MESSIAEN   [Poèmes pour Mi, Sept Haïkaï]
オリヴィエ・メシアン:ミのための詩 (1937)、7つの俳諧(1962)
Olivier Messiaen (1908 - 1992)

ミのための詩

7つの俳諧
  • 序奏
  • 奈良公園と石灯郎籠
  • 山中湖・カデンツァ
  • 雅楽
  • 宮島と海中の鳥居
  • 軽井沢の鳥たち
  • コーダ
鳥たちの目覚め

フランソワーズ・ポレ(Sp)
ピエール・ローラン・エマール、ジョエラ・ジョーンズ(P)

クリーヴランド管弦楽団
指揮 ピエール・ブーレーズ


recording 1994,96 / DG

『ミのための歌』はメシアンの最初の妻、ヴァイオリニストであったルイーズ・ジャスティン・デルボワとの「聖なる結婚」を記念して作曲された。ピアノ版とオーケストラ版があり、このCDはオーケストラ版。メシアンの初期の作品であるため、前衛音楽というよりは、濃厚なロマンを漂わせた、まるでワーグナーにような音楽になっている。ドラマティックで激しい感情表現を聴かせる。オーケストラも多彩に変化し、メシアンならではの官能的な響きを感じ取れる。

メシアンの二人目の妻は、ご存知イヴォンヌ・ロリオ。世界的なピアニストであり『幼子イエスの20のまなざし』の初演者でもある。そのメシアンとロリオが「ハネムーン」に訪れたのが日本。そこでメシアンは、日本の印象を綴り(音楽化し)、『7つの俳諧』を作曲した。
こちらはいつものメシアン。どぎついまでの音色が飛び交い、凝ったリズムが時間感覚を麻痺させ、トレードマークの鳥の声が賑々しく舞う。

ただ、『宮島と海中の鳥居』はどうしてこれが宮島なんだろうか……。なんだか分子の運動のような、あるいはパチンコ店の「チン、ジャラジャラ」という雑音の中で、渋い民謡が慎ましく流れているような──そんな音楽に聞えるけど……(しかし、まあ、ロラン・バルト先生のように、パチンコを独特の美学として捉えた人もいるので、これも日本の神秘を独特の感性で表現したものかもしれない)。

それでも『雅楽』なんかは妖しいくらい美しい。いうまでもなくこの曲は、日本の雅楽をオーケストラで「再現」したものであるが、篳篥をトランペットと2つのコールアングレに、笙を8つのヴァイオリンで「表現」(真似る)するなど、さすがは「音の分析」に長けているメシアンだ。もともとの──西洋音楽からすれば──非和音的な「音塊」が、実に前衛音楽の響きを獲得している。あのドヨーンとしたリズムもだ。

ううむ、「洋才」恐るべし。「普遍」を標榜する西洋文明(あるいはメシアンが帰依しているカトリック)の前では「独自文化」なんてものは風前の灯火なのかもしれない……なんてね。

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NONO   [Como una ola de fuerza y lus]
ルイジ・ノーノ:力と光の波のように (1971-72)
Luigi Nono (1924 - 1990)

  • 力と光の波のように (1971-72)
  • 苦悩に満ちながらも清朗な波…(1976)
  • コントラプント・ディアレティコ・アラ・メント(1968)

Slavka Takova(Sp)他
マウリツィオ・ポリーニ(P)

バイエルン放送交響楽団
指揮 クラウディオ・アバド


recording 1973,77 / DG

急進的左翼で「在り続けた」イタリアの作曲家ルイジ・ノーノ。彼は、当時のソ連──(ガキでもわかる)社会主義リアリズムを押し付けたソ連──が糾弾した「前衛(アヴァンギャルド)芸術」の先端を突っ走っていった。
政治的前衛という立場と音楽的前衛という立場を同等に置き、ノーノは革命的な政治/音楽の究極を目指したのだった。

『力と光の波のように』はソプラノ、ピアノ、管弦楽とテープの為の音楽で、チリの革命家ルシアノ・クルツの死に捧げられた詩をベースにしている。マグネティック・テープの音響が、信号のような独特のサウンドを通低させ、そこにライヴ──すなわちソプラノの絶叫、破壊的なピアノ、激烈なオーケストラが加わる。
テープと<ライヴ>は密接に絡み合い、空虚な空間を過去(テープ)と現在(ライヴ)で充満させ、そして<生きるための>未来へと爆発させる。
今日、社会的な潜勢力が存在するとすれば、それはそれ自体の無力さの果てまで行くのではなければならず、法権利を維持したり措定したりする意思の一切を忌避し、主権を構成している暴力と法権利の間、生ける者と言語活動の間も結びつきを至るところで粉砕するものでなければならない。

ジョルジュ・アガンベン「政治についての覚え書き」
高桑和巳訳『人権の彼方に』(以文社)より

『苦悩に満ちながらも晴朗な波…』もテープとライヴの「対話」である。ただし演奏者はピアニストただ一人。ポリーニに捧げれられたこの曲は、同時期に作曲者とピアニストを襲った不幸に影響されている。苦悩の記憶(テープ)と「いま、ここに」ある存在(ライヴ)。
ピアノの音響は極限にまで開拓される。それはエレクトロニックによって激しく振動(運動)し合い、増幅される。極度の緊張感とともに、劇的な対話が展開される。しかし、やがて、その振動は、清朗な波の地平へと、静かに回収されていく。

『コントラプント・ディアレティコ・アラ・メント』はまさに実験的なサウンド。近未来的とでも形容したい斬新な、しかしときに神経を逆撫でするような響き。人によっては気味が悪いと思うかもしれない。しかしそのある意味ビザールなサウンドを構成するのは、剥き出しの人間の声、声、声。それら多種多様な声が電気的に変換され、合成され、どぎつく響く。テクストはマルコムXに関するものやベトナム反戦パンフレットから取ったものだ。
この「サウンド」に近い「音」というと、ウルトラセブンに登場した宇宙人の声──例えばクール星人、チブル星人、ゴース星人──そんな感じなのだ。60年代SF的感覚とでも言ったら良いだろうか。「音楽」というよりも「音響」そのものの面白さ(工夫)に非常に惹かれる。

正直に言えは、真摯な感情表現から生まれた『力と光の波のように』よりも、音楽的には『コントラプント・ディアレティコ・アラ・メント』のほうが僕は好きだったりする。


浅田彰【音楽・政治・哲学──ノーノをめぐって】
http://www.criticalspace.org/special/asada/ic027.html

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LUTOSLAWSKI   [Jeux vénitiens]
ヴィトルド・ルトスワフスキ:ヴェネチアの遊び (1961)
Witold Lutoslawski (1913 - 1994)

  • 管弦楽のための協奏曲 (1954)
  • ヴェネツィアの遊び(1961)
  • オーケストラの書(1968)
  • ミ・パルティ(1976)

ポーランド国立交響楽団
指揮 ヴィトルド・ルトスワフスキ


recording 1976,77 / EMI

ポーランドの作曲家、ルトスワフスキの「ミョーな」オーケストラ作品を楽しめる一枚。まあ『管弦楽のための協奏曲』は、それほどアヴァンギャルドではなく、バルトーク路線の華麗でワイルドなヴィルトゥオーゾ曲。ノリが良くオーケストラの熱狂ぶりを単純に楽しめる(体育会系だな、これは)。
この曲にはドホナーニ&クリーヴランド管弦楽団、ヤノフスキ&フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団の録音があるので、より鍛えられた個人技とプレゼンテーションの高さを見たい向きには、そちらを。

『ヴェネツィアの遊び』は、例の「管理された偶然性」(アレアトリー)を導入した作品として名高い。英語で表記される[Venetian Games]に相応しいゲーム感覚に溢れる作品だ。ちなみにタイトルの「ヴェネツィア」は、ヴェネツィア・ビエンナーレ音楽祭で初演されたため、そう名づけられたという──遊んでいるな、ルトスワフスキ!。

強烈なアタックによって「ゲーム」が開始され、偶然性を孕む諸要素を手中に収めながら、めまぐるしいプレイを展開させる。
そう、本当にゲームのような音楽なのだ。TVゲームやコンピュータ・ゲームのように、最初はそのチャチさを馬鹿にしていたり、「操作説明書」を読むのが面倒だったりするけど、やがていつのまにかハマっているような。静かな部分はまさに心理戦の趣きであるし、そこを過ぎ、後半に至ると爆発的なクライマックスに圧倒される。

『オーケストラの書』はその奇抜なサウンドが楽しい。抒情的で極めて美しい部分と、喘ぎ声のようなグリッサンドを多用した奇妙な音響の交錯がやはり「ミョー」だ。次第に音量を増し、それを持続させながら激しいクライマックス(エクスタシー)に至り、そこから急激に「醒める」構造は、なんだかスクリャービンの『黒ミサ・ソナタ』にも似たセクシュアルな行為を思い浮かべざるを得ない。

『ミ・パルティ』はちょっと洗練されたかな。エレガントな香りすら漂ってくる。もちろん、神秘的なサウンドが心地よくも張り詰めた緊張感を持続させ、「爆発」こそはないものの、魅力的なルトスワフスキ・サウンドが堪能できる。
題名の「ミ・パルティ」は形や大きさは同じであるが、様々な色の違いを持つ中世の衣装のこと……これだけではピンとこなかったネットで調べたら、徳井淑子著『服飾の中世』(勁草書房)というそのものズバリの本が出ているようだ。後で読んでみよう([Mi-Parti]では海外サイトで結構ヒットします)。


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MESSIAEN   [HARAWI, chant d'amour et de mort]
オリヴィエ・メシアン:ハラウィ、愛と死の歌 (1945)
Olivier Messiaen (1908 - 1992)

  1. お前、眠っていた町よ
  2. こんにちは、緑の鳩
  3. ドゥントゥ・チル
  4. ピルーチェの愛
  5. 惑星の周期運動
  6. 告別
  7. 音節
  8. 階段は話す、太陽の偉業を
  9. 愛、星の鳥
  10. カチカチ、星たち
  11. 闇の中

Sigune von Osten(Sp)
Pi-Hsine Chen(P)


recording 1993 / ITM CLASSICS

『トゥーランガリラ交響曲』、『5つのルシャン』とともに、メシアンのトリスタン三部作を成すソプラノとピアノのための連作歌曲。12曲からなり、モチーフとなるトリスタンとイゾルデ伝説は、場所をペルーに移しかえられている。あのトリスタン伝説に、エキゾチックなペルーの民謡素材も加わり、狂おしいまでの濃密な愛と死のドラマが展開されていく。

この曲の特徴としては、インカ帝国(!)由来のケチュア語によるオノマトペ(擬声語、擬態語)を取り入れていることであろう。まあメシアンは、ある響きを手に入れるために、人工言語を採用してしまうほどの人なので、これぐらい何でもないのかもしれない。

例えば『惑星の周期運動』では、"Ahi! Ahi! Ahi! O"(アイー、アイー、アイー、オ〜)と高音域でソプラノが絶叫した後、"Mapa, nama, mapa napa lila, tichil"(マ・パ、ナ・マ、マ・パ、ナ・パ、イ・ラ、チ・リ)と聞える「声」が、なんとも言えない抑揚を持って(あるいは抑揚がまったくなく、平板に)発せられる。

こういったこともあって、全体として、その響きは官能的であると同時に、実にシュールな感覚に溢れている。実際、この連作歌曲の要約とされる第10曲『愛、星の鳥』は、イギリスのシュルレアリスム画家ローランド・ペンローズ(Roland Penrose、1900-1984)の作品にインスピレーションを得たのだと言う。ペンローズの作品は、ご存知の方も多いと思うが、かなりエグイ……グロイ。

そしてピアノの華麗なこと。メシアンのピアノ曲はみんなそうではあるが、ここでもほとんどオーケストラに匹敵する色彩豊かな響きを獲得している。高音の煌きから、恫喝するような低音の蠢き、打楽器的な炸裂。
この作品で歌われるトリスタンとイゾルデの恋愛は、それほど強烈なものなのだ。


[Roland Penrose]
http://www.rolandpenrose.co.uk/
http://www.artcyclopedia.com/artists/penrose_sir_roland.html

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