REICH [Music for 18 Musicians]
スティーヴ・ライヒ:18人の音楽家のための音楽 (1976)
Steve Reich (b.1936)
  • Pulse
  • Section T
  • Section U
  • Section V
  • Section VA
  • Section VB
  • Section W
  • Section X
  • Section Y
  • Section Z
  • Section [
  • Section \
  • Section ]
  • Section ]T
  • Pulse

アンサンブル・モデルン

recording 1997 / BMG

単純な、あまりに単純な「律動(pulse)」の繰り返しが、やがてオーガズムを引き起こす。そんなことは身をもって体験している? だとすれば、話は早い。この曲は、18人のミュージシャン/テクニシャンが仕掛ける歓喜のヴァイブレーション。冷たい感触を持つ響きの愛撫に共鳴し、執拗に反復される運動(ユニット)と戯れる。約1時間、その振動(pulse)はめくるめく音楽的快楽を提供してくれる。

特徴としては、この音楽は、11のセクション、11のコード、11のサイクルという「11」という数に拘束されながら構築されていること。編成はクラリネット、バス・クラリネット、マリンバ、シロフォン、ヴィブラフォン、マラカス、ピアノ、4人の女性ヴォーカル、ヴァイオリン、チェロ。こういった独特の楽器群を擁し、いかにもライヒらしい白々しいまでの冷たく機械的な音の飛沫が放射される。
また作曲者が、この作品の作曲直前にアフリカの打楽器やインドネシアのガムラン音楽を学んでいることも付記しておくべきだろう。この音楽には、どことなくエキゾチックな響きが漂っているのを感じ取れる。

そしてこのCDの解説には面白いことが書いてある。アメリカを代表する三人のミニマリスト──テリー・ライリー、フィリップ・グラス、スティーヴ・ライヒがドイツ古典派の作曲家、それぞれハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンに擬えられているのだ。
パイオニアのハイドン/ライリー、メロディックなモーツァルト/グラス、構築的なベートーヴェン/ライヒという具合。しかもこのライヒの『18人の音楽家のための音楽』はベートーヴェンの『エロイカ交響曲』に対応する作品であると言うことだ。

それは<ミニマリスト>ライヒの作品中でも格段にスケールが大きく、ベートーヴェンがソナタのルールを変えたようにミニマル・ミュージックの範疇を超えた──つまりミニマル・ミュージックの集大成であり、形式のロジックと響きの美しさが絶妙にマッチした「偉大」な音楽……そういった意味合いらしい。まあ言い得て妙かな、と思う。

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MESSIAEN [Des canyons aus étoiles]
オリヴィエ・メシアン:峡谷から星たちへ
Olivier Messiaen (1908 - 1992)

  • 峡谷から星たちへ(1971-1974)
  • 異国の鳥たち(1956)
  • 天の都市の色彩(1963)

ポール・クロスリー : ピアノ
エッサ・ペッカ・サロネン : 指揮
ロンドンシンフォニエッタ


recording 1988 / CBS(SONY)

最近良く耳にする「共感覚」という現象。これはある刺激を受けたとき、本来の感覚に他の感覚が伴って生ずる現象で、例えば書かれた文字や言葉の響きに「色」を感知してしまう特殊な知覚のことだ。

『言葉や音に色が見える――共感覚の世界』
http://www.hotwired.co.jp/news/news/technology/story/20020325306.html

この記事によると、共感覚を有する人は、新聞を読んだり、発語された言葉を聞いたり、あるいは数字を見ただけで色彩が閃いたり虹色が見えたりするそうだ。

この「共感覚」という知覚。僕はまあ有していないと思うが、作曲家のオリヴィエ・メシアンはもしかして共感覚者だったのでは、と感じることがある。なにしろメシアンの音楽は独特だ。あの「時間」に「色彩」を当て嵌めたという
『クロノクロミー』を始め、その響きは「色」とは切り離せない。
そして常人の理解を遥かに超えた次元で展開される色彩に関するメシアンの言説は、彼の狂信的とも言えるカトリック思想と相俟って、いかがわしさと背中合わせの神秘の法悦に満たされている──もちろんそれこそがメシアン作品の最大の魅力だ。
(またそのものすばりの『メシアン、音楽と色』/Olivier Messiaen "Music and Colour",Amadeus Press/ という本も出版されている。
http://www.musicweb.uk.net/classrev/2002/Jan02/Messiaen_book.htm )

このCDに入っている3曲は、まさしくメシアンの共感覚説を裏付けるような強烈な響き=色彩が迸っている。
『異国の鳥たち』は題名の通り鳥の声を音楽化したもの。リズミカルで多少攻撃的な鳥の鳴声が、驚くべき精度と強度を保ちながら響き渡る。

『天の都市の色彩』はヨハネの黙示録からイメージを得たもので、メシアンの特異な色彩感覚が炸裂する。楽器編成はピアノ、3つクラリネット、3つのシロフォン、金管、そしてメタリック・パーカッションという独特なもの。
この曲でメシアンは黙示録を引用し、そこで示される色彩をスコアに記している。これこそ、音の複合体と色の複合体が関連付けられている──つまり共感覚の証左であり、サイケデリックな、まさしく虹色の響きを孕んだ音楽と言ってもよいだろう。黙示録と言ってもその響きは決して重々しくも禍禍しくもない。メタリックな感触のする輝かしい音色を放ち、その眩しさに聴く者をチックさせながら、音楽は独特のリズムを刻み、疾駆していく。


1976年はアメリカ建国200周年であった。それを祝うために Alice Tully に委嘱された作品が『峡谷から星たちへ』である。この曲を作曲するにあたり、メシアンはアメリカのユタ州にあるブレイスキャニオンとザイオン国立公園を訪れ、その雄大な自然に多大なインスピレーションを得た。

音楽はその威容な景観に相応しい大胆かつ華麗なもので、人知を超えた自然に対する畏怖と畏敬の念に貫かれている。
ホワイトノイズを思わせる「砂漠」から始まり、メシアンのトレードマークとも言える多彩な「鳥の声」、堂々たる「ブレイスキャニオンと赤き岩」、ホルンによる「惑星の呼び声」、星(アルデバラン──牡牛座中のオレンジ色に光る1等星 )の煌き、「ザイオン国立公園」の圧倒的な迫力、そして「神聖な都市」の静寂へと……。
まさに常軌を逸した音のコスモスがそこにはある。その音楽は全能の神の技か? と言ったら敬虔なメシアンからは「畏れ多くも」と異論を投げかけられるだろう。しかしアメリカで最も宗教的な州に降臨したのは、メシアンその人に他ならない。


[ブライスキャニオン]
http://www.nps.gov/brca/

http://www.brycecanyoncountry.com/photos-scenic.html

[ザイオン国立公園]
http://www.nps.gov/zion/

http://www.zionnationalpark.com/mainloop.htm


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MEYER, ROREM [Quintet, String Quartet]
メイヤー:五重奏曲、ローレム:弦楽四重奏曲第4番
Edgar Meyer (b 1960), Ned Rorem (b 1923)

Edgar Meyer
  • Quintet(1995)
    for string quartet and double bass
Ned Rorem
  • String Quartet No.4(1994)
    Minotaur, Child Holding a Dove, Acrobat on a Ball, Still Life, Seated Harlequin, Head of a Boy, Basket of Flowers, Self Portrait, Three Nudes, Death of Harlequin

エマーソン弦楽四重奏団
エドガー・メイヤー(コントラバス)


recording 1996-1997 / DG

アメリカを代表する弦楽四重奏団、エマーソン弦楽四重奏団は1976年に結成された。1976年といえばアメリカ建国200年という記念すべき年(オリヴィエ・メシアンの『峡谷から星たちへ』はそれを祝うために作曲された)。そして「エマーソン」とはアメリカ文学の父と呼ばれるラルフ・ウォールド・エマーソン(Ralph Waldo Emerson)に由来している。エマーソン弦楽四重奏団はまさにアメリカを代表している。

そのエマーソンSQがアメリカの二人の作曲家の近作を録音した。コントラバス奏者としても有名な若手作曲家エドガー・メイヤーの弦楽五重奏曲と1923年生まれの長老作曲家ネッド・ローレムの弦楽四重奏曲第4番。2曲ともエマーソンSQのために作曲され、初演された。

エドガー・メイヤーの五重奏曲は、いわゆる「現代音楽」らしくない楽しい音楽。ドヴォルザーク風というかカントリー風というか、メロディックでリズミックでほとんどポップスのよう。晦渋さは微塵もない。ここでは、作曲者本人もコントラバス奏者として演奏に加わっている。
まあ確かに聴きやすくて馴染みやすい音楽であるけれども、そのために、ちょっともの足りなさも、個人的に感じてしまう。

一方、ネッド・ローレムの方は、ニヤリとさせられるくらい気に入った。暴力的なまでの鋭く激しいリズム、威圧的とも言える密度の高い音の重圧感──空間を切り裂き破壊しながら侵入してくるサウンド、そして複雑な構成。
例えば一楽章の指示は「とても速く、醜く(ugly)容赦なく(relentless)、執拗に(insistent)、Cajoling(カシドリのようにべちゃくちゃしゃべる?)、弁解(pleading)、逆上して(frantic) 」なんていう<多数の>刺激的な言葉が連なれている。やっぱりバルトーク、ショスタコーヴィッチ後のカルテットはこうじゃなくっちゃね、と思わせるゴキゲンさだ。

この曲の特徴は、10楽章からなる楽章がそれぞれピカソの絵画からインスピレーションを得て作られた、ということだ。このモダニズム溢れる強烈な音楽は、まさしくピカソの強烈な絵画と響きあう。
そうか、ローレムの音楽は「モダン」なんだ。とすれば、メイヤーのポップスみたいな音楽は「ポストモダン」と言えるかもしれない(年齢的にもそうだろう)。
ただ僕は「モダン」な方が断然好きだ。

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TARTINI [The Devil's Sonata]
タルティーニ:悪魔のソナタ
Giuseppe Tartini (1692 - 1770)

  • "La Sonata del Diavolo" in G minor
  • from "L'arte del arco"
  • Sonata in A minor
  • "Pastorale" for violin in scordatura

アンドリュー・マンゼ(ヴァイオリン)

recording 1997 / harmonia mundi

通常は『悪魔のトリル』と呼ばれる作品。第3楽章の技巧的なトリルが有名な曲だ。しかしこの題名では作品全体を表すのに不充分だということで、演奏者マンゼはあえて『悪魔のソナタ』と表記する。

それはこの曲に関する名高い逸話に依っている。ある日、ヴァイオリニストであり作曲家でもあったタルティーニは夢を見た。悪魔に魂を売った彼が、それと引き換えに、悪魔の弾くヴァイオリンを聴かせてもらうというものだ。
悪魔が奏する音楽は素晴らしかった。この世のものと思えない美しさを孕んでいた。そして非常なレベルの技巧、恐るべきインテリジェンス。夢から目覚めたタルティーニは、すぐさまその音楽を書きとめた。

こうして成立した「悪魔のソナタ」は、一方で、ロマンティックに、あまりにも華美に粉飾され、コンサートの「演目」に登場する。その最右翼がアンネ=ゾフィー・ムターのものだろう。ウィーン・フィルをバックに、あの太く伸びやかな音色でもって、後世に付与された華麗なカデンツァを組み込み、まるでヴィルトゥオーゾ・コンチェルトのように演奏する。使用するヴァイオリンはもちろんモダン・ヴァイオリンだ。
煌煌たるスポットライトを浴び、シャネル・スーツに身を包んだムターの演奏は、それは見事なものだ。そこには悪魔の付け入る隙をこれっぽっちも与えない。

これに対しマンゼは、音量の小さい地味な音色のバロック・ヴァイオリンで演奏する。しかも無伴奏で。ほとんどヴィブラートもなしに、どちらかというと暗い音色で奏でるマンゼの演奏(ピッチも低い)は、しかし「悪魔のソナタ」に相応しい雰囲気を持っている。重音は軋み、高音は掠れた悲鳴のように響く。
1楽章のシチリアーノ風のリズムはまさに忍び寄る悪魔の足音のよう。2楽章の異様な躍動感は悪魔のダンスだろうか。このCDのカヴァー、グリューネバルトの絵画を彷彿させる妖しさだ。

そして問題の3楽章。まずは悲劇的なレチタティーヴ。無伴奏なので、ヴァイオリンは生々しく空間を突き抜ける。「悪魔的暗示」を孕みながら、その音楽は、悲しみをたたえた美しいメロディで聴く者を魅了する。……そこへ例のトリルが──「悪魔のトリル」が、介入してくる。緊張感溢れる瞬間だ。

最初は静かに、ひんやりとした感触で、そして次第にスピードを上げ、激していく。不穏な音響。それはまるで泡がぶくぶくと発生し広がっていくような、あるいはぶつぶつとした両生類の卵がどんどん増えていくような、あるいはまた、孵化したばかりの青白いカマキリの幼虫が卵胞から大量に落ちてくるような……どうにも無気味なイメージを呼び起こす。
再び張り詰めたレチタティーヴ。それが二度繰り返され、音楽は──夢は──短い後奏を残し、消え失せる。

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