピアノで弾くわけですからピアノの機能を生かした奏法になります。

ピアノの位置付け
ピアノのと云うものはピアノを習った事の無い人でも音は出せます。ほかの楽器はそれ自体が難しいのです。それで簡単に演奏でき和声を奏でる事の出来る楽器として位置付けられています。で、他の楽器を勉強している人も必ずピアノは勉強しなければなりません。要するに一つの楽器でメロディーと伴奏が存在して誰にでも簡単に演奏できる為です。単独の楽器はピアノを弾く事によって調和、バランスを勉強するのです。そのくらい大切な楽器なのです。
自分の通っている音楽院ではオルガン科は12年(飛び級有り)あります。僕の友達が言っていたのはそのうちの6年はピアノの勉強だそうです。

インザギ兄弟
YURI 投稿日:99年8月6日<金>05時32分
どうもです。

インザギ兄の静止画のURLです。

http://209.10.21.131/en/news_feat/show_article/0,2374,936,00.html

http://209.10.21.131/it/home/1,2474,,00.html
http://209.10.21.131/it/news_feat/show_article/0,2484,2644,00.html

>詳しいこと知ってる?
今、イタリアサッカー会で一番の成長株です。生まれはピアツェンツァと云う町で生まれました。今のところ詳しいプロフィールは解りません。HPを探しています。で、兄の方は有名なユベントス(トリノ)で活躍しています。弟は昨シーズンまでピアツェンツァに居たのですが今年は移籍しています。弟の方は移籍して間もないので探せませんでした。8月下旬からシーズンが始まりますのでその時にでもURLを書き込みます。

では、この辺で。

それはいえてるかも
Jose 投稿日:99年8月6日<金>01時54分
どうもこんばんは。

>HODGE
そうですね、オイラも少しならず納得いってないです。
といっても専門的に勉強した事ないから適当な事しか言えないけど。
他の皆さんがおっしゃるように専門教育においてはガイドラインが必要とされるみたいですね、本当に不思議です。
でも、ガイドラインてその作品を全く聞いた事も弾いた事もない人の為にこそ必要なのであって、専門の学校にまで行ってどうして必要とされるのでしょう?

演奏するって専門家の為にあるのではなくて、聴衆の為にあるのではないのでしょうか。試験の為に、卒業の為にって思う演奏なら、それは演奏者のその作曲家への思い入れはそこまでのものじゃないのかな。
(すいません、凄く生意気ですよね)
例えばグレン・グールドの演奏にしても、あの人の演奏をどんなに気に入っていてもその演奏法を使う事と自分の表現は別物という気がするのです。演奏者自身が作品を表現しようとする時には、模倣している限りは演奏者として失格だと思うのです。自分の中に表現したいというものがないという顕れでしょう。
それでも試験においてはそんな事も言っていられないんだろうな。表現したい内容があろうがなかろうが弾かなきゃいけないんだろうし。

すみませんでした、生意気ばかり言って。皆さん大変なのですね。
それではまた。

AGAINST INTERPRETATION
HODGE 投稿日:99年8月6日<金>01時22分
こんにちは
>YURI
今日サッカーの雑誌の表紙ですごいハンサムを発見。インザーキ兄弟っていうイタリアのサッカー選手らしいけれど、詳しいこと知ってる?
バッハの解釈については、僕も最初、オリジナル楽器の流行みたいな「トレンド」奏法をを「マーケット」に出すことと思っていましたが、ちょっとフェーズが違うみたいですね。
僕はYURIが言う「バッハは自由」ということと「チェンバロの模倣」ということは、同一レベルの「ガイドライン項目」にあることが不思議に感じられます。
それどころかバッハが「自由」なら「ガイドライン」自体も必要ないと思えます。
「ピアノがチェンバロを模倣」することが可能なのに、通常「チェンバロはピアノを模倣」するはその文句自体なじみのあるいいかたではありませんよね。
これっていうのは「ピアノの表現力の優勢」を示すばかりではなく「ピアノのバッハは不適切」っていうニュアンスは感じませんか?
それにチェンバロを模倣しなければならないのでしてら、単純に考えても自由ではないですよね。
日本の先生が「自由」ではなく「してはいけない」というのは「チェンバロを模倣する」ことを目的としているからそういうのであって、指使いやメトロノームは単に指の運動を「目的」としているだけだからじゃないですか。つまり「子供」にものを教えるやり方をしているだけだと思います。
あと、不思議に思うのは「その程度」のことした教わらないのによく「OOに師事」したとか略歴に書いてあるのはどうしてなんでしょう。それぐらいだったら、代々木ゼミナールのOO先生に数学を「師事」したとか駿台予備校にXX講師に英文法を「師事」したと同じレベルじゃない。
それに僕はそんなあったこともない先生(たとえドイツだろうがフランスに留学していたって、日本人だったら、ギリシア語でホーマーやアリストテレスを理解するヨーロッパ知識人と比べてどれほど優れているのでしょう)にちょっと教わったことなんかよりも、客観的なデータ(例えばゴドフスキーの練習曲をすべてイン・テンポで弾ける、とかショパンのある練習曲を1分で弾ける)といったほうがずっと明瞭で情報としての価値があると思います。
結局、「野蛮で無教養」な子供を「躾る」教育と「すでに個性の持った教養ある学生」のチュートリアルは比較にならないのでは、と思います。

あと思いついたけど、バッハとロマン派のフレージングが違うというのは、常識的に考えれば、人に教わらなくてもわからない? シェークスピアとジョージ・エリオットの違いのように、作者の生きている時代、社会システム、それどころか言語でさえ異なっているのだから、「解釈」違って当然。ただ、それが機械的なフレージングの差で解決できるのでしょうか?
>因みに自分の「解釈」は「その作曲家の曲の特徴を最低限感じさせる事の出来る方法」って言ってるけど、だったらショパンとシューマンの「違い」、あるいはメシアンとブーレーズの「差異」はどういったフレージングで「解決」するのか、知りたいですね。僕はJose さんがいう「バロックでもロマン派でも本当に曲を好きで理解していれば演奏法って自ずと決まってくるものじゃないんでしょうか」に全面的に賛成します。

「じゃ、こうもいえるね。『ねむりながら息してる』ってのと『息しながらねむっている』ってのもおんなじね」ネムリネズミも口だししたけど、半分ねごとみたいでね。
BY ルイス・キャロル「不思議の国のアリス」

日本の先生
ALEX 投稿日:99年8月5日<木>12時00分
うわっ,「文字数が多すぎます」と言われて焦ってたら,ハンドルとメールアドレス,タイトルがごちゃごちゃになってる(^_^;)

>YURI
確かに日本は家元制度のよくない面を西洋音楽の世界でも引き継いじゃってるような部分がありますよね。
ぼく自身は高校生くらいから習っている先生は厳しいことで有名な人でしたが,教えてくださる内容は厳格ながら,ぼくにとっては結構驚かされたことが多かったです。
たとえば,バッハを「厳格に,自由に」(しかもけっして矛盾しない)と言ってくれたのも,指は丸めなくてもいい,と言ってくれたのもこの先生です。卒業演奏会の時も舞台袖で「もうここまできたら好きなように弾きなさい」と励ましてくれて感激しました。
時々,自分の芸高・芸大時代や,ドイツ留学時代のお話も伺ったのですが,先生は軽く話されつつ,ぼくたちは自分たちが教えてもらっていることが,先生はそれぞれの局面で必死になって勝ち取ってきたものなのだということを感じさせられました。それらを惜しげもなく与えてくれることにも感謝しなくてはいけませんね。それにしてもこの先生は怖かったです(^_^;)
現在の先生は,いわゆる「安川系」の先生で,またいろんなことが驚きの連続なのですが(先日の「指圧」のこととか),現役のピアニストであり,現代音楽を積極的に取り上げ,作曲家との交流も広いというのは,ぼくにとってとてもありがたいことです。
(あ,10月からようやくですが,20世紀音楽のレッスンを受けられることになりました。うまくいくと来年の9月にオペラシティで弾けます)
二人に共通しているのは,説明の方法を心得ている,ということでしょうか。言葉とピアノ(場合によっては音を出さなくても鍵盤に手を置くだけでも)で理解させてくれるのはやはりすごいことですよね。
そうした意味ではぼくはいわゆる「日本的な」先生に習っていなくて,友だちからの又聞きだったりするのですが,実際こんなこともあったそうです。
「君のピアノにはもっと思索的な音が必要だね」と言う先生に「それでは思索的な音とはどのような音なのですか?」と質問したら,いきなり平手打ちを食らわされた,とか・・・

あ,メール待ってます。このアドレスは匿名バージョンなので,返信時にちゃんとしたメインのアドレスをお送りします。

ALEX
再びバッハ 投稿日:99年8月5日<木>11時58分
>HODGEくん
>>こんな時間でした>って遅刻?

今は夏休みなので朝寝はOKなのです(^o^) でもさすがに昼まで寝ていてはいけないなぁ。
演奏会でぼくが一番楽しいのはプログラムを組むときなんです。調性や曲の性格なんかをいろいろ考えて,「をぉっ,この曲とこの曲の組み合わせは意外でよいぞ!こんなの誰も思いつくまい」などと自画自賛しています(^_^;) パズルみたいなものなのですが,喫茶店なんかでやってたらやっぱり変ですね(^_^;)

>>僕はどうしてもチェンバロを「模倣」するくらいなら、
>>いっそのことチェンバロでバッハを弾いたほうが合理的だと思ってしまいます。

確かに昨今のオリジナル楽器ブームもそうした動きから出ているのかもしれません。
ピアノでバッハを弾くときにチェンバロを模倣するといっても,チェンバロ的な部分を考慮する,ということであって,結局はピアノならではの表現力や音色を生かして演奏するわけです。
ただ,バッハ自身が現代のピアノの音色というものは想像していなかったでしょうし(これを言ってしまえばショパンやリストもうなってしまうわけでしょうけど),あの時代の音楽の求めていたものというか美意識は後世のものとは違っていたということを考えてみると,やはりベートーヴェンやショパンを弾くときとは違ってくると思うんですよね。「チェンバロの模倣」を「時代性の考慮」という風に考えてみればいいのかもしれませんね。


>Joseさん
>>バロックでもロマン派でも本当に曲を好きで理解していれば
>>演奏法って自ずと決まってくるものじゃないんでしょうかね。

確かにその通りだと思います。ただ,YURIの書いているような「ガイドライン」,あるいは「共通理解」の必要はあるし,逆にこうした「お約束」を意図的に破壊してみるというようなこともあると思うんですね。そういったことも含めて,演奏者の思いをいかにして聴衆に伝えるか,ということですね。
そうした意味では「プレゼンテーション」の効率的な方法,といったニュアンスも含まれるかもしれません。

ごめんねぇ!
YURI 投稿日:99年8月5日<木>06時57分
>Joseさん
こんな事を書いて済みません。m(__)m

>本当に曲を好きで理解していれば演奏法って自ずと決まってくるもの
たしかにそうなんですが、人間の耳で感じる事は曖昧です。自分でも「これで良いジャン!」と思っていても他人(先生、観客)が聞いた時の印象は変わってきます。自分の演奏は自分の内部から聞いたもので、他人の演奏は自分の外部から着たものになり、自分の演奏は必ずしも自分の思っている事と同じ評価がされるとは限りません。それでその曖昧さを無くす為にいちようのガイドラインとして「演奏法」なるものが存在しているのです。

>演奏法
自分は歌科出なので演奏法に付いては日本では学んだ事在りません。また、説明された事も在りません。ただ、ピアノ科の友達に聞いたら「あるよ!」との事でしたのでピアノ科を出ていらっしゃるALEXさんは多分学んでいらしゃると思います。
で、去年の先生は「ロシアも演奏法は勉強しない!」と言っていました。また、日本でも田舎に行くとまだ、知らない先生方がいらっしゃる事を知っています。

では、この辺で。

今日のレッスンは大失敗
YURI 投稿日:99年8月5日<木>06時55分
どうもです。

なんか凄い書き込みですね。「バッハの奏法」でこれだけの書き込みをして頂いてありがとう御座いました。

今日のレッスンは大失敗、もう一度やり直しです。「全体を見すぎ!通して弾きすぎ!もっと一つ一つのフレーズ毎を細かく練習して!」と云われました。やった曲はスクリャービンの練習曲とドビュッシーの「ベルガマスク組曲」のメヌエットとパスピエ、ショッパンのスケルツォ第1番とバッハの「平均律第一巻」の第16番のフーガでした。バッハは上手く行ったのですが他のものは解らなかった事の質問だったので細かいミスが目立ち、ああ云うように言われてしまいました。さて明日から練習方法を変えてやります。でも、悲しい(;_;)

>HODGE
>バッハの解釈の違い
今から書く事はもしかすると自分の先生だけかもしれないです。もし、他のやり方をしている先生をご存知の方は書き込んでください。
と云うのは日本の先生は「…をしてはいけない!」と云うのです。例えばバッハの奏法の1番に書いた「バッハは自由」と云うのが日本ではバッハは束縛されたものとして解釈されています。速度、運指方などがそれに当たります。
速度などは演奏者毎に違うわけですから幾つ物方法が在って良いわけですが、メトロノームを持ってきて「合わせて弾きなさい!」と言われてしまいます。さてこの時点でなぜそうしなければいけないかの説明が無いので生徒は訳も解らず云われた通りにやるわけです。何故それが必要なのかが解ればそれに向かって生徒自身が考えると思いますが、日本では一度もその目的を明確に出来た先生を見た事がありません。
また、運指方は手の大きさによって変わって当たり前なのですが、「本に書いてある通り!」とおっしゃる自分の会った先生は殆どでした。
で、イタリア勉強し始めてからこの2点が自分にとって晴天の霹靂でした。最初は戸惑いました。だって行なりレッスンに曲を持って行くと一度弾いたら先生が「チョット変わって!」といきなり自分の替わりにピアノに座って指番号を書き始めました。それまで体験した事無かった事だったので戸惑いました。それでよく見ているとこちらで先生と云うのは最低生徒の手に合わせて指番号を書き直せるのが条件みたいです。たしかに運指方の試験があります。で、先生達は「…版だったら…が運指したんでしょ!?」と運指をした人の事をよく知っています。

>僕は「解釈」って、ただの時代のトレンドや「マーケティング」戦略
済みません。例えばどういう事ですか?自分はこれだけでは解りません。別に否定しているのではなくて僕自身がHODGEにとっての「解釈」をどういうように位置付けしているかが解りません。
因みに自分の「解釈」は「その作曲家の曲の特徴を最低限感じさせる事の出来る方法」だと思っています。

>チェンバロよりピアノで弾いたほうが
そうですねぇ。自分もそう思います。チェンバロだとなかなか表現し辛い面も沢山あります。ですがバロックの時代はそれを修飾音を巧みに使って表現をしていたみたいです。それで、修飾音は各演奏家に任せたりしてあるのです。
自分は去年の先生(今日行った先生)から「オルガンで弾いてみたら!」と云われたのでオルガンで弾いた事が在ります。継続音がよく解りますよ。何せオルガンは一度指が離れると音が無くなりますからねぇ。

僕も苦手だったんです!
YURI 投稿日:99年8月5日<木>06時53分
>ALEX
>ぼくはバッハを弾くのが大の苦手で
自分も去年まではそうでした。で、最低限の事が解った今はバッハに関しては怖いものなしです。少なくともその規則に乗っかって練習すればバッハらしくは聞こえるのですからねぇ。もしよければ練習方法を書きましょうか?それともメールにしましょうか?ただ、自分で感じた事しか書けませんが!

>バッハの楽譜は何を使われているんですか?
自分はベーレンライターの原典版とリコルディー版を使っています。原典版にリコルディー版の運指方を参考に自分の指番号を作っています。その他の版は図書館から借りています。また、リコルディー版は細かく書いてあって初心者(自分)向きだと思います。ショパンの練習曲などは分散和音の練習の仕方から書いてあります。因みにリコルディーはオペラの楽譜では有名な出版社なのですがイタリアでは色々な種類の楽譜、CDなども出しています。日本の全音出版者と同じような会社です。

暑ーい!
YURI 投稿日:99年8月5日<木>06時50分
どうもです。

そっちも暑いですか!こちらも暑いです。

>ALEX
>ドサ回り
いいじゃないですか!人の前で弾ける機械と実力を持っていらしゃるのですから!自分なんてまだまだ!でも、頑張ってくださいねぇ!
イタリアでも同じような事があります。と云ってもいちようサロンですが、でもピアノの状況は同じような物が有ります。ストッパーが下がらずにズーット音が鳴りっぱなしだったりと色々とこちらでも条件の良いのは劇場だけです。でも、それだけイタリア人が音楽を当たり前のように楽しんでいると云う事になります。後、自分は行った事無いのですが、面白いのは刑務所と云うのもありますよ。

>マセたガキだった
自分もそうでした。本格的にピアノを習い始めたのが9歳の時からです。10歳の時、先生から「音大生の卒業演奏会を見に来なさい!」と云われた(子供ながら「勉強する前に他人の演奏を聞くな!」と言う彼女の理論に矛盾を感じていた!)のが運の尽きショッパンの「スケルツォの第2番」を弾きたくなり楽譜を買って練習をはじめました。当然の事ながらレッスンでは「まだ、早い!」と取り合ってくれません、それで自力で勉強しました。当然の事ながら難しい部分は弾けませんでした。でも8割がた出来ました。その後、彼女は「自分の言う事を聞かないなら他の先生に付きなさい!」と喧嘩をして終りました。そのくらい自分は頑固なのです。その後、高校の時グリーグのピアノコンチェルト、ショッパンの「ソナタ第3番」と色々手を出しましたが結局の所、全部は弾けずに終りました。
現在、マセた事をしていたので今では譜読みは楽です。こちらのレッスンでは好きな曲、知っている曲と云うのを重視してやりますから、あの時先生に隠れてやった事がとても役立っています。

>運動生理学
自分の練習は終始、筋肉の使い方を気を付けています。レッスンでは「この音形の時、この手のポジションで良いのですか?」とか「この手首の使い方で良いのですか?」、「この場合は腕の何処の筋肉を使うのですか?」と言って困らせています。運動は最終的には筋肉の使い方ですからね。最近はf(フォルテ)、p(ピアノ)、pp(ピアニッシモ)で使う筋肉がわかりました。要するにその強弱記号が出てきたら同じようにそれにあった筋肉を使えば済むわけですから、機械的に済むようになり始めました。無論、その後それを習慣付けるのはとても時間がかかる話しですが、まずはここまでの理論は確立してきています。自分の考えは「体系の差を越えて普遍的な共通部分がある!」と思っています。要するに誰がやっても同じようになるところを探して理論立ています。

では、この辺で。

作曲家の代理人
HODGE 投稿日:99年8月5日<木>04時33分
眠れない夜は(というより目がさえてしまった)、アシュケナージのショパンのノクターンを聴いてビール片手にネットですね。

解釈やそれにともなう技術的な問題って、それは音楽を聴くためにどれほどの「基礎知識」になるのでしょう。そもそもバッハをショパンと区別する「教養」はパワーポイントでプレゼンできる程度のものなのか、それとも文化人類学者のようにフィールドワークとバチカンの「禁書目録」をすべてチャックするような、途方もない労力が必要とされるのでしょか。
スーザン・ソンタグの言うように、文化人類学者が「英雄的」なのは「未開」の冷たい社会の喪失を嘆くだけでなく、その「監視人」でもあって、「古代的」なものと「擬古代的」なものを区別しようと格闘しながら、複雑な「現代」のペシミズムを「実演」するからなのでしょう。

僕はどうしてもチェンバロを「模倣」するくらいなら、いっそのことチェンバロでバッハを弾いたほうが合理的だと思ってしまいます。
音楽は(大雑把な意見ですが)内容が伝われば、それでいいのではないかと思います。つまり漢文をレ点を付けて読んで「解釈」するより、「翻訳」で内容がわかれば、いとつのコミュニケーションは完了したのでは、と思います。
要はスーザン・ソンタグの「反解釈」でも読んでいただけるとありがたいですね。
僕は「バロック」「印象派」は美術用語から、「ロマン」は文学運動と関係があると習ったような気がしますが、実際は違うのでしょうか?

事実などというものはない、あるのは解釈だけた
BY ニーチェ

あ,
ALEX 投稿日:99年8月5日<木>03時50分
下の「ブエノスアイレスの四季」はピアノトリオ版,五重奏版ともに合本ではなく,単品売りです。
トリオはそれぞれ4000〜5000円くらい,五重奏は7000円くらいだったと思います。パート譜も付いています。

ピアソラの楽譜
ALEX 投稿日:99年8月5日<木>03時44分
ピアソラの楽譜は主にドイツのTONOSという出版社から出版されています。
「天使の死」はピアノ楽譜(ただし,そのまま演奏するのはちょっと・・・)が出ています。「天使のミロンガ」「天使の復活」とともに「Angel」というタイトルでまとめられています。銀座のヤマハでつい先日まで特集が組まれていましたからまだ在庫があるんじゃないかと思いますよ。アカデミアにも結構そろってます。

今わかる範囲ではTONOSから以下の楽譜がカタログに載っています。●は所有しています。
 ●レのミロンガ(vn. or vc.& pf.)
 オブリビヨン(ob. & pf.)
 ●タンティ・アンニ・プリマ(ob. & pf.)
 ●ジャンヌとポール/エル・ペヌルティモ/言葉のないミロンガ(vn.&pf.)
 ●ブエノスアイレスの四季(ピアノ・トリオ)
 ●オブリビヨン(ピアノ・トリオ)
 ●革命家(ピアノ・トリオ)
 タンゴ・バレエ(弦楽四重奏)
 バレエ・タンゴ(4台のアコーディオン)←Tango Balletと同じ曲かもしれません
五重奏(pf.vn.bn.gt.cb.)のものは
 ●コントラバヒシモ
 ●エル・タンゴ(語りが必要)
 ●ブエノスアイレスの四季
 ●ミケランジェロ70
 ●天使のミロンガ
 天使の復活
 ●タンゲディア
 ●タンガータ
 フガータ
 ソレダード
が出ています。
ピアノの楽譜(これらはソロでそのまま弾くのは不可能なことが多い)としては,まず曲集が先の「ANGEL」以外に
 ●ESTACIONES(ブエノスアイレスの四季)
 ●REVOLUCIONARIO(革命家/コラール/キチョ/フーガ9/コルドバに捧ぐ/マル・デル・プラタ70
 6 TANGOS(Meditango/Undertango/Violentango/Amelitango/Novitango/Tristango)
 TODO BUENOS AIRES(トード・ブエノスアイレス/ムーファ/ルンファルド/悪魔のタンゴ/悪魔のロマンス)
ピースとしては
 バイレス72
 セ・ラムール
 ●ミケランジェロ70
 あるヒッピーへの頌歌
 オンダ・ヌエベ
 ●プレリュード"1953"
 アルフレッド・ゴビの肖像
 ●ピアノソナタ第1番,op.7
 ●ピアノのための組曲
 ●ピアノのための組曲第2番
 最後のタンゴ
 AA印の悲しみ
 ●バルシシモ
 悪魔をやっつけろ
 ●ズム
 ●ピアノのための4つの小品,op.3
「3つのプレリュード」はアンリ・ルモワーヌ社から出版されています。
ほかの出版社からもいくつか出版されているようですし,歌ものなどはかなり多数見たことはあります。ただし,楽譜は伴奏譜のみで,歌詞のどの部分がどの音符に相当するのかがよくわからないというのが・・・

バッハ
ALEX 投稿日:99年8月5日<木>03時10分
とても勉強になりました。ひとつひとつ,ふむふむと頷きながら読んでしまいます。続きもぜひ聞かせてください!
バッハの作品での即興性はとても重要ですよね。「バロック」という言葉の意味を考えても,その自由さを伺うことができますよね。そういう意味では常にオリジナリティとファンタジーを感じさせてくれるグールドは偉大だなあと感じます。
ぼくは学生時代に少しだけですが,チェンバロのレッスンを受けていたのですが,そのときに装飾音やフレーズ処理などについていろいろ助言してもらうことができました。チェンバロと現在のピアノとでは発音機構も奏法も違いますが,チェンバロを弾いてみることで,ピアノの演奏についてもいろいろ考えさせられることが多くありました。
たとえば,チェンバロはピアノほどには音量や音色の幅がないので(2弾鍵盤のものならドッペルにして音量を増すということもできますが,やはりピアノのように自在に,というわけにはなかなかいきませんよね)装飾音,特にプラルトリラーがアクセントのように使用されることがあった,ということや,同様にテーマの出現を印象づけるためにピアノでは冒頭の音をやや強めに弾いたり音色を変化させてみたりするところを,アゴーギグの微妙な調整で表現したりとか。そもそも鍵盤を押さえるときの指の力の込め具合もちょっと違いますよね。
もちろんそのままピアノで実践するわけにはいかないのですが,そうしたことをある程度理解しておくとずいぶん違ったように思えます。
フィンガリングも(とくにぼくのような大雑把な人間には)決めてかからないと後々大変なことになりますよね。ぼくもバッハだからといってペダルを使わない,ということはしないのですが,やっぱりロマン派の作品のようには使えないわけですから,「指でつなぐ」ように考えておかないといけないし,普通の指使いでは片手で2声弾けなかったりもしますものね。
とはいえ,ぼくはバッハを弾くのが大の苦手で,演奏会で弾いたのも8年くらい前に「平均律」から2曲弾いたのが唯一の体験というとんでもないやつです(^_^;)
普段から弾いていないとポリフォニーは怖いですから,ますますの悪循環なのは承知してるんですけどね・・・
バッハの楽譜は何を使われているんですか?ぼくはヘンレ版を中心にベーレンライターや適宜いろいろ(立ち読みを含めて)読んでみてるんですが,ほかの作曲家以上に校訂者の個性が感じられておもしろいですね。原典版でも編集した人の意図などで雰囲気は変わってきますし,もちろん編集された時期によってもちょっとずつ違ってくるようですしね。解釈版でもブゾーニやバルトークの校訂も興味深いですが,カタログにはフォーレとロンの校訂による平均律(デュラン社)やカゼッラ校訂のイギリス・フランスなんかもあって,実際に使うかどうかは別としても機会があったら見てみたいなと思わされます。

なんか、すごいっすね
Jose 投稿日:99年8月5日<木>01時57分
>みなさん
よくわかりませんが、バロックでもロマン派でも本当に曲を好きで理解していれば
演奏法って自ずと決まってくるものじゃないんでしょうかね。
作曲家によって違うものだとも思うのですが。それにバッハの解釈も別に目新しい
ものではない気が・・・
すいません、生意気なことを言って。日本では解釈が違うってのはよくわかりませ
ん。日本ではどういう解釈がされているのですか?

ピアソラは好きです。
パリのユニヴェルセルで楽譜が手に入るようですが、5重奏曲でもいいので楽譜が
あるか知りたいと思ってます。
曲名は「La Muerte del Angel」なのですが、ご存じの方はいますか?

本質直感
HODGE 投稿日:99年8月5日<木>01時44分
こんにちは
ジム(ティップじゃなくて、Nチラス)のインストラクターに講義してもらおうかな>運動生理学
でも冗談じゃなくて、楽器を弾くために、練習曲や教則本以外に、実用的なマニュアルがあったらいいですね。今だったらCD−ROMやオンラインヘルプのようにインタラクティブなメディアもあるし、診断テストなんかあったら、自分の弱点がグラフで表示されたりして、かなり合理的じゃない。
僕の持っている英語の教材CD−ROMは、「日本人」の苦手な「R」と「L」の発音を徹底して訓練するプログラムがついているけど、同じように「ショパン」と
「バッハ」のフレージング矯正プログラムがあれば、僕ももう少しピアノがうまくなるんだけどな。

>ALEX
こんな時間でした>って遅刻?
プレイヤーとして活躍しているんですね。かっこいい!
「コンセプト」プログラム(アルバム)って、そそりますね。ポリーニなんかも結構やっていますよね(あと、アバドのジルベルスターコンサートとか)。そういうのって、成功した場合「やるなあ」と思わず膝を打ったりしてしまいます。
「子象ババールの物語」、ナレーションをジャンヌ・モローやアラン・ドロンが引き受けてくれたらいいですね。

>YURI
調律が済んで良かったですね。これでバリバリ、フラームスが弾けますね。
僕はバッハはチェンバロよりピアノで弾いたほうが断然好きです。
グールドはもちろん、アシュケナージ(コンチェルトだけ)やアルゲリッチ、シフ、ピリス、ペライア、リッパッティ、ニコライエワとか。
僕は音楽を勉強したことがないのでわからないのですが、日本人とイタリア人の「解釈の違い」ってどう違うの。
僕は「解釈」って、ただの時代のトレンドや「マーケティング」戦略のように、どうしても感じてしまいますが。

ミヤスコフスキーのチェロソナタを聴いたのですが、これがとってもよかった。
デュプレにも弾いてほしかったです。


自然は芸術を模倣する
BY オスカー・ワイルド

バッハの奏法
YURI 投稿日:99年8月4日<水>14時28分
どうもです。
さて、今日は久しぶりのレッスン、先生が可愛いい(ちょっと気が強いが)人なのでチョットうきうきしています。この様子も明日(日本時間)書き込む予定にしています。それでチョット書き込みが溜まっているのでそれから吐き出します。
レスは次にさせて下さい。>ALEX

>バッハの奏法
ロマン派のフレージングとは全く違うので一緒にできません。前々回の書き込みの時も書きましたが、チェンバロの奏法を模倣しなければ成りません。その奏法で必要なテクニックなどが出てきます。また、日本とイタリア(ヨーロッパ?)ではバッハの解釈の仕方も全く違います。自分で経験した事を書きます。

  1.バッハは基本的には自由。
  2.チェンバロの模倣。
  3.必要に応じてペダルと使う。
  4.運指方を明確に。
  5.修飾音符は自分で決める。

と云うのが大体です。
1番はバッハの時代背景的に即興が流行った時期なので各自の音楽性を生かした奏法で弾く事です。
2番はチェンバロ事態は弾いた時に音がピアノほど伸びる事が無い為にバッハの曲事態に頻繁にスタッカートを使う方が効果的に弾ける。
3番はピアノの特徴を生かしたバッハの奏法で無論左右のペダルとも使います。
4番は同じメロディー無いで右左の手で交代に弾く所が出てくるためそれを明確にする為にある程度の運指方を事前に決めて書き込む。
5番は運指方と同じでなれないときは事前に決めておいた方が弾いている時に迷わない。それと同じ旋律、修飾音は一つの曲の中では全て同じ物を使う。
ざっと書いただけでこれだけ有ります。バッハに付いては大体2つの別の編集の楽譜を見比べて運指方やフレージングの基本を考えます。細かく書くともっと有りますので今回はこれだけでご勘弁を〜。

では、この辺で。

ぐっすりと・・・昼(-_-;)
ALEX 投稿日:99年8月4日<水>12時11分
目覚めるとこんな時間でした(^_^;)

>YURI
ドサ回りってぼくの場合は本当にドサ回りなんですよ(^_^;) しかも自分で運転して山奥の公民館とか,中学校の体育館とか・・・
昔行ったところのなかにはピアノの蓋を開けたら蝶番が壊れてて蓋がずり落ちたとか,真ん中のhの音が鳴らないピアノだった(しかも「子供の情景」を弾くことになってた)とか,想像を絶する事態が続発します。昨日はそんなすごい場所ではなかったですが,ピアノはアップライトでした。
今回はバッハの「シチリアーノ」とかからラヴェルの「ハバネラ形式の小品」あたりの小品集中心で,最後にボルヌの「カルメン幻想曲」で華やかにという流れでした。で,その合間になぜかぼくがピアソラやショパンを弾くというわけの分からないプログラムでしたが(一応コンセプトは「舞曲」というものだったんです)MCを長めに入れたのがよかったのかマニアックなプログラムも静かに聴いてくれました。このシリーズ,今月中にまだ数回予定されています。って,次回は明後日だ(^_^;)
この冬にはまた別の企画があって,プーランクの「子象ババールの物語」をやりたいなあと思ってるんですが,ナレーターがなかなか見つからないんですよね。

>リスト
結局リストを集中的に弾いたのはその時期だけなのですが,おそらく先生はメカニックな部分の特訓のために与えていたのでしょうね。マセたガキだったぼくは好きな曲を弾くとすぐに軟体動物化していたようで(^_^;),そんな暇を与えない曲も必要だったのかもしれませんです。でも爽快とは思っても実際にはやっぱり難しくて苦しいわけで,今でもあんまり好きじゃないです。結局当時のぼくは先生まかせで,ただただ与えられたものを弾いていくだけの生活だったのがよくなかったんでしょうね。

>ビレット
ぼくの好きなピアニストでもある田尻洋一さんがビレットの弟子だそうです。ビレットもものすごいレパートリーの広さに圧倒されてしまいますが,田尻さんも毎回おそろしいようなプログラム(本人曰く「薄利多売」)で驚かせてくれています。たとえば2ヶ月半くらいの間に3回の演奏会でブラームスのピアノ曲全曲(51練習曲は含まれてなかったです)とか,一晩でショパンの24の練習曲と24のプレリュードとか。

>ティボーデ
彼がデンオンに録音していたのは日本国際コンクールで優勝したあとくらいの若い時期ですね。ぼくのあの時期の「クープランの墓」の録音好きです。残念ながら録音はなくて,ぼく自身も聴いたことがないのですが,コンクールでの課題曲,三善晃の「アン・ヴェール」は作曲者も絶賛の名演だったそうです。「アン・ヴェール」は大好きな曲なので機会があったら三善ソナタ(デュティユのソナタとそっくりですが)とともに録音して欲しいなあと思ったりしています。無理かな。

>運動生理学
最近レッスンで個々の筋肉について指摘されて,しかもそれが「背側」「掌側」「丹田」・・・といった指圧(かな?)系の言葉を使って説明されて,肉体的な部分に目を向けさせられています。もちろん肘や手首・指の角度や動きについても指摘は受けるわけですが,今まで曖昧に「腕の力抜いて」というような表現だったのが,「3度のスケールの時には掌側の力を意識して」という風に腕の2つの筋肉を別個に意識したりという風になってきました。で,あまりに力が入ってるとマッサージ(これが痛い!)があるわけですが(^_^;)

調律終った!
YURI 投稿日:99年8月4日<水>05時44分
どうもです。

>調律終了
8月3か午前10時です。
今、調律が終りました。今回はただでやってくれました。「リースしているんだから、何か問題あったら自分達が直す!」と調律師は言って結局お金は受け取ってくれませんでした。このイタリアでこんな事があるのですね。自分は助かりました。なんかチョット嬉しくなりました。

>ALEX
ドサ回りとは相当な実力をお持ちなんですね!凄〜い!一度聞かせてもらいたのですが、イタリアと日本では相当遠いですね。また、「高校生から二十歳くらいまで…」なんて凄いじゃないですか、自分は精々でベートーベンのソナタ「月光」がやっとでした。で、3楽章を入試の副科の試験で弾きました。

>ハリボテの虎
実はイタリアで持っていく曲の最初のレッスンで聞かれる事が「誰かの演奏を聞いた?」と最初に言われます。と云う事は有る意味で真似をしている訳です。そんな事言わずにやってみたらどうですか?自分で考えたのですが自分の日本時代の先生は「曲を勉強する前は絶対他人の演奏を聞いてはいけない!」と言っていました。少なくともそれはこれだけのメディアが発達した現代では不可能な事だと思います。で、自分としては「その人の真似が出来ると云う事はまたそれ以上の事が出来る可能性にも繋がって来る事だ!」と思っています。

>打鍵が強すぎる
よかった!余り関係無くて。

>手首の力と指の関係&「運動生理学」や「身体論」
いちよう自分で手首の力を抜くように気を付けるようになってからミスタッチ、一音一音のばらつきが少なくなりました。
いちよう自分自身で理論的にやってはいるのですが解らない事がいっぱい有ってなかなか先に進みません。ですが、自分としては理論的にまとめるつもりです。自分で何処までまとめられるか解りませんがやってみたいと思っています。事実、発声は理論的にまとまっています。それから、先生相手に色々な事をやっているのですよ。「イン・テンポ!」と言う先生には全て速度記号を無視して弾いたり、「力を抜いて!」と言う先生には全ての力を抜いて弾いたりして困らせています。

>HODGE
>僕は学生のころ弓道を
関係大有り人間のやってる事は結果的には全て違いますが経過(結果までの道)は理論的に共通している物が沢山あると思います。事実、自分も水泳習った事は無いのですが練習方法をピアノを練習する方法から作り出したら「習った事有るでしょう!」と言われます。経過と云う物はとても大切だと思います。

>練習がんばってるんですね。
一緒に頑張ろうねぇ!一緒に沢山曲弾けるように成ろうねぇ!

>練習曲
自分の書き方と記憶が曖昧だったのが皆様に誤解を与えてしまいました。どうも済みません。で、去年この話しをした人にもう一度尋ねたらなんとブラームスの「51の練習」の事でした。で、言っていたのが「これをまともにやったら腕壊れるよ!」と言っていました。

>ブラームスの「51の練習曲」
「ビレットがNAXOS」と云うのは自分自身が知らないのでよく解りません。これって出版者それとも…。で、この練習を全てやる事は有りません。自分の必要なものだけピックアップしてやります。自分も練習の一番をレッスンに持っていたら「これ出来てるから、さぁ次!」とすっ飛ばされてしまいました。実はバイエルの最初の片手の練習もすっ飛ばされてやった事無いのです。

>ミケランジェリ
自分の先生が彼のファンで実際に合った事も有るそうです。それでよく彼のテクニック、奏法の話しが出てきます。

では、この辺で。

HILARY AND JACKIE
HODGE 投稿日:99年8月4日<水>01時52分
こんにちは
デュ・プレについての本「HILARY AND JACKIE」が話題になっているようですね。翻訳はされるのかな。バレンボイムとの結婚生活なんかのゴシップには、ちょっと興味があります。

>ALEX
演奏会、お疲れ様でした。これからもがんばってください。東京公演はないの?
フランソワは僕も好きです。「夜のギャスパール」とかショパンの「前奏曲」とか、独特の雰囲気を持っていますよね。僕は今、彼のフランクを捜しているのですが、ALEXは持ってる?

僕もピアノ弾くのだったらリスト。超絶技巧練習曲の10番を弾けたらな、と思っています。
ティボーデは「トゥーランガリラ」を録音してるけど、オケが(指揮はシャイー)なんかじゃらじゃらしているように感じられて、サロネンやラトルのようにスマートではないように感じました。
ティボーデの音はすごく好きなんですが、DECCAでの録音ってなんか、音がこもってません? デンオンで録音したラベルやリストの方が、よりクリアーにきこえます。

>YURI
練習がんばってるんですね。ピアノって弦楽器に比べると弦は切れないほうですよね。
ピアノとは直接関係ないと思うけど、僕は学生のころ弓道をやっていて、余分な力を抜くように、と何度も言われました。
演奏家のための「運動生理学」や「身体論」なんかがあればいいですね。

グールドはあの当時、男性ピアニストとしてはハンサムですよね。ただ、彼にはGAYがどうかは別として、ロマンティックは話はあまりないようですね。
グールドのバッハもいいですけど、スクリャービンもいいですね。ただモーツァルトはちょっとなあ、と思ったりします。
ミケランジェリのドビュッシー(って他は聴いてないのですが)はいいですね。音がクリアーで、響きが絶妙にコントロールされていて。
ミケランジェリをCDで聴いていると、演奏者の肉体的な動作や恣意的な意図をまったく感じない、ピアノの客観的な響きで耳が(脳が)快感を得られるような気がします。

ブラームスの「51の練習曲」ってビレットがNAXOSから出していたヤツかな。
どちらにしても51曲もあるなんて、大変ですね。頑張って弾き倒してください。


ピアニスト
ALEX 投稿日:99年8月4日<水>00時43分
今日は夏のドサ回りシリーズ第1弾ということで,フルートとともに演奏してきました。
バッハから現代までいろんな曲をまとめて弾いて,ぼく的には結構楽しめました。
お客さんも喜んでくれたようだし,まずは一安心。

グールドはぼくはあんまり好きだとは言えないんです。でも彼のバッハはけっして好きじゃないはずなのに,なぜか聴いてしまう不思議な魅力はとても感じます。
ぼくはサンソン・フランソワが大好きで,それこそ神様のように崇め奉っているのですが(^_^;),彼の演奏もあまりにも個性的で,真似はできないですよね。おそらくここが一番いい!と思うところほど真似してはいけないんでしょう。実際,フランソワには彼の作り上げた土台があって,その土台があるからこそあれだけの表現ができるわけで,ぼくなんかが真似してもハリボテの虎になっちゃうのは当然ですよね。
「その伝統的な奏法に彼の方法をミックスして使っています」というのにはまったく同感です。

そうそう。「弦を切る」というのと「打鍵が強すぎる」というのは必ずしも結びつかないようですよ。だから安心していいと思いますよ。要するに金属疲労なんですから,ある回数ハンマーが叩けば切れるようになっているようです。ぼく,ppのところで(しかも銅線)切ったことありますもん(+_+)
ただ,切れたままにしておくとその周囲との弦を引っ張る力のバランスが崩れたままになるので,周辺の弦が集中的に切れやすくなるようですね。
手首との関係はよくわからないんですが,やっぱり手首に力が入ってたら指先まで本来届くべき力が届かなくなっちゃうんじゃないかなぁ。

リストのエチュードはあれで結構快感ですよ。高校生から二十歳くらいまでの間に結構リストを弾かされていたのですが,練習しさえすればいい的な部分が大きくて(もちろん本当はもっと深いのでしょうけれど。こんなことを書くとリストのファンに殺されそうですね),練習効果速効型ですしね。
「パガニーニ練習曲」が爽快で好きでした(過去形)←もう全然弾いていないので(^_^;)
ただ,ぼくはとても手が小さくて(体も足も小さいのですが)そこが難点なのですが。
でもスクリャービンのエチュードよりはずっと弾きやすいと思いますよ(^o^) うん,少なくとも譜読みの難しさではスクリャービンは至難ですからね。

グレン・グールド
YURI 投稿日:99年8月3日<火>13時40分
どうもです。

>HODGE
そうなんです。私はグレン・グールドのファンなんです。一つは彼の写真からGayを感じてしまうのです。彼は、ノン・レガート奏法に付け加えて表現を付け加えています。それがとても面白く感じました。ただ、彼の弾いたベートーベンのピアノソナタはチョット好きに成りきれません。やっぱり彼はバッハ弾きだと思います。

>コンサートを否定してスタジオで「テイク」する音楽家
ミケランジェリだって後半そうなったのではなかったですっけ?結局の所、その演奏家の信念だと思います。

>グレン・グールドのイタリアでの評価
確かに演奏家としてはそうとのファンと評価を持っています。が、これが学校と云う場に入ると「彼のバッハは伝統的な奏法では無い!」と成ってしまうわけです。で、彼の演奏方法を真似してしまうと点数は低くなってしまいます。それで、私はその伝統的な奏法に彼の方法をミックスして使っています。こうなれば「OK」が出ます。

では、この辺で。

また切れた!
YURI 投稿日:99年8月3日<火>03時39分
どうもです。

うぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ。また、弦切れました。ショパンの練習曲Op.10 No.4を練習してたら「パッキン!」『おっ!また切れた!』と直ぐ解りました。調律師に電話したら「ピアノ殴ったの?!」と言われてしまいました。アップライトピアノでは限界を感じる今日この頃です。「また、金が飛んで行く!(;_;)」

>みなさん
一つ質問ですが、手首の力が抜けたらそれなりにタッチが強くなるのでしょうか?最近頻繁に弦が切れてしまいます。どなたかご存知でしたら教えてください。

>練習曲
そう云えば音楽院の8年生のテストの課題曲に各左右の手に3度、6度のスケール全調があるのですが、私の先生曰く「アシュケナージはこれを演奏会前の準備のために1時間、全調に渡ってやっていた。」と言っていました。自分が子供の時(確か12歳だったと思います。)私の町に音楽短期大学があってそこのピアノ科の先生が友達で演奏会をしにやって来ました。その時そこの大学の先生に自分も習っていたのでその先生は「1時間彼は誰にも彼自身の練習は見せずに部屋にこもって居た!」といっていました。多分この時間でこの練習をしていたのだと思います。
やはりヨーロッパの音楽教育は職業音楽家を育てる機関なんだなと思ってしまいました。そのまま勉強した事がプロに成ってからも役立つのですから歴史に裏付けられるように相当のノウハウを持って教育されている実感があります。

>ブラームスの「51の練習曲」
ALEXが言うように確かにハードです。が、もっとリストがもっとハードな練習曲を書いています。それは本当に成れないうちは腱鞘炎覚悟で弾かないと大変になるくらい凄いものでした。自分は弾いてはいないのですが楽譜を見せてもらったら「今は無理だ!」と思うくらいのハードさでした。


では、この辺で。

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